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春景蕩々

今日は三月月末ですね。 「弥生のつごもりなれば、京の花、さかりはみな過ぎにけり」(源氏・若紫) 弥生のつごもりは現在の太陽暦では五月下旬頃にあたるでしょうか。 昔ははるか、京も東になりまして、花は今がさかりであります。 桜の花というのは、やはり他に比べるもののない、特異なものだと、今日のような日はあらためて感じます。 近所の公園を歩いていた私の頭に浮かんだ漢字は、「駘蕩(たいとう)」でした。今日の日柄はまさにそれでありましたな。 一隅に、公園の清掃、世話をする管理事務所の小屋があるのですが、そこに無造作に干されてある雑巾でさえ、普段はただ汚ならしいだけですが、花弁のひらひら舞い落ちる下では、ずいぶん雅趣のあるもので、全体として調和の破れるところなく、春の一景をなしておりました。 この国に住む人間には、特に言葉を尽くして説明する要もないことです。 今朝偶然に行き当たりました一節を引いておわりと致しましょう。 「・・・今ひときは心も浮き立つものは、春の気色にこそあんめれ。鳥の声などもことのほかに春めきて、のどやかなる日影に、墻根(かきね)の草萌えいづるころより、やや春ふかく霞(かす)みわたりて、花もやうやう気色だつほどこそあれ、・・・」(徒然草第十九段) ・・・一際心も浮き立つものは、春の気色でありましょう。鳥の声なども格別に春らしくなり、のどかな日の光のなかに、垣根の草が芽吹き始めるころから、少しづつ春が深くなり、かすみがかかって、桜の花も段々開いてくるころに、・・・

劇場と日常のあひだ

はじめに断っておかねばなりませんが、私はこの稿で、劇場と日常とは同じようなもの、という意味のことを述べますが、それはいわゆる巷間しばしば口に上る所の、人生とはお芝居のようなもの、という趣旨ではありません。 この種の話が出ると、たいてい引かれるのはシェイクスピアですので、少し見ておきましょう。 『ヴェニスの商人』からアントニオのセリフです。 'I hold the world but as the world, Gratiano; A stage where every man must play a part, And mine a sad one.'  「わたしは世をあるがままに受け止めているだけだよ、グラシアーノ、 ひとつの舞台としてね、そこでは誰もが自分の役を演ぜざるをえない、 それで、わたしのは、かなしいものだったというわけさ。」 このような、世界を舞台と見て、人間をその上で何か大きな芝居の一役を演じる(演じさせられている)役者と観じる発想は、西欧ではかなり根深いところがあるように思います。 さて、私が本稿で述べたいのは、 「劇場の仮構と人生の現実との間には、畢竟程度の違いしかない。 現実においてぼんやりとしか見えないものが、劇場でははっきりと見えるだけである。」 ということです。 日常とは、意味の薄いお芝居の一部、といってもよいでしょう。 では、私は、何を見たいのでしょうか。どんな舞台を見たいと願っているのでしょうか。私は現実に何を見ようとしているのでしょう。何を、見ているのか。見てしまっているのか。 私には、何が見えたのか、を述べることしかできません。記憶を反芻することしかできないのです。そうして考えるのです。わたしは、何を見ていたのかと。 たとえばこういう光景です。 永遠。はとが鉄橋に舞い降りて、丸い橋げたを行進していった。光のかすみのなかに、路地の出口の向こうに、小さな公園があって、梅の花がひらりと舞い落ちた。 これは何でしょうか。どんな物語の一部なのでしょうか。あまりに印象が強く迫るので、人は考えざるを得なくなるのです。が、難しいことです。劇場と違って、決まった筋書きも題目も解説のパンフレットも、渡されていないのですから。始めは当惑することしかできないでしょう。

「爲人」補足(昨日の日記への参照箇所引用)

昨日の投稿 で、以下のように述べた部分について、ひとつだけリファレンスをあげておきます。 「・・・すなわち、自分の役に立てるためにするか、人々のお役に立つためにするか、というのが論点になります。 自分のためにする、と言っても、自分の我欲のため、つまり仕官してよりよい地位を得て権力を持ち裕福な偉い成功者になりたい、という風に解しますと、これはどうも孔子が称揚するような学問の仕方とは思えません。 一方、他人のためにする、というのは、我執を捨てて学に徹し、世のため人のために役に立つように、つまり世をうまく治められるように、ひいては人民が安寧に暮らしを送られるように、学問に精進する、という意味に取れば、孔子の志に反するほどのこととは思えません。」 次に引用するのは、生財と題された一篇の中の文句です。 「小人欲以利己。君子欲以利民。利己者私也。利民者公也。公者榮。私者亡。」 小人はもっておのれを利せんと欲し、君子はもって民を利せんと欲す。己を利する者はわたくしなり。民を利する者は公(おおやけ)なり。公なる者は栄え、私なる者は亡ぶ。 これは内村鑑三の『代表的日本人』の中で、西郷南洲の文章として引用されたため、大西郷の言葉として馴染み深いものになっていますが、実際は、二宮尊徳の高弟で『報徳記』を著した、富田高慶の文とするのが穏当な様です。(今手元に資料がないのではっきりしたことは分かりません。後日加筆するかもしれません。) この引用箇所では、自分のためにするのは小人で、人民のためにするのが君子であると、明言されています。そして、小人は滅び、君子は栄えるとされています。大変素朴で明快な対比です。 己(おのれ)のためにするのは、論語では、理想として語られていました。また、人のためにするのは、頽落した現実のありさまとして批判されていました。ですから、字面だけを見ると、引用した箇所と正反対の意味になっています。生財篇では、己のためにするのは滅びに至る我欲の道で、人のためにする方こそ君子の取るべき道だとされているからです。 もちろん、孔子は、今回引いた箇所と同じ意味で、「己のためにす」と「人のためにす」とを対比して語っているわけではないでしょうから、たとえば、「爲人」という語句を「人に知られるように」という風に解釈して読もうとしているわけです。

「爲人(ひとのためにす)」をめぐって

今朝ふとんの中で思いましたること、ここに記し置きます。 子曰 古之學者爲己 今之學者爲人 とは、よく引かれる一節ではありますが、大体次のように解釈されるのが通例です。 「先生が云われることには、ふりし世(聖賢の時代)の学者は自分のために学問に励んだものだ、一方今の学者は人に知られるための手段として学問にいそしんでいる。」 要するに、勉強する動機、目的について、昔と今とで違いがあると述べているわけです。昔、というのはつまり孔子の理想が仮託された今ならざるかつてという意味ですが、古きよき時代には、勉強はまづ自分自身の身を修めるためのものであった。しかし、最近の人々は、官職登用のための方途として学びをしている。まことに嘆かわしい、ということです。 「為人」という字句の解釈は、たとえば、『近思録』には、 古之學者爲己 欲得之於己也 今之學者爲人 欲見知於人也 とあり、人の間で声望をあげることを望んで(学問をする)、という意味で読まれているのがわかります。 ですが、「為己」を「自分自身のためにする」と読みましたので、その続きでもって進めば、「為人」は「他人のためにする」と読みたくなります。そうすると、この話しの焦点は、少しずれて参ります。すなわち、自分の役に立てるためにするか、人々のお役に立つためにするか、というのが論点になります。 自分のためにする、と言っても、自分の我欲のため、つまり仕官してよりよい地位を得て権力を持ち裕福な偉い成功者になりたい、という風に解しますと、これはどうも孔子が称揚するような学問の仕方とは思えません。 一方、他人のためにする、というのは、我執を捨てて学に徹し、世のため人のために役に立つように、つまり世をうまく治められるように、ひいては人民が安寧に暮らしを送られるように、学問に精進する、という意味に取れば、孔子の志に反するほどのこととは思えません。 ただ、どうして以上のような解釈にならないかと言うと、「古」という語があるからです。古(いにしえ)というのはつまり理想の世でもありますので、「為己」を、自分一個の出世欲のために、と読むのはおかしいわけです。 当時の時代状況に即してみても、おそらく『近思録』に代表される読みが妥当なのだと思います。 とは言っても、この箇所には何かひっかかるものが残ります。

ことばの探求(日記)

我々に残された課題としては、実に厖大なものがございましょうが、その中で、いま強く思うのは、ことばの探求でございます。 言葉を用いた探究ではございません。言葉を求めたいということでございます。 現今人間が使役しておりますものは、おそらく、数ある可能性の中の一つの実現態に過ぎませんでしょう。わたくしは、まづ、そのことをはっきりと認識したいと願っております。 この現在使用されている言語というものが、どこより生じて、いかなる様式に於いて用いられているか、この点について、研究してみねばなりません。他に何かよい道があるならよいのですが、かくある言語についての観察を通して、ここを端緒として、進んで行く他ございません。ただ、地面を掘って行けばいつかお宝に突き当たるだろう、という楽観を持つには、事情は少し厳しいように思います。多分ですが、このまま掘り進めても、地中に我々の求める輝きはないのです。 すでに与えられた言葉を使って何らかの対象について語る、というのと、ことばの可能性を凝視して、これではないような言語を探る、というのとは、同じことではございません。 どのようにして何かあらたな言葉といったものに近づくか、まだその方法すら判明ではありません。言葉によってでしょうか、数式によってでしょうか、それともイメージによってでしょうか、私達は何かいま存在している物によってしか、そもそも探求できないのでしょうか。しかし、いま存在していない言語のことを、どうやって取り扱うことができるでしょうか。私達は何かについて語ることはできても、何かではないことについて有効に語ることはできないのです。

悲惨さによせて(日記)

わたしたちの生はそれはまあ悲惨な一大絵巻ではあるが、その源はどこにあるのであろうか。 と、このようなとぼけた書き出しの存在が、もはやまぎれもない悲惨を例示しているのであるが。悲惨について述べる言の葉の、なんと悲惨なまでに悲惨でないこと。 絶望という語は人の手垢にまみれてべたべたになっている。会話の中でその単語が口に交わされる機会が他の言葉に比べて抜きん出て多いというわけではない。むしろ日常のやりとりの中では使われないことの方が多い。なのに我々にはその言葉は何よりも親しい。心内でよく発せられるのでもない。その言葉を内でも外でも使用しなくとも、我々はその言葉を何よりもよく知っている。 その言葉のまとう雰囲気は独特だ。我々が絶望を口にするとき、それは語の本来持つ生のままの意味で用いられるのではなく、大げさな滑稽の語感を伴って、少しの笑いを含んだものとして、話者と聴者に了解されることが多い。 わたしたちは絶望を知っているのだろうか。つまり、私達は絶望しているだろうか。 望みが絶えるのは、まったく悲しいことではない。むしろきわめて好ましいことだ。もし自分の持つあらゆる欲望の火が消えたなら、それはどんな静寂にも勝って静かであろうし、惑いに踊らされることもなく、落ち着いて時を享受することができるだろう。現実に於ては、望みが絶えないことが私達の絶望となっている。 私達は普段絶望という語を何か良い意味合いで受けとめているのではない。「彼女にはそのとき絶望しかなかった」と聞いて、心が愉快になり、「それは良かった」と晴れ晴れと応える者は、私達の持つ標準から見ればだいぶ変わっている。 私達に馴染み深い絶望の語義は、望みが絶える、ではなく、望みの実現が絶える、である。望み自体は変わらぬままあるのであり、ないのはその実現の可能性である。要するに、どうにも自分の思い通りにはならない、という嘆きに他ならない。 ただ、もしも望みの実現可能性が零だと確実判明な認識を得ることができたならば、私達は安んじて望みを放棄するのではないか。であってみれば、望みが絶えるのも望みの実現が絶えるのも、根は同じで切り離せない二現象と言えよう。 それで肝腎の我々の悲惨であるが、これは絶望できないという一点に負うことが大きい。生が続く中で、絶望し続けるのは難しい。絶望的

濁世の酩酊について

酒を呑む者は酔っ払いになる。しらふでいる者は詩人になる。 どうもこの塵界ではそうである他ないようです。 たいていの方々は、両極端の中間を行くのが常でありましょう。 ある程度明晰な頭脳を働かせつつ、適宜酒を入れる、という具合です。 酔っ払いの特徴は、現実定位、常識を備え、社会の良き市民として暮らし、自他のために労働する、等々。 対して、しらふは、空想に逃れ、およそ非常識で、社会のつまはじき者として追いやられ、働くことをしません。 あはれな詩人様ですが、酒を飲むのを我慢して頑張っているというよりは、手当たり次第に酒樽を空にしても、どうしても酔えなかった、という類であるかと。必死に酔いたいと思えば思うほど、心は酩酊より遠ざかって行くのであります。 ただ、覚えておかねばならないのは、一見まともに見える良識者の振る舞いは、その根柢に最もまともでない部分を隠しているということでしょう。すなわち、酔っているからこそ、冷静に選択し適切に行為することができるのです。 狂気に近くて親しいお酒ですが、どちらかと言えば、酒の抜けたしらふの状態の方が、あちらに親近なのだと思われます。 酒を呑む者は社会人になる。飲まないでいる者は狂人になる。 そう言うこともできましょう。 本当に狂っているのはどちらか、それは何とも判じかねますが、どちらも同じくらい、かなしいものでしょう。

冷蔵庫によせて(日記)

冷蔵庫の作動音がする。一定の低い音が継続して空気を震わせる。事情があって吠え声をあげることのできない野生の捕食者がうなっているかのよう。自分の身を供するつもりのないわたくしは、正面に座り込んで相対する。 鼓膜に伝わり音として認識されるというよりは、からだ全体に振動の波が届いて揺すられる。昭和の終わり頃に各家庭に流行した、電動マッサージ機を全身に遠くから当てられている感。こちらは一向ほぐれないし、筋肉に緊張が強いられるばかりで、心地よくない。床の木材を通して伝わる手負いの獣の低いうめき声は、誰か他者へ向けての表現というのでもなく、それでも聞いているわたくしは、不快のなかに何らかの快がないものかと、重低音をかき分ける。 しかし我が身にとりては不愉快なるも、もの知らぬ幼児にあっては遊園地の乗り物くらいは愉快なめづらしいものかもしれぬ。家にいると、常に聞こえてくるのがこの音だから、もはや目新しさのかけらも感じられず。確かにこの生活器具が開発された当時の耳には、新鮮に響いたものかも知れない。変わったのは時代だろうか。冷蔵庫の地位、価値、尊厳は、今やその動作音を騒々しく感じるほどに、軽いものになり果てた。 ただ、遺憾ながら、当時も幼児も、君の機械音はそもそも不快であったかも知れない。あんなにマッサージ機が流行った頃でさえ、冷蔵庫の前に座ったり、あるいは抱きついたりして過ごす者は、おそらく一握りであったろう。冷蔵庫という陳腐な存在が、その先入見が、我々の耳をして不愉快に感じせしめる、というわけでもないかも知れない。 もっとも、これが私一個の妄想に過ぎぬ可能性はある。実は世の多数派はこの低振動を愛好しておるのではなかろうか。その証左に、冷蔵庫から漏れる音はかくも技術の進展著しき時代にも相変わらず残っている。むしろ大切に保存せられている。多分、わたくしは少しく神経症なのだろうとおもう、いつも家にいて聞こえて来るのがこの音ばかりだから、食傷してうんざりしているだけなのだ。 ほら、よく感じてごらん、腹に響く振動も、気持ちよいものだ。二十四時間働いて休憩もなく、おやつも食べずに、我らの食糧を、日々の糧を、懸命に保存している。そうおもえば、どんな恩知らずだって、ありがたいと感じるだろうし、そう感じるなら、冷蔵庫の騒音も、妙なる楽音となって、家にいる人を分け隔てなく幸せにす

作者と作品の間の距離

最近、本に対する弁明を求められる機会が増えると共に、自分の態度にも変化が現れてきました。以前は、知らないものは知りませんので、その通りに知らないと答えていたのですが、もう少し言葉を尽くしてもよいのかもしれないと思い始めています。 以前は、自分の書いた文章について、片言隻句でも洩らすまいと、固く心に決めていました。筆者としての自分の仕事は、本を上梓した時に、もうすでに尽きているのだから、この上なにか喋ることは、非常に美しくないことだ、と感じていました。実際、執筆者としての仕事は、作品を書き終えた瞬間に終わるのですから、脱稿後の書き手はもはや作者でも何でもない、ただのひと、なのです。そんなただのひとが、自分が書いたものだからと笠に着てあれこれと口を出すのは、とても愚かしい振る舞いに違いありません。 筆者という立場からの答えは、今も昔も変わっていないのです。沈黙を保つ他はありません。しかし、書き終えて、時間が経つ内に、自分と本との距離も開いて行き、いわば、読者の一人として自著に対することができるようになって来たと感じています。 どうも、時間の経過によって生じる作品との距離、というものがあるようなのです。 始めは癒着して一つにくっついていた書き手と書かれた物とが、少しづつ剥がれるように分かれて行き、お互いがお互いのことを自分とは違うものとして意識し始める、そんなことが起こるようです。このまま時が経てば、やがてお互いに手の届かぬ距離まで間があいてしまうのでしょうか。それとも、様々な交錯の末に、二つのものがそれぞれの独自性を失うことなく、一つにつながり合って落ち着く、そんな風になるのでしょうか。今はまだ想像できません。 自分の書いた著書を、一定の距離を置いた一人の読者として読むことができる、というのは、考えてみればなかなか不思議な体験です。少なくとも、書いた当時、あるいは書き終えた後の一、二年は、想像できませんでした。 あらためて自分の書いたものを読んでみた感想は、前回の記事( 「筆者による内容紹介」 )に少しだけ述べておきました。 よい書き手が常によい読み手でもあれば、話しは簡単なのでしょうが、どうもあまり関係がないようです。 書くことと読むことはまるで異なる運動なのですね。 書き手と書かれたものとの間に空白が、つまり余裕が生まれ、書いた者

Kindle版 『東都百景 頒布版(二)』 筆者による内容紹介

概要: 『東都百景』全体を五つに分けて、逐次Kindle版として、お届けしていますが、今回ダウンロード可能となりましたのは、二番目の部分、二十一から四十景までを収めたものとなります。 文字表記: 文字づかいや漢字につきましては、書籍版から変更してあります。 漢字については、技術的な問題がありまして、Kindleでの画面表示ができない字体などは、適宜置き換えてあります。また、仮名につきましては、大体の部分で、いわゆる現代かなづかいを採用しています。 これは読みやすさを考慮してのことです。文字の問題で読者がはじめからつまづくのは、筆者の本意とすることではありません。文字の問題はけして字面だけの表面的なものにはとどまりませんが、このKindle版で慣れて頂き、さらに興味をお持ちになる場合にのみ、書籍版へとお進み下さればよろしいかと思います。 もっとも、書籍版もすべてが旧かなで記されているわけではありません。そのあたりの按配は、筆者が工夫したものですので、書籍版ではお楽しみ頂けると思います。 内容: 頒布版(一)から続いて、ゆっくりと進んで行きます。 この作品の中心近くにあって影に潜んでいる何ものかが、少しづつ、その存在を示し始めます。ここからの解答は、抜け道は、脱出口は、希望のあかりは、まだ紙面には感じ取られません。いや、どうでしょうか。そもそも、それは希望でふさげるような傷口ではないのでしょう。いや、そういうものである可能性もあるかも知れませんが、そのような無粋な振る舞いは、まだ筆には見られません。 今回、『東都百景』を読み直して、あらためて思いましたが、この作品の最初と最後で、何か変化は認められるでしょうか。 歳をとった、とか、思慮深くなった、とか、暗くなった、とか、明るくなった、とか、そういう言葉で表現され得る変化ではなく、作品の中で綴られた言葉の流れによってしか変化し得なかったような、他のどんな描写言語でも記述できないような、そういった変化のことです。 もっと言えば、何か技術を学んでその分野において進歩したとか退歩したとかいうことではなく、筆者自身の存在の変化、を問題にしたいのでもありません。学習の可能性についてはそれはそれで問題とするに値する事柄ではありますが、これは書き手自身の成長物語ではないのです。書き手は主題には

則天去私という生活感情について

則天去私(てんにのっとりて、わたくしをさる)は思想として捉えますと実に陳腐なものです。しかし、金之助さんの生活を思い合わせてみますと実に人間らしいお覚悟と思われて参ります。 もっとも、陳腐に見えるということ自体はその思想の真実性とは関係のないことです。何らかの思想というものが、人の生と遊離して一人歩きし始める前に、ある特殊な個人の生存の上で、到達され掴まれ、密接な関わりの中で、血の通ったものとして生きて働く、そんな現場を、氏の仕事に思いを寄せます者は、目の当りにする心地がするものです。

『東都百景』 Kindle版も製作中です

以前、 「本を買いたいのだけれど、値段が高いので手が出しにくい。」 というお話を頂いて以来、考えていたのですが、Kindle版をつくることにしました。 本の全体を五つに分け、全五篇とし、一篇ずつ購入できるようにするつもりです。 値段は、書籍の方が高くなってしまいましたので、釣り合いをとる意味も含めて、 一篇99円としたいと思います。 何年もの歳月をかけた作品の値段としては安過ぎるように感じてしまいますが、 まづは手に取って読んでもらわなければ、何も始まりませんから、 設定可能な一番安い価格にしてみました。 試し読みのような感覚で、まづひとつを読んで頂ければと思います。