読者への手紙(1)
このたびは、小著『東都百景』を御手(おんて)にお取り頂き、まことにありがとうございます。 はじめに、これは読者への手紙であることをおことわりしておきます。正確には、『東都百景』をこれから読もうとする方、あるいはすでに読み終えた方、に向けての言付けです。人間一般を想定しているわけでも、特定の専門家層を念頭においているのでもありません。 わたくしとしましては、親愛なる読者の方へ、とすら言いたいくらいなのです。いえ、実際にこのような本を手にするというのは、それだけで稀有なことです。世間に知られているわけでも、ごく狭い少数者の口の端に上るわけでも、おそらく読んで愉しい内容でも、ましてや社会生活に役立つ便利なものでもありません。いかなる理由でかこの書をお取りになられたというだけで、偉業と称するに値することのように思えるのです。 ですから、わたくしがうっかりして、皆様への敬愛の念ゆえに、親愛なるという形容をつい付けてしまったとしても、無理からぬこととしてご容赦いただけると思います。ですが、今わたくしの方から読者の方々に親愛の気持ちを表明するのは、こちらの感動を一方的に押し付けるようで、随分ぶしつけなことではないでしょうか。まだお読みになっていない方は、一読後にはこの本を嫌いになっているかもしれませんし、もうお読みになった方は、すでに嫌気がさしている頃かもしれません。 ですので、皆様に、親愛なるとお呼びかけするのはまだ控えておきたいのです。この書物は、どういう風に言えば適切か迷うのですが、ある意味で、かなり困難なものです。地図なしには迷う樹海に似ています。しかし、樹海といえど、しっかりと準備をして臨めば大過なく帰って来られるように、このことばの森に分け入る際にも、必要十分な道しるべと手引きさえあれば、旅の成功と無事なる帰還をみなで喜び合えることでしょう。 それで、いたづらに道を失い途方に暮れるのを防ぐために、そしてこの冒険を共に成し遂げた友人として、本当の読者になっていただき、わたくしから親愛なると正当に呼ばせて頂くために、少しだけ前書きのような形でこの本について語らせて頂きたいと存じます。この重い本をあえて開こうとする皆様ならば、筆者が無粋な片言を少しばかり並べましても、きっとおゆるし下さることでございましょう。 さて、題名は『東都百景』と致し