四月五日 神々の嫉妬


どうして人は不幸を慾し
自らが底辺にゐることを確認して
安心するのだらうか
ほとんどの絶望は用意された絶望で
自分に気付かれないやう
周到に計画され遂行された
自作自演であって
まぎれもない本物の苦しみの中でこそ
いやその中でしか
心底からの安らぎを得られないとは
人間はどのやうな構造になってゐるのかと
不可思議におもはずにはゐられない
根深い所にはおそれがあるのは間違ひない
昔の人が神々の嫉妬と称したものだ
そして今でも人生を支配するほどの恐怖なのである
やはらかくつよい一糸により
つむがれる運命といふ織物が形を取りはじめれば
にぶく不自由なるわたしたちの目にもやうやく
その糸がどこからもたらされたのか
映りくる
存在自体とも呼べさうな恐怖に仕へ
隷属しつつ自分の手足を縛る桎梏を見て
大丈夫かなきっと大丈夫だらうとおもひこむことができれば
ほんの少しだけ顔を上げることもゆるされる
人は不幸を求め
安住の地の土台とする
不幸はしかし
より大きな恐怖を回避するための
準備であり
隠れみのであり
盾あるいは気休めの
お守りであるにすぎない

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