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第二十一回文学フリマ東京をおえて

第二十一回文学フリマ東京が、昨日行われました。かんたんにその報告をば。 私は、当ブログ名でもあります、「夜明け前の談論」として、出店しました。初めての参加になります。  新木場からりんかい線に乗り、天王洲アイルでモノレールに乗り換える予定でしたが、間違えて手前の駅で降りてしまい、数百メートル歩き、あやうくゆりかもめのドアをくぐりそうになったところで、あやまちに気付きました。  会場に着いたのは、10時半過ぎ。あわただしく準備を始め、見本を提出したり、説明を書いたり、こけを飾ったり。  すると、ツイッターで知り合った別の出展者の方が、訪ねて来て下さいました。しばし歓談。本も購入して下さいました。ありがたい限り。  その後は、他のブースを見て回ったり、購入した書誌に目を通したり。主に自分のところに座って過ごしてました。 昼過ぎくらいでしたか、本を買って下さった方に、理由を尋ねると、本の装丁が気に入ったとのお返事。予期せぬ動機で不意をつかれましたが、なるほどそういう見方で本を選ぶ方もいらっしゃるのですね。外装も内装も、すべて自分で選んだ思い入れのあるものですから、嬉しく思いました。内容も気に入って下さるとよいのですが。 会が始まる前、一冊は売れてほしいなと思っていましたので、二冊売れて、ほっと胸を撫で下ろしていると、友人親戚知人以外で『東都百景』を初めて読んで下さった方が、訪ねて来て下さいました。予期せぬ到来でびっくりしましたが、お会いできて本当に光栄でした。少しだけですが、お話もできました。読者と筆者が相対して交流できるのは、こうしたイベントの醍醐味ですね。  そうして、フリマ終了の5時まではまだ数時間ありましたが、我々はもうしまいかなと思っていると、おひと方、お求め下さった方が。お尋ねすれば、気になってブースの前を3度行きつ戻りつなされたとのこと。具体的に何が御関心に響いたのか、聞きそびれてしまったのですが、説明書きをご覧になり、こちらのメッセージに興味をお持ちになったのかなと察します。 本や作家のことをまったく知らなかった方が、会場での出会いを通じて、一冊の書物と邂逅する、これも文学フリマというイベントのよい部分かも知れませんね。  個人的にもとても嬉しく、意義深い出来事でした。本の中身がご期待をひどく裏切るものでないことを祈

読者への手紙(4)

これまでの、「読者への手紙」 (1) 、 (2) 、 (3) (承前)  詩的言語というのは、今この手紙を書く中で、『東都百景』の特徴を、読者の方にわかりやすく伝えるために、思いついただけの便宜的な概念ですので、普段よく考えているわけではないのですが、もう少し説明を加えてみましょう。  たとえば、私の目前にある机の色ひとつとっても、単に茶色と言って済ませてしまうこともできますが、よく識別する目には単なる茶色に留まらない微妙な色合いが見えてきて、きっと形容するのに困ることになるでしょう。そうして何かしらの言葉で色を創造的に表現したとすれば、それもまた詩的言語と見做されるのでしょうか。いや、どうも違うような気がします。どこか違うのか考えてみますと、ひとつには、切迫性の度合いが挙げられるかと思います。申しましたように、私は始め茶色と言ってそれで済ませようとしました。そして多分それで済むのであります。しかし、済まないものもあるのかもしれません。こちらの適当な片付けに対して抵抗し、反抗すらして来るものがあるとしたら、言葉を使う者はどうなるでしょう。居心地の悪さ、不安を感じないではいられません。現実に生命の危機にあるわけではなく、たかがことばだけのことですのに。始めのうちこそ、力ずくでねじ伏せようとしますが、うまく行かない場合は、きっと長い長い格闘の末に敗北し、打ちひしがれて横たわることでしょう。そうしてさらなる色々なあれこれの末、可哀想なこの人は、不思議な言語を話すことになるのです。  「あ」とも言えない、「い」とも叫べない、そんな窮地に陥って出られない状況において、打開策を一切失い尽くした所で、並べられる文字たち。これこそ、詩的言語と見なし得るのではないでしょうか。  ところが、これだけでは、未だ詩的言語と呼ばれるには値しないように思います。今のところ、恋愛に苦しむ中学生がやむにやまれずノオトに書きなぐるポエムも、立派な詩的言語であるということになってしまいます。別にそのようなポエムの価値を貶めたいのではありません。ただ、やはり詩的言語と称するには、今まで語ってきたのと異なる何かが必要なのです。  それが何なのか、私が語るわけにはいきません。自分はその判定者ではないのです。ただ、それこそが核心であって、それだけが大事なのだと、言うに留めます。私

読者への手紙(3)

(承前)  我々の日常は言語との関わりによって多くを占められています。一人きりで生存を完結させているような方がもしどこかにおられるならともかく、自分以外の人間との関わりなしには、生きて行くことさえままならないのが、人という種族の常でありましょう。他人と会えば挨拶をし、言葉を交わしますし、パソコンを開いて言葉をつづり、読み、聞く、仕事机でも、食事の席でも、就寝するまで、いや夢の中でも、我々は言葉を使っているのです。離れ小島に暮らす人でさえ、朝目が覚めて、「今日はよい天気だ」と心中に思わないではいられないでしょう。柿の味について表現しようとすれば、「柿、おいしい。」「柿がおいしい。」「柿において酸味、渋み、甘味の調和がとれている。」「かき、いい。」などと、幾通りもの仕方が考えられ、その味に応じて最も適切な言葉を選ぶことになります。しかし、たとえば、ある特定の知的前提と処遇においてのみ体験されるような、恐怖の場合はどうでしょう。どういう言葉になるのでしょう。つまり、私は今「恐怖」と書きましたが、それはあまり正確とは言い難く、そもそも、それに応ずる言葉が見当たらない場合にはどうすればよいのでしょうか。  言い得ざるなにものかの現前に際して発せられる言葉の羅列、これをここでは詩的言語と呼ぶことにします。詩的言語というのは、言葉をきれいに配列したものではなく、言葉を創造しようとするものです。既存の語法から発想しているのではありません。すでにある言葉につまったところから、出発しているのです。それは一種の認識です。認識しようとする努力なのです。その結果として、紙面はいわゆる日常使用されている言語のあり方と、かけ離れた惨状を呈することがあります。文法、単語、発音、意味、文字の綴り法に至るまで、日常のそれとは異なる記法になってしまうことがあります。  この種の読み物に慣れていない読者はそこで、この文章は無意味だと判断し、読むのを放棄する、という反応になるのが普通です。しかしこれは最も分かりやすい場合で、つまり、日常言語との乖離が大きいほど、それが詩的なものであることが明瞭になりますので、ある意味では、とても易しいのです。  最も厄介なのは、日常的な記法と見た目にほとんど変わりがない仕方で書かれた詩的言語を読む場合です。そのまま読む分には普通に意味も取れますし、理解もで

読者への手紙(2)

(承前)  本の内容ですが、これは少しだけ特殊なところのある文章かもしれません。書き上げた当初はそう思っていなかったのですが、周りの読者の反応を見るにつけ、思いを改めるようになりました。  そこで、少しでも道しるべになればという願いから、「読者への手紙」というこの小文を草するにあたり、本全体を読み直してみたのです。片手で本を閉じた私は、自分がいかに愚かなことをしようとしていたか、はっきりと感じました。ええ、おそれを忘れた愚か者と呼ばざるを得ません。この書き物に対して何かを語る権利など自分にはないのです。  しかし同時にあらためて悟りました。自分に似た関心や知的背景を持っている方でさえ、この本を投げ出さずに読解するのは難しいだろう。いはんや、爾餘(じよ)の方々をや。  研究、仕事、家事に忙しく、普段あまりこの種のことがらに関心を持つ機会のない方々に対して、何も伝えずいきなりぶ厚い本だけ渡しても、当惑させるばかりでありましょう。その当惑が意味のある当惑ならよいかもしれませんが、ただ読む意欲を阻害するばかりであって、それは可能なら避けられるべきものではないでしょうか。  高機能のドライヤーを説明書抜きで贈呈するようなもの。使い方を知らないまま使えば、その高機能性は、かえって害になることもあるかもしれません。  書き上げた時点で著者の仕事は終わり、という書籍頒布の仕方が大勢でしょうが、この本に関しては、書物の受容について、ある程度、というのは個人としてできる限りという意味ですが、より正当な享受が行われ得るように努めるのが、著作者の責任であるように思っています。私は愚かなのでしょう。一度お読みになりましたら、どうかこの手紙は破り捨てて下さい。  申し上げるまでもないことですが、本の解釈は、読者の裁量でございます。筆者の見解は、唯一絶対の正解ではありません。書いた者にそのような特権はありません。もし著作者が、作品の読み方に関して、正しい答えを示唆するような発言をするなら、彼は自分の分を越えた越権行為を犯していることになります。  おそらく彼は、作品への関わりが一般読者より深い分、自分の方が作品をよく知っているのが当然であるし、なにより他ならぬ自分が作ったものなのだから、作品のことは他の誰よりも自分が一番に知っている、と思っているのでありましょう。

読者への手紙(1)

 このたびは、小著『東都百景』を御手(おんて)にお取り頂き、まことにありがとうございます。  はじめに、これは読者への手紙であることをおことわりしておきます。正確には、『東都百景』をこれから読もうとする方、あるいはすでに読み終えた方、に向けての言付けです。人間一般を想定しているわけでも、特定の専門家層を念頭においているのでもありません。  わたくしとしましては、親愛なる読者の方へ、とすら言いたいくらいなのです。いえ、実際にこのような本を手にするというのは、それだけで稀有なことです。世間に知られているわけでも、ごく狭い少数者の口の端に上るわけでも、おそらく読んで愉しい内容でも、ましてや社会生活に役立つ便利なものでもありません。いかなる理由でかこの書をお取りになられたというだけで、偉業と称するに値することのように思えるのです。  ですから、わたくしがうっかりして、皆様への敬愛の念ゆえに、親愛なるという形容をつい付けてしまったとしても、無理からぬこととしてご容赦いただけると思います。ですが、今わたくしの方から読者の方々に親愛の気持ちを表明するのは、こちらの感動を一方的に押し付けるようで、随分ぶしつけなことではないでしょうか。まだお読みになっていない方は、一読後にはこの本を嫌いになっているかもしれませんし、もうお読みになった方は、すでに嫌気がさしている頃かもしれません。  ですので、皆様に、親愛なるとお呼びかけするのはまだ控えておきたいのです。この書物は、どういう風に言えば適切か迷うのですが、ある意味で、かなり困難なものです。地図なしには迷う樹海に似ています。しかし、樹海といえど、しっかりと準備をして臨めば大過なく帰って来られるように、このことばの森に分け入る際にも、必要十分な道しるべと手引きさえあれば、旅の成功と無事なる帰還をみなで喜び合えることでしょう。  それで、いたづらに道を失い途方に暮れるのを防ぐために、そしてこの冒険を共に成し遂げた友人として、本当の読者になっていただき、わたくしから親愛なると正当に呼ばせて頂くために、少しだけ前書きのような形でこの本について語らせて頂きたいと存じます。この重い本をあえて開こうとする皆様ならば、筆者が無粋な片言を少しばかり並べましても、きっとおゆるし下さることでございましょう。  さて、題名は『東都百景』と致し

売れない時節のしあわせ

本の発行から半年と少し経ちました。8ヶ月の間、売れたのは二冊です。一人の旧友が買ってくれました。 先日キンドル版も完成しました。お一人ダウンロードして頂きました。ツイッターでつながりのある方です。 家族や親族を含め、日頃お世話になっている方々に差し上げた分を合わせても、十部にも満たない流通量です。・・・流通しているとは言い難いですね。 さきほど本屋に立ち寄りましたら、最近芥川を受賞した本の帯に「160万部突破!」とあるのが目に入りました。ますます増える勢いの様です。 本が売れないというのは悲しいものです。何年もかかって作り上げた作品ならなおさら。収入もなく、入る当てもない中、自分は何をしているのだろうか、という自虐の落とし穴に足を取られて抜け出せないこともしばしば。 しかし、思うに、今の、売れていない時期、というのは、暗いばかりではないのです。むしろこれはある意味幸せな時期でもあります。 私は自分の本が誰に読まれているか、知っています。しかし、百万部売れる本の筆者は、自分の書いたものがどんな人に読まれているか、把握できないでしょう。 自分の作品を過度な露出から守ることが、今はできるのです。不特定多数の目に無防備なままさらされるような状況に作品を追いやらずに済むのです。 過保護と言われればそうかもしれませんが、成人ならともかく、生まれたばかりの赤ん坊だって、自立するまでは親が付き切りでお世話をするでしょう。似たようなことではないでしょうか。 別に、わかる人にだけわかればよい、大衆受けしないのはむしろ誇りとすべきことだ、などと開き直っているのではありません。私は自分の作品の読者層を限定して考えてはいません。可能性は誰にでも、教養教育趣味性格思考の如何によらず、開かれていると思っています。閉じた表現の価値を否定はしませんが、今回の自著に限って言えば、閉じた作品を書いたつもりはないのです。 作品が売れないというのは、悲しくもまた幸せなことです。半年以上経って初めて、自然とそう思えるようになりました。 このままではいけない、という思いも強くなっていますが、まあ、焦っておかしな行動に出るよりは、なるようにしかならない、と思って辛抱強くやって行こうと思っています。 今まで自分の周囲には、ごく一部の例外を除いて、本を書いたことさえ知

『東都百景』の紹介文を変更しました

Amazonの本の紹介欄に書いた【著作者コメント】を変更しました。 以下のリンクから確認できます。 『東都百景』 以前の文言に問題を感じたというわけでは別段ありませんが、 特に気に入っていたわけでもありませんでしたので、 Kindle版完成を期に思い切って差し替えてみました。 ちなみに、以前のバージョンもこちらに残して置きます。参考まで。 「   言語というのは、非常に繊細なものです。言葉を普段様々な用途に使役している人の通常のあり方に留まる限りにおいては、このような関心はおそらくきわめて小さなままに抑え付けられるので、大事の考とはなりにくいものです。いったん、自分がその中に漬かっている所の、言葉との関係より離れて、ことばに相対して向かい合うようになれば、そのときはじめて、言葉にかけられていた手かせと足かせを外して、なにか今までとは違う関係へと進む可能性が、開けることでしょう。この本も、そんな可能性をめぐって、かつて幾人もの人が歩いてきた杣道(そまみち)を、手さぐりでたどり行くものの一つです。  もっとも、言葉との関係より離れて向かい合う、と記しましたが、そのようなことが簡単にできるはずもありません。課題としては、言語をして考えせしめること、そのためにどうしてもまづ要請されるのが、我々自身の頭で考えるのを中止して、あちらの働く余地を用意してあげる、ということです。こうして申し述べると実に明瞭なのですが、実際の現場においては、かくも不明瞭なこと他にありや、といった情況です。『東都百景』という書き物は、ある種の場所において、人間がどのように動きどのように望みどのように問うのか、その場所に身を置きながら煩悶した、その跡と言うこともあるいはできましょう。ご一読の際には、そのあたりの消息も感じて頂ければと思います。  我々の生はヒントのない問いかけのようです。重荷に耐えかね喘ぎつつ生きるすべての人々に捧げます。 」 今回のコメントも同じなのですが、紹介文を読んでも、 いったいどういう内容の本なのか、いまいち分からないのですよね。 まあ、ある意味、内容をそのまま反映しているコメントと言えなくもない・・・。 誰か読者の方が書いてくれないかなあ、などと思ってしまいます。

『東都百景 電子書籍版』完成しました

ブログを更新するのもしばらくぶりになってしまいました。 ここ一か月ばかり取り掛かっておりました、本全体のKindle化ですが、 ようやく完成しましたので、ご報告いたします。 印刷本484ページの内容が、この版に全部収められていますので、 かなり長いです。一息に読もうとすると大変ですので、 少しづつお読み下さい。 漢字につきましては、自作のものや旧字体で特殊なものなどは、 電子書籍という制約上、表示ができない場合があるため、 よりかんたんな字体へと置き換えてあります。残念ですが、 仕方ありません。 仮名遣いに関してですが、おおむね、印刷本を踏襲しております。 旧かなも少し入っていますが、おそらく読むのに問題にはならないかと。 頒布版が(一)と(二)出ていますが、このまま残して置く意味合いも 薄くなってしまったかな・・・。ただ、すでに購入して頂いた方も いらっしゃいますので、どうしようか、考え中です。 それでは、どうぞよろしくお願い致します。 『東都百景 電子書籍版』

恐怖の探究(一)

恐怖についての論考であります。 しかしながら、始めるに際しまして、すでに筆者はつまづいております。 恐怖について書く者は、恐怖しているのであるか、それとも、恐怖していない平常心をもって、外の対象たる恐怖について記すのであるか、わたしはどちらなのでありましょう。 現にいま恐怖している者が、わざわざ筆をとって考えを綴ることができるでしょうか。いや、怖いからこそ、彼は恐怖から逃げようとするでありましょう。そのとき、書くという営為は彼の視界に入ってくるものでしょうか。 いかにも、自分は今恐れを感じているという自覚が得られたならば、彼はもはや書こうとはしないでしょうし、あるいはそう自覚できるということは、すでに恐怖は九割方過ぎ去ったとみて間違いではありますまい。 恐怖の恐怖たるゆえんは、その正体がはっきりとわからないという点にあります。明晰に理解されるような恐れは、人を驚かせることもあるかもしれませんが、取るに足りないものであって、人を日常から引き離し、何も手につかなくさせ、あるいは生活の破滅へと追いやることもないでしょう。 この恐怖の中にあって留まっているものは、それが人であれ人でない何かであれ、必ずペンを取ろうとするでしょう。まだ言葉を操られぬ稚児にあっては、そのとがった先端で、紙を引き裂いてまわるでありましょう。彼は言葉を知らないので書けないのですが、どうしてよいか方途がつかず、結局気の狂ったように目前の白紙にぶつけるしかないのです。もっとも、言葉を習得した大人であっても、きちんと文字を綴るかどうかはあやしいところですが。 恐怖こそ、人を人らしくあらせる情動の最たるものかもしれません。 そのよって来たる所、淵源が、見えません。きはめて不明瞭な感情なのです。生きる人をして立ち止まらせずにはいられません。前向きな活力を奪う、負の力なのです。 簡単に申しますと、筆者が『東都百景』を書きおこしましたのは、この感情ゆえと、今では思います。他に術はあったかもしれませんし、他によい解決法を考えつけなかったわたくしの賤劣な頭脳のせいかもわかりませんが、書くより他にどう仕様もなかったのであります。 それで何か解決したかと言うと、難しいところです。解決などは到底望むべくもないことですが、何かしらの変化、それはいわゆる自己のでありますが、はあったのでは

春景蕩々

今日は三月月末ですね。 「弥生のつごもりなれば、京の花、さかりはみな過ぎにけり」(源氏・若紫) 弥生のつごもりは現在の太陽暦では五月下旬頃にあたるでしょうか。 昔ははるか、京も東になりまして、花は今がさかりであります。 桜の花というのは、やはり他に比べるもののない、特異なものだと、今日のような日はあらためて感じます。 近所の公園を歩いていた私の頭に浮かんだ漢字は、「駘蕩(たいとう)」でした。今日の日柄はまさにそれでありましたな。 一隅に、公園の清掃、世話をする管理事務所の小屋があるのですが、そこに無造作に干されてある雑巾でさえ、普段はただ汚ならしいだけですが、花弁のひらひら舞い落ちる下では、ずいぶん雅趣のあるもので、全体として調和の破れるところなく、春の一景をなしておりました。 この国に住む人間には、特に言葉を尽くして説明する要もないことです。 今朝偶然に行き当たりました一節を引いておわりと致しましょう。 「・・・今ひときは心も浮き立つものは、春の気色にこそあんめれ。鳥の声などもことのほかに春めきて、のどやかなる日影に、墻根(かきね)の草萌えいづるころより、やや春ふかく霞(かす)みわたりて、花もやうやう気色だつほどこそあれ、・・・」(徒然草第十九段) ・・・一際心も浮き立つものは、春の気色でありましょう。鳥の声なども格別に春らしくなり、のどかな日の光のなかに、垣根の草が芽吹き始めるころから、少しづつ春が深くなり、かすみがかかって、桜の花も段々開いてくるころに、・・・

劇場と日常のあひだ

はじめに断っておかねばなりませんが、私はこの稿で、劇場と日常とは同じようなもの、という意味のことを述べますが、それはいわゆる巷間しばしば口に上る所の、人生とはお芝居のようなもの、という趣旨ではありません。 この種の話が出ると、たいてい引かれるのはシェイクスピアですので、少し見ておきましょう。 『ヴェニスの商人』からアントニオのセリフです。 'I hold the world but as the world, Gratiano; A stage where every man must play a part, And mine a sad one.'  「わたしは世をあるがままに受け止めているだけだよ、グラシアーノ、 ひとつの舞台としてね、そこでは誰もが自分の役を演ぜざるをえない、 それで、わたしのは、かなしいものだったというわけさ。」 このような、世界を舞台と見て、人間をその上で何か大きな芝居の一役を演じる(演じさせられている)役者と観じる発想は、西欧ではかなり根深いところがあるように思います。 さて、私が本稿で述べたいのは、 「劇場の仮構と人生の現実との間には、畢竟程度の違いしかない。 現実においてぼんやりとしか見えないものが、劇場でははっきりと見えるだけである。」 ということです。 日常とは、意味の薄いお芝居の一部、といってもよいでしょう。 では、私は、何を見たいのでしょうか。どんな舞台を見たいと願っているのでしょうか。私は現実に何を見ようとしているのでしょう。何を、見ているのか。見てしまっているのか。 私には、何が見えたのか、を述べることしかできません。記憶を反芻することしかできないのです。そうして考えるのです。わたしは、何を見ていたのかと。 たとえばこういう光景です。 永遠。はとが鉄橋に舞い降りて、丸い橋げたを行進していった。光のかすみのなかに、路地の出口の向こうに、小さな公園があって、梅の花がひらりと舞い落ちた。 これは何でしょうか。どんな物語の一部なのでしょうか。あまりに印象が強く迫るので、人は考えざるを得なくなるのです。が、難しいことです。劇場と違って、決まった筋書きも題目も解説のパンフレットも、渡されていないのですから。始めは当惑することしかできないでしょう。

「爲人」補足(昨日の日記への参照箇所引用)

昨日の投稿 で、以下のように述べた部分について、ひとつだけリファレンスをあげておきます。 「・・・すなわち、自分の役に立てるためにするか、人々のお役に立つためにするか、というのが論点になります。 自分のためにする、と言っても、自分の我欲のため、つまり仕官してよりよい地位を得て権力を持ち裕福な偉い成功者になりたい、という風に解しますと、これはどうも孔子が称揚するような学問の仕方とは思えません。 一方、他人のためにする、というのは、我執を捨てて学に徹し、世のため人のために役に立つように、つまり世をうまく治められるように、ひいては人民が安寧に暮らしを送られるように、学問に精進する、という意味に取れば、孔子の志に反するほどのこととは思えません。」 次に引用するのは、生財と題された一篇の中の文句です。 「小人欲以利己。君子欲以利民。利己者私也。利民者公也。公者榮。私者亡。」 小人はもっておのれを利せんと欲し、君子はもって民を利せんと欲す。己を利する者はわたくしなり。民を利する者は公(おおやけ)なり。公なる者は栄え、私なる者は亡ぶ。 これは内村鑑三の『代表的日本人』の中で、西郷南洲の文章として引用されたため、大西郷の言葉として馴染み深いものになっていますが、実際は、二宮尊徳の高弟で『報徳記』を著した、富田高慶の文とするのが穏当な様です。(今手元に資料がないのではっきりしたことは分かりません。後日加筆するかもしれません。) この引用箇所では、自分のためにするのは小人で、人民のためにするのが君子であると、明言されています。そして、小人は滅び、君子は栄えるとされています。大変素朴で明快な対比です。 己(おのれ)のためにするのは、論語では、理想として語られていました。また、人のためにするのは、頽落した現実のありさまとして批判されていました。ですから、字面だけを見ると、引用した箇所と正反対の意味になっています。生財篇では、己のためにするのは滅びに至る我欲の道で、人のためにする方こそ君子の取るべき道だとされているからです。 もちろん、孔子は、今回引いた箇所と同じ意味で、「己のためにす」と「人のためにす」とを対比して語っているわけではないでしょうから、たとえば、「爲人」という語句を「人に知られるように」という風に解釈して読もうとしているわけです。

「爲人(ひとのためにす)」をめぐって

今朝ふとんの中で思いましたること、ここに記し置きます。 子曰 古之學者爲己 今之學者爲人 とは、よく引かれる一節ではありますが、大体次のように解釈されるのが通例です。 「先生が云われることには、ふりし世(聖賢の時代)の学者は自分のために学問に励んだものだ、一方今の学者は人に知られるための手段として学問にいそしんでいる。」 要するに、勉強する動機、目的について、昔と今とで違いがあると述べているわけです。昔、というのはつまり孔子の理想が仮託された今ならざるかつてという意味ですが、古きよき時代には、勉強はまづ自分自身の身を修めるためのものであった。しかし、最近の人々は、官職登用のための方途として学びをしている。まことに嘆かわしい、ということです。 「為人」という字句の解釈は、たとえば、『近思録』には、 古之學者爲己 欲得之於己也 今之學者爲人 欲見知於人也 とあり、人の間で声望をあげることを望んで(学問をする)、という意味で読まれているのがわかります。 ですが、「為己」を「自分自身のためにする」と読みましたので、その続きでもって進めば、「為人」は「他人のためにする」と読みたくなります。そうすると、この話しの焦点は、少しずれて参ります。すなわち、自分の役に立てるためにするか、人々のお役に立つためにするか、というのが論点になります。 自分のためにする、と言っても、自分の我欲のため、つまり仕官してよりよい地位を得て権力を持ち裕福な偉い成功者になりたい、という風に解しますと、これはどうも孔子が称揚するような学問の仕方とは思えません。 一方、他人のためにする、というのは、我執を捨てて学に徹し、世のため人のために役に立つように、つまり世をうまく治められるように、ひいては人民が安寧に暮らしを送られるように、学問に精進する、という意味に取れば、孔子の志に反するほどのこととは思えません。 ただ、どうして以上のような解釈にならないかと言うと、「古」という語があるからです。古(いにしえ)というのはつまり理想の世でもありますので、「為己」を、自分一個の出世欲のために、と読むのはおかしいわけです。 当時の時代状況に即してみても、おそらく『近思録』に代表される読みが妥当なのだと思います。 とは言っても、この箇所には何かひっかかるものが残ります。

ことばの探求(日記)

我々に残された課題としては、実に厖大なものがございましょうが、その中で、いま強く思うのは、ことばの探求でございます。 言葉を用いた探究ではございません。言葉を求めたいということでございます。 現今人間が使役しておりますものは、おそらく、数ある可能性の中の一つの実現態に過ぎませんでしょう。わたくしは、まづ、そのことをはっきりと認識したいと願っております。 この現在使用されている言語というものが、どこより生じて、いかなる様式に於いて用いられているか、この点について、研究してみねばなりません。他に何かよい道があるならよいのですが、かくある言語についての観察を通して、ここを端緒として、進んで行く他ございません。ただ、地面を掘って行けばいつかお宝に突き当たるだろう、という楽観を持つには、事情は少し厳しいように思います。多分ですが、このまま掘り進めても、地中に我々の求める輝きはないのです。 すでに与えられた言葉を使って何らかの対象について語る、というのと、ことばの可能性を凝視して、これではないような言語を探る、というのとは、同じことではございません。 どのようにして何かあらたな言葉といったものに近づくか、まだその方法すら判明ではありません。言葉によってでしょうか、数式によってでしょうか、それともイメージによってでしょうか、私達は何かいま存在している物によってしか、そもそも探求できないのでしょうか。しかし、いま存在していない言語のことを、どうやって取り扱うことができるでしょうか。私達は何かについて語ることはできても、何かではないことについて有効に語ることはできないのです。

悲惨さによせて(日記)

わたしたちの生はそれはまあ悲惨な一大絵巻ではあるが、その源はどこにあるのであろうか。 と、このようなとぼけた書き出しの存在が、もはやまぎれもない悲惨を例示しているのであるが。悲惨について述べる言の葉の、なんと悲惨なまでに悲惨でないこと。 絶望という語は人の手垢にまみれてべたべたになっている。会話の中でその単語が口に交わされる機会が他の言葉に比べて抜きん出て多いというわけではない。むしろ日常のやりとりの中では使われないことの方が多い。なのに我々にはその言葉は何よりも親しい。心内でよく発せられるのでもない。その言葉を内でも外でも使用しなくとも、我々はその言葉を何よりもよく知っている。 その言葉のまとう雰囲気は独特だ。我々が絶望を口にするとき、それは語の本来持つ生のままの意味で用いられるのではなく、大げさな滑稽の語感を伴って、少しの笑いを含んだものとして、話者と聴者に了解されることが多い。 わたしたちは絶望を知っているのだろうか。つまり、私達は絶望しているだろうか。 望みが絶えるのは、まったく悲しいことではない。むしろきわめて好ましいことだ。もし自分の持つあらゆる欲望の火が消えたなら、それはどんな静寂にも勝って静かであろうし、惑いに踊らされることもなく、落ち着いて時を享受することができるだろう。現実に於ては、望みが絶えないことが私達の絶望となっている。 私達は普段絶望という語を何か良い意味合いで受けとめているのではない。「彼女にはそのとき絶望しかなかった」と聞いて、心が愉快になり、「それは良かった」と晴れ晴れと応える者は、私達の持つ標準から見ればだいぶ変わっている。 私達に馴染み深い絶望の語義は、望みが絶える、ではなく、望みの実現が絶える、である。望み自体は変わらぬままあるのであり、ないのはその実現の可能性である。要するに、どうにも自分の思い通りにはならない、という嘆きに他ならない。 ただ、もしも望みの実現可能性が零だと確実判明な認識を得ることができたならば、私達は安んじて望みを放棄するのではないか。であってみれば、望みが絶えるのも望みの実現が絶えるのも、根は同じで切り離せない二現象と言えよう。 それで肝腎の我々の悲惨であるが、これは絶望できないという一点に負うことが大きい。生が続く中で、絶望し続けるのは難しい。絶望的

濁世の酩酊について

酒を呑む者は酔っ払いになる。しらふでいる者は詩人になる。 どうもこの塵界ではそうである他ないようです。 たいていの方々は、両極端の中間を行くのが常でありましょう。 ある程度明晰な頭脳を働かせつつ、適宜酒を入れる、という具合です。 酔っ払いの特徴は、現実定位、常識を備え、社会の良き市民として暮らし、自他のために労働する、等々。 対して、しらふは、空想に逃れ、およそ非常識で、社会のつまはじき者として追いやられ、働くことをしません。 あはれな詩人様ですが、酒を飲むのを我慢して頑張っているというよりは、手当たり次第に酒樽を空にしても、どうしても酔えなかった、という類であるかと。必死に酔いたいと思えば思うほど、心は酩酊より遠ざかって行くのであります。 ただ、覚えておかねばならないのは、一見まともに見える良識者の振る舞いは、その根柢に最もまともでない部分を隠しているということでしょう。すなわち、酔っているからこそ、冷静に選択し適切に行為することができるのです。 狂気に近くて親しいお酒ですが、どちらかと言えば、酒の抜けたしらふの状態の方が、あちらに親近なのだと思われます。 酒を呑む者は社会人になる。飲まないでいる者は狂人になる。 そう言うこともできましょう。 本当に狂っているのはどちらか、それは何とも判じかねますが、どちらも同じくらい、かなしいものでしょう。

冷蔵庫によせて(日記)

冷蔵庫の作動音がする。一定の低い音が継続して空気を震わせる。事情があって吠え声をあげることのできない野生の捕食者がうなっているかのよう。自分の身を供するつもりのないわたくしは、正面に座り込んで相対する。 鼓膜に伝わり音として認識されるというよりは、からだ全体に振動の波が届いて揺すられる。昭和の終わり頃に各家庭に流行した、電動マッサージ機を全身に遠くから当てられている感。こちらは一向ほぐれないし、筋肉に緊張が強いられるばかりで、心地よくない。床の木材を通して伝わる手負いの獣の低いうめき声は、誰か他者へ向けての表現というのでもなく、それでも聞いているわたくしは、不快のなかに何らかの快がないものかと、重低音をかき分ける。 しかし我が身にとりては不愉快なるも、もの知らぬ幼児にあっては遊園地の乗り物くらいは愉快なめづらしいものかもしれぬ。家にいると、常に聞こえてくるのがこの音だから、もはや目新しさのかけらも感じられず。確かにこの生活器具が開発された当時の耳には、新鮮に響いたものかも知れない。変わったのは時代だろうか。冷蔵庫の地位、価値、尊厳は、今やその動作音を騒々しく感じるほどに、軽いものになり果てた。 ただ、遺憾ながら、当時も幼児も、君の機械音はそもそも不快であったかも知れない。あんなにマッサージ機が流行った頃でさえ、冷蔵庫の前に座ったり、あるいは抱きついたりして過ごす者は、おそらく一握りであったろう。冷蔵庫という陳腐な存在が、その先入見が、我々の耳をして不愉快に感じせしめる、というわけでもないかも知れない。 もっとも、これが私一個の妄想に過ぎぬ可能性はある。実は世の多数派はこの低振動を愛好しておるのではなかろうか。その証左に、冷蔵庫から漏れる音はかくも技術の進展著しき時代にも相変わらず残っている。むしろ大切に保存せられている。多分、わたくしは少しく神経症なのだろうとおもう、いつも家にいて聞こえて来るのがこの音ばかりだから、食傷してうんざりしているだけなのだ。 ほら、よく感じてごらん、腹に響く振動も、気持ちよいものだ。二十四時間働いて休憩もなく、おやつも食べずに、我らの食糧を、日々の糧を、懸命に保存している。そうおもえば、どんな恩知らずだって、ありがたいと感じるだろうし、そう感じるなら、冷蔵庫の騒音も、妙なる楽音となって、家にいる人を分け隔てなく幸せにす

作者と作品の間の距離

最近、本に対する弁明を求められる機会が増えると共に、自分の態度にも変化が現れてきました。以前は、知らないものは知りませんので、その通りに知らないと答えていたのですが、もう少し言葉を尽くしてもよいのかもしれないと思い始めています。 以前は、自分の書いた文章について、片言隻句でも洩らすまいと、固く心に決めていました。筆者としての自分の仕事は、本を上梓した時に、もうすでに尽きているのだから、この上なにか喋ることは、非常に美しくないことだ、と感じていました。実際、執筆者としての仕事は、作品を書き終えた瞬間に終わるのですから、脱稿後の書き手はもはや作者でも何でもない、ただのひと、なのです。そんなただのひとが、自分が書いたものだからと笠に着てあれこれと口を出すのは、とても愚かしい振る舞いに違いありません。 筆者という立場からの答えは、今も昔も変わっていないのです。沈黙を保つ他はありません。しかし、書き終えて、時間が経つ内に、自分と本との距離も開いて行き、いわば、読者の一人として自著に対することができるようになって来たと感じています。 どうも、時間の経過によって生じる作品との距離、というものがあるようなのです。 始めは癒着して一つにくっついていた書き手と書かれた物とが、少しづつ剥がれるように分かれて行き、お互いがお互いのことを自分とは違うものとして意識し始める、そんなことが起こるようです。このまま時が経てば、やがてお互いに手の届かぬ距離まで間があいてしまうのでしょうか。それとも、様々な交錯の末に、二つのものがそれぞれの独自性を失うことなく、一つにつながり合って落ち着く、そんな風になるのでしょうか。今はまだ想像できません。 自分の書いた著書を、一定の距離を置いた一人の読者として読むことができる、というのは、考えてみればなかなか不思議な体験です。少なくとも、書いた当時、あるいは書き終えた後の一、二年は、想像できませんでした。 あらためて自分の書いたものを読んでみた感想は、前回の記事( 「筆者による内容紹介」 )に少しだけ述べておきました。 よい書き手が常によい読み手でもあれば、話しは簡単なのでしょうが、どうもあまり関係がないようです。 書くことと読むことはまるで異なる運動なのですね。 書き手と書かれたものとの間に空白が、つまり余裕が生まれ、書いた者

Kindle版 『東都百景 頒布版(二)』 筆者による内容紹介

概要: 『東都百景』全体を五つに分けて、逐次Kindle版として、お届けしていますが、今回ダウンロード可能となりましたのは、二番目の部分、二十一から四十景までを収めたものとなります。 文字表記: 文字づかいや漢字につきましては、書籍版から変更してあります。 漢字については、技術的な問題がありまして、Kindleでの画面表示ができない字体などは、適宜置き換えてあります。また、仮名につきましては、大体の部分で、いわゆる現代かなづかいを採用しています。 これは読みやすさを考慮してのことです。文字の問題で読者がはじめからつまづくのは、筆者の本意とすることではありません。文字の問題はけして字面だけの表面的なものにはとどまりませんが、このKindle版で慣れて頂き、さらに興味をお持ちになる場合にのみ、書籍版へとお進み下さればよろしいかと思います。 もっとも、書籍版もすべてが旧かなで記されているわけではありません。そのあたりの按配は、筆者が工夫したものですので、書籍版ではお楽しみ頂けると思います。 内容: 頒布版(一)から続いて、ゆっくりと進んで行きます。 この作品の中心近くにあって影に潜んでいる何ものかが、少しづつ、その存在を示し始めます。ここからの解答は、抜け道は、脱出口は、希望のあかりは、まだ紙面には感じ取られません。いや、どうでしょうか。そもそも、それは希望でふさげるような傷口ではないのでしょう。いや、そういうものである可能性もあるかも知れませんが、そのような無粋な振る舞いは、まだ筆には見られません。 今回、『東都百景』を読み直して、あらためて思いましたが、この作品の最初と最後で、何か変化は認められるでしょうか。 歳をとった、とか、思慮深くなった、とか、暗くなった、とか、明るくなった、とか、そういう言葉で表現され得る変化ではなく、作品の中で綴られた言葉の流れによってしか変化し得なかったような、他のどんな描写言語でも記述できないような、そういった変化のことです。 もっと言えば、何か技術を学んでその分野において進歩したとか退歩したとかいうことではなく、筆者自身の存在の変化、を問題にしたいのでもありません。学習の可能性についてはそれはそれで問題とするに値する事柄ではありますが、これは書き手自身の成長物語ではないのです。書き手は主題には

則天去私という生活感情について

則天去私(てんにのっとりて、わたくしをさる)は思想として捉えますと実に陳腐なものです。しかし、金之助さんの生活を思い合わせてみますと実に人間らしいお覚悟と思われて参ります。 もっとも、陳腐に見えるということ自体はその思想の真実性とは関係のないことです。何らかの思想というものが、人の生と遊離して一人歩きし始める前に、ある特殊な個人の生存の上で、到達され掴まれ、密接な関わりの中で、血の通ったものとして生きて働く、そんな現場を、氏の仕事に思いを寄せます者は、目の当りにする心地がするものです。

『東都百景』 Kindle版も製作中です

以前、 「本を買いたいのだけれど、値段が高いので手が出しにくい。」 というお話を頂いて以来、考えていたのですが、Kindle版をつくることにしました。 本の全体を五つに分け、全五篇とし、一篇ずつ購入できるようにするつもりです。 値段は、書籍の方が高くなってしまいましたので、釣り合いをとる意味も含めて、 一篇99円としたいと思います。 何年もの歳月をかけた作品の値段としては安過ぎるように感じてしまいますが、 まづは手に取って読んでもらわなければ、何も始まりませんから、 設定可能な一番安い価格にしてみました。 試し読みのような感覚で、まづひとつを読んで頂ければと思います。

宣伝文句を考案してみました

こんな宣伝文句はいかがでしょう。 今、「われらの生存はいかなるものであるか」と慨嘆されたあなたへ ――白子柞 『東都百景』―― もし電車の中刷り広告にこのような文句が貼ってあったら、よし買おう、と思いますか。 いやむしろ、不愉快に思われる方が多いのではないでしょうか。 「なに、俺たちの実存はどういうものか、だって?そんなこと、教えてもらわなくとも十二分に知っているよ。息苦しい満員電車に押し込められて毎日通勤、身も心もぼろぼろになるまで働かされて、疲れて帰れば女房の小言、休まる天地はどこにある、ってな馬車馬さ。」 あるいは、こういう方も多いでしょう。

もののかなしさについて

ものがなしい、とでも言ったらよいのであろうか。 昼も半ばを過ぎて、小腹がすいたので、頂いたお菓子をつまんでいると、 言いようもないむなしさに、涙がこぼれそうになる。

散歩随想

さきほど、久しぶりに、近所を散歩して参りました。 昼間の散歩はいつ以来でしょう。 少なくとも今年に入りましてからは初めてのことです。 歩くときは決まって日の落ちた後でございましたから、 今日は見えるものがめづらしく、また奇妙で、 どこかふわりとした感じのまま帰宅しました。 いったい、自分が住んでいるのが、 かようにひなびた、汚らしい所だとは、 普段意識しておりませんでしたので、 意外の光景に少し驚きを感じつつ、辻々を巡りました。

考えるのと考えさせられているのとは違うということについて

道路工事、カラスの声、鳴弦、靴音、お喋り、などを、騒音、雑音と感じることがある。騒がしいと感じるのは不快なものだ。しかし、同時に何か感じるものがある。奥の方にかすかに胸をざわつかせる何かが潜んでいる。 それは不快とは在り様を異にする、違和感といったものだ。快感であれば、おそらく立ち止まることなく過ぎてしまうだろう。不快において、顔をしかめた人が、規則正しく律動させていた足をとめ、じっと聞き耳を立てる。彼は探っているのだ。不快の源を。不快から離れたいがために不快を知ろうとしているのだ。それで彼は気付いた。しげみの向こうにほの見える何かしらざわめきたるものを。それが息をひそめてこちらを伺っているのを。 彼は一度その存在に気づいてしまえばもう忘れて陽気に駆け回ることができない。彼は目をこらす。そして言葉をかけてみる。おまえはなにか、と。こたえは返ってこない。 おそらく問い方を間違えたのだろう。さて、

本を書いた後の苦しみについて

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『東都百景』を書いていたときは、毎日針の筵(むしろ)に座っているようでしたが、今思いますと、ほんとうに苦しいのは、本を書いている間ではなく、書き終えた後かもしれません。よほどの楽天家でもなければ、本が売れないという現実に心が押しつぶされてしまうでしょう。 勇気を振り絞って語りかけた相手に無視される、という出来事が、毎日毎日繰り返し続くようなものです。もちろん、話しかけるのをやめれば、こちらの心の重荷も軽くはなるのでしょうが、どうしても思いきれず、わかってはいるのに、この身を放り出して、また同じように語りかけてしまうのです。我ながら愚かなものと思います。 話しかける相手を間違えているのでしょうか。たとえば、釣りが趣味の人たちの集まりに出かけて行って、アリストテレスのギリシア語について演説をぶつのと似たことをしているのでしょうか。その集まりの中には一人くらいはギリシア語の専門家がいて、話を聞いてくれるかも分かりませんが、必ず残りの九割から顰蹙を買うことでありましょう。いわゆる、場違いな行為であり、私は空気が読めない、迷惑な奴に他なりますまい。

書くことについて

奇蹟について語る言葉はありふれているが、奇蹟そのものであるような言葉は稀である。人が書きたいと願い、聞きたいと欲するのは、しかし、そういう言葉ではないだろうか。もしそんな言葉がどこかにあったら、それがどんな辺境の未開地であれ、どんな恐ろしい蛮獣の棲む巣窟であれ、行って見たいと思わない人がいるだろうか。そしてもし手に入れることができたら、どんな大金を積まれたとしても、今日の糧にも事欠くありさまであったとしても、手放そうとする者があるだろうか。それこそ他に架け替えようもない宝物ではないか。

最初の読者からの『東都百景』の感想

みなさまこんにちは。まだ寒い日が続きますね。 先日旧友のよしみで拙著を買って頂いた方から、 本の感想を頂いたのですが・・・・・・ 「読めない」というものでした。 文意がわからないとか、理解できないということではなく、 そもそも文字を読むことができない、ということのようです。

著作紹介 東都百景(6)

みなさまこんばんは。 私は前稿で、 自著についての定見を筆者ほどよく備えていない者はない、 という意味のことを述べました。 今回は、もう少しその内実に踏み込んでみましょう。

著作紹介 東都百景(5)

みなさまこんにちは。 今日も冷えますね。 さて、数回にわたり、 拙著『東都百景』の紹介を続けて参りましたが、 いかがでしょう、当作がいったいどのような書物であるか、 想像がおつきになったでありましょうか。 幾分かでも、だいたいこのような著述なのだろうな、 くらいの見当でもつけて頂けたなら、 私としても嬉しいのですが、 結局のところ、直截に言って何の本なのか、 単刀直入に教えてほしい、という感想を抱いた方も、 中にはいらっしゃるかもしれません。

著作紹介 東都百景(4)

あやしうこそ ものくるほしけれ といふのは、 一日中硯(すずり)に向かってゐた方の感想でございますが、 わたくしも机に坐って白紙を前にしてをりますと、 なにやら色々なことが思はれて参ります。 今日はそんな中からひとつ、 皆様に聞いて頂くことに致しませう。 『東都百景』といふ書きものが、 どんな様子で生まれたか、 幾分かでもお伝へできればと思ひます。

「おとづれ」 三 (承前)

彼は仕事をくびになった 慕っていた上役(うわやく)には悩みを打ち明けたが とりあってもらえず 失望したと告げられた 彼は自宅にこもるようになった 同僚や部下の蔑みの視線からは逃れられたが 同じ屋根の下に住まう家族の心配そうな顔を見ると 申し訳ない気持ちでうつむくしかなかった

「おとづれ」 二 (承前)

毎日の仕事に出かけようと ドアのノブに手をかけて いつもするように回そうとしたとき 何かいつもと違うことがおとづれた 彼は遅刻の心配をした 回そうとした手はしかし 回らなかった

「おとづれ」

彼はおどろいた 何に驚いたのか彼にはわからなかった 不可思議でおもしろおかしいものを見たり 世にもめづらしい奇妙な話を聞いたり おとなりが崩れて地響きに揺れたのでもない

著作紹介 東都百景(3)

昨日申しました通り、 私はこのブログで『東都百景』という作を紹介するつもりではございますが、 闡明(せんめい)するものではございません。 もしも、そのように見えることを私が愚かにも書きこんでしまい、 それが作品の意味を解説したものと受け止められるなら、 とても心苦しいことです。 作品というのは、これは作者の所有物ではございません。 今ここで取り上げておりますのは、法解釈上の話ではなく、 作り手の意識の観点より見た、作品と作者の間柄の問題です。

著作紹介 東都百景(2)

「何かまじめな意図があるようなのは感じ取れたけど、よく分からない」 というのが、『東都百景』という著述について、わたしが最初に頂いた感想です。 本を読んでくださいました方から説明を求められたこともあります。

著作紹介 東都百景(1)

それでは、作りました本について、日々少しづつ、 紹介のことばを並べて参りたいと存じます。 今回は、まづ、概要を記しておきましょう。 書名は 『東都百景』 で、 「あづまみやこのひゃくのけい」と読ませてあります。

はじめのごあいさつ

このたびブログを始めることになりました。 白子柞(しらこははそ)と申します。 思うところがございまして、このたび本を上梓することになりました。 今この時代における人という存在を、特定の個人の、つまり筆者の、 一年間の歩みに即して、歌い上げたものです。 論文でも随筆でもございません。文体も内容も、 流通しております一般的なものからは離れてしまいましたが、 このような仕方でしか関わることのできない何ものかと、 肩を並べて歩いた証とお察しください。 内容から申しまして、 たくさん売れるような種類の本ではないのですが、 この本を読んで、大切に受け止めてくださいますような読者の方に、 もしおひとりでもいらっしゃればではございますが、 この作品がめぐり会うことのできるような機会を用意してあげたい、 そう筆者としてせめて願わずにはいられません。 これからこのブログを通して、少しづつ、 自著の紹介をして参りたいと思っております。 お手すきの折々にでも、 少しばかりのお付き合いを願えましたら幸いでございます。 ブログというものを書くのは何分はじめてでございますもので、 閲覧して下さる方には思わぬご不便、 ご迷惑をお掛けすることがあるかも分かりませんが、 不備の点はつとめて改めて参りたいと存じます。 どうぞよろしくご寛恕のほど願い上げます。 ははそ拝