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読者への手紙(1)

 このたびは、小著『東都百景』を御手(おんて)にお取り頂き、まことにありがとうございます。  はじめに、これは読者への手紙であることをおことわりしておきます。正確には、『東都百景』をこれから読もうとする方、あるいはすでに読み終えた方、に向けての言付けです。人間一般を想定しているわけでも、特定の専門家層を念頭においているのでもありません。  わたくしとしましては、親愛なる読者の方へ、とすら言いたいくらいなのです。いえ、実際にこのような本を手にするというのは、それだけで稀有なことです。世間に知られているわけでも、ごく狭い少数者の口の端に上るわけでも、おそらく読んで愉しい内容でも、ましてや社会生活に役立つ便利なものでもありません。いかなる理由でかこの書をお取りになられたというだけで、偉業と称するに値することのように思えるのです。  ですから、わたくしがうっかりして、皆様への敬愛の念ゆえに、親愛なるという形容をつい付けてしまったとしても、無理からぬこととしてご容赦いただけると思います。ですが、今わたくしの方から読者の方々に親愛の気持ちを表明するのは、こちらの感動を一方的に押し付けるようで、随分ぶしつけなことではないでしょうか。まだお読みになっていない方は、一読後にはこの本を嫌いになっているかもしれませんし、もうお読みになった方は、すでに嫌気がさしている頃かもしれません。  ですので、皆様に、親愛なるとお呼びかけするのはまだ控えておきたいのです。この書物は、どういう風に言えば適切か迷うのですが、ある意味で、かなり困難なものです。地図なしには迷う樹海に似ています。しかし、樹海といえど、しっかりと準備をして臨めば大過なく帰って来られるように、このことばの森に分け入る際にも、必要十分な道しるべと手引きさえあれば、旅の成功と無事なる帰還をみなで喜び合えることでしょう。  それで、いたづらに道を失い途方に暮れるのを防ぐために、そしてこの冒険を共に成し遂げた友人として、本当の読者になっていただき、わたくしから親愛なると正当に呼ばせて頂くために、少しだけ前書きのような形でこの本について語らせて頂きたいと存じます。この重い本をあえて開こうとする皆様ならば、筆者が無粋な片言を少しばかり並べましても、きっとおゆるし下さることでございましょう。  さて、題名は『東都百景』と致し

売れない時節のしあわせ

本の発行から半年と少し経ちました。8ヶ月の間、売れたのは二冊です。一人の旧友が買ってくれました。 先日キンドル版も完成しました。お一人ダウンロードして頂きました。ツイッターでつながりのある方です。 家族や親族を含め、日頃お世話になっている方々に差し上げた分を合わせても、十部にも満たない流通量です。・・・流通しているとは言い難いですね。 さきほど本屋に立ち寄りましたら、最近芥川を受賞した本の帯に「160万部突破!」とあるのが目に入りました。ますます増える勢いの様です。 本が売れないというのは悲しいものです。何年もかかって作り上げた作品ならなおさら。収入もなく、入る当てもない中、自分は何をしているのだろうか、という自虐の落とし穴に足を取られて抜け出せないこともしばしば。 しかし、思うに、今の、売れていない時期、というのは、暗いばかりではないのです。むしろこれはある意味幸せな時期でもあります。 私は自分の本が誰に読まれているか、知っています。しかし、百万部売れる本の筆者は、自分の書いたものがどんな人に読まれているか、把握できないでしょう。 自分の作品を過度な露出から守ることが、今はできるのです。不特定多数の目に無防備なままさらされるような状況に作品を追いやらずに済むのです。 過保護と言われればそうかもしれませんが、成人ならともかく、生まれたばかりの赤ん坊だって、自立するまでは親が付き切りでお世話をするでしょう。似たようなことではないでしょうか。 別に、わかる人にだけわかればよい、大衆受けしないのはむしろ誇りとすべきことだ、などと開き直っているのではありません。私は自分の作品の読者層を限定して考えてはいません。可能性は誰にでも、教養教育趣味性格思考の如何によらず、開かれていると思っています。閉じた表現の価値を否定はしませんが、今回の自著に限って言えば、閉じた作品を書いたつもりはないのです。 作品が売れないというのは、悲しくもまた幸せなことです。半年以上経って初めて、自然とそう思えるようになりました。 このままではいけない、という思いも強くなっていますが、まあ、焦っておかしな行動に出るよりは、なるようにしかならない、と思って辛抱強くやって行こうと思っています。 今まで自分の周囲には、ごく一部の例外を除いて、本を書いたことさえ知

『東都百景』の紹介文を変更しました

Amazonの本の紹介欄に書いた【著作者コメント】を変更しました。 以下のリンクから確認できます。 『東都百景』 以前の文言に問題を感じたというわけでは別段ありませんが、 特に気に入っていたわけでもありませんでしたので、 Kindle版完成を期に思い切って差し替えてみました。 ちなみに、以前のバージョンもこちらに残して置きます。参考まで。 「   言語というのは、非常に繊細なものです。言葉を普段様々な用途に使役している人の通常のあり方に留まる限りにおいては、このような関心はおそらくきわめて小さなままに抑え付けられるので、大事の考とはなりにくいものです。いったん、自分がその中に漬かっている所の、言葉との関係より離れて、ことばに相対して向かい合うようになれば、そのときはじめて、言葉にかけられていた手かせと足かせを外して、なにか今までとは違う関係へと進む可能性が、開けることでしょう。この本も、そんな可能性をめぐって、かつて幾人もの人が歩いてきた杣道(そまみち)を、手さぐりでたどり行くものの一つです。  もっとも、言葉との関係より離れて向かい合う、と記しましたが、そのようなことが簡単にできるはずもありません。課題としては、言語をして考えせしめること、そのためにどうしてもまづ要請されるのが、我々自身の頭で考えるのを中止して、あちらの働く余地を用意してあげる、ということです。こうして申し述べると実に明瞭なのですが、実際の現場においては、かくも不明瞭なこと他にありや、といった情況です。『東都百景』という書き物は、ある種の場所において、人間がどのように動きどのように望みどのように問うのか、その場所に身を置きながら煩悶した、その跡と言うこともあるいはできましょう。ご一読の際には、そのあたりの消息も感じて頂ければと思います。  我々の生はヒントのない問いかけのようです。重荷に耐えかね喘ぎつつ生きるすべての人々に捧げます。 」 今回のコメントも同じなのですが、紹介文を読んでも、 いったいどういう内容の本なのか、いまいち分からないのですよね。 まあ、ある意味、内容をそのまま反映しているコメントと言えなくもない・・・。 誰か読者の方が書いてくれないかなあ、などと思ってしまいます。

『東都百景 電子書籍版』完成しました

ブログを更新するのもしばらくぶりになってしまいました。 ここ一か月ばかり取り掛かっておりました、本全体のKindle化ですが、 ようやく完成しましたので、ご報告いたします。 印刷本484ページの内容が、この版に全部収められていますので、 かなり長いです。一息に読もうとすると大変ですので、 少しづつお読み下さい。 漢字につきましては、自作のものや旧字体で特殊なものなどは、 電子書籍という制約上、表示ができない場合があるため、 よりかんたんな字体へと置き換えてあります。残念ですが、 仕方ありません。 仮名遣いに関してですが、おおむね、印刷本を踏襲しております。 旧かなも少し入っていますが、おそらく読むのに問題にはならないかと。 頒布版が(一)と(二)出ていますが、このまま残して置く意味合いも 薄くなってしまったかな・・・。ただ、すでに購入して頂いた方も いらっしゃいますので、どうしようか、考え中です。 それでは、どうぞよろしくお願い致します。 『東都百景 電子書籍版』