四月九日 自分
いつから人生は自分のものになったのだらう
子供は疑問におもふのではなからうか
わたしはわたしなのかと
これの所有者はわたしなのかと
年月を経て慣れた大人は
もろもろの維持に疲れ果て
罪の意識も芽生え
むしろ手放したくなるだらう
生きてゐるこれ
将来に向かって死につつあるこれを
自分と断言してよいものか
はっきりわからなくなり
自分が所有することに
あるいは自分とみなすことに
負担を覚え重荷と感じ
楽になりたいとおもふだらう
このやうな辻褄合はせは
加齢による状況の変化故の対応であり
思考の中での調整作業なのだらう
結果として自分がどのやうな自分に落ち着くのか
まだ見通せないながら
手放すことも痛みを伴なふ
諸刃の剣であることは
おぼろに見えてゐる
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