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五月十八日 生でないもの

ほんとになんで生きてるんだろ 死にたいとしかことばがでてこない もう全身が死にたいとしかおもってない なんで生きてるんだろ なんで死んでないんだろ なんでこれからがあるんだろ なんでまだ終はりじゃないんだろ ほんとにただひたすら死にたい 辞世の時も同じことを言ふのだらうか 言ふのだらう 他に何か言へる気がしない いやいや死にたいのはまだ生きる明日があるからで その明日がもうない場合つまり死ぬ場合は もはや死を願ふ必要もないだらう その時はもしかして生きたいなどとおもふのだらうか 間違ひなくおもはないだらう ただ よろこびもないだらう 安心もないだらう 遂に死ねるといふ安堵より やっときたのか死よといふ感想しか生じないだらう そもそも生者にとって 死は用のないものだ 本来存在しないものだ ただ生がたへがたいときに限り その解決法の一つとして脚光を浴びるに過ぎない みんな死が大好きなわけではない 死とは何かと問はれたら 生でないものとしか答へやうがない

五月十六日 かなしみのステーキ

かなしみのステーキをたべよう 誰といっしょに 仲間といっしょに 輪にならう かなしみのステーキをたべよう おいこの肉いったい 何の肉だ うええいうええい お酒のも そしてうれひを ふっとばそ うええいこの肉 何の肉だ 外はじくじく雨だ よろしい今からティータイムだ ブリテン式だ マッフィンだ ちくしゃう誰だ これはほうじ茶だ おい見ろよ シェッフィンがお盆にのせて 一品料理を運んでくるぜ 何だらう何だらう 何が入ってゐるのだらう へいシェッフィン それは何だい れんげ豆のスープかい もしさうなら取りかへてくれよ わかってるだろ いつものやつだよ シェッフィンはひきかへした おれたちはかなしんだ さあたべよう 何を ステーキを 誰といっしょに 仲間といっしょに 輪にならう さあいっしょに かなしみのステーキをたべよう

五月十四日 時間

おもひあたったことがあるのだけど聞いてもらへるかい わたしがゐてもゐなくてもどうせ語るのでせう さうかもしれないけど ならわたしが聞く必要はあるのかしら 君がゐないとひとりごとになってしまふからね わたしがゐてもかはらない気がするけど そんなことはないのだよ それですでに忘れかけてゐるから話していいかい ええと何だっけかなああさうだ ぼくの生活のことなんだが あなたの生活ね最高に興味をひかれる話題ですこと 気づいたのだけど ぼくの生活は縮図になってゐるんだ 何ていふか人生観みたいなもの 生まれてから死ぬまでの見取り図の 縮刷版が丁度起床から就寝までの一日に相当するんだ 逆なのかもしれない 一日を拡大したものがわが人生なのかもしれない そっくりにおもへるのだ 誕生から死までと起きてから寝るまでが つまりこのやうにぼくは解釈してゐるといふことだ 毎日毎日が繰り返し生と死も流転する 輪廻転生の原型がここにはあって 思想とか信仰とか大げさなものでなくて 身近にあるといふか身の一部であるのだ ぼくはそのやうにすでに理解してしまってゐるといふこと 生まれ駆け止まり死ぬ 止まるのは一瞬でほとんどの時間は夢中だ 言ひたいことはそれだけかしら ほんたうにどうでもいいのだけれど 一応聞いておくわね なにか語ってゐる今のあなたは 止まってゐるの走ってゐるの ああぼくの話を聞いてゐてくれたのだね とてもうれしうございます 面と向かって丸ごと無視なんて芸当は まだわたしには荷が重いわね 君ならできるとおもふけど せっかく君が爪の先ほどの関心を向けてくれてゐるのだから ぼくの方は全力でこたへることにしよう 普通にこたへてくれれば結構よ かしこまりました さて結論から言へば ぼくは今走ってゐるのではないかな 無我夢中で動き回ってゐる最中なのだとおもふ 反省してゐるやうに見えて実はその正反対のことをしてゐるのだ まだ立ち止まる時間ではない その時が訪れるのは今ではない さうだよ時は到来するものであって こちらの都合に応じて好きに変更できる便利なものではない ぼくは今全力

五月十一日 昼と夜

さうそしてわたしは    いいかげんおもひ知るべきだよ まぎはしかないのだと 筆をとれるのはほんの一せつな よくよく知るべきだよ 死ぬまぎはのほんの一瞬しか          残されてゐないのであり それまでは 昼の狂乱がつづくのだと おもひきることはできないのだと 昼はをはらないのだと をはらせたくとも自分の力では           どうしやうもないのだと 後悔などもはやない 違い得た出来事ならば おもひ巡らすこともできようが 眼前に広がる光景はどうしようもない ただただ戦慄しかない

五月九日 人にできること

人間にできることはひとつしかない わき目もふらずに邁進し 与へられた時のほとんどを費やしたあと もう残された時がなくなって はじめて我に帰り あぜんとする これだけだ そして人は十二分に愚かなので このやうに記してもまだ 自分には自由があると ちがった過ごし方を選べると 希望を抱いてしまふことができる いまはのきはになってはじめて 気付くことができるのだが 気付いたとしてもすでに何をすることもできない 時間は残されてゐない だから呆然として せいぜい ああとつぶやく他ない

五月七日 目をさます頃

結局   終はりになって    なげくのだ   昼はすぎる    何も見えなくなって   をはるころ      目をさますのだ

五月五日 市民マラソン

最終ランナーが通過致しました 係員は機材の撤去をお願いします まもなく交通規制が解除されます 住民の皆様ご協力ありがたうございました ふぁいと            がんばれ   ふぁいとお            がんばれ      ぱちぱち   ふあいと       ればんが ふ     ふ    と  あ     あ    お   い     い ぱちぱちぱち 最終ランナーが通過致しました 係員は機材の撤去をお願いします まもなく交通規制が解除されます 住民の皆様ご協力ありがたうございました

五月三日 すずめなく春のひとひ

すずめなく春のひとひ 公園であそぶ子供が一人 母親のもとに駆け寄って うれしさうに言ふ しひたげられた者たちが おとしたメモを ひろったよ 尊厳  ない 自由  ない 束縛  ある 未来は  他人のもの 淵源は  うらみ どうして?といふのは ああとかあはれと同じ 感嘆句 テロリスト? けっこう ひっくりかへす? ぜひとも 成功してゐる人間への八つ当たり?相手が違ふのでは? しかしうまくやってゐる者にはむくいがあるべき 他者や思想も含めて色々なものが踏み台になってゐるから すずめなく春のひとひ 子供がひとり母に告ぐ お母さんぼくもひっくりかへしたい 母親はまあさうなのとほほゑむ ならまづは落とされないといけないわね この世が地獄だとおもへる所まで

五月一日 私は爪である

ふとおもひついたことがあるのだけど聞いてくれるかな わたしは耳よどうぞ 人間には爪があるよね あるわね 爪は人間の一構成要素だ 一部分ではあるわね 同様にして口や手や足や頭も人間の一要素だよね 欠けてゐる人間もちゃんとゐるけれど さうそこなんだよ 爪は人間の一部ではあっても人間そのものではない 人間から爪をはぎ取っても人間でなくなるわけじゃない それは言ひ過ぎじゃないかしら あなたにとって爪は人間の本質とみなされないだけで 爪こそが最も大事とおもってゐる人には 人間は爪なのであって爪を取ったらそれは もはや人間とは呼べない物体なのに違ひないわ たしかにさうだね 人間とは何かについての見解の相違だね その人にとっては爪は人間の部分ではなく全体なのだらう そして構成要素は爪の輝きであり硬さであり白い箇所であったりするのだらう 何が言ひたいの 別に新しいことじゃなくて 部分と全体といふ把握の類型のことだよ そしてわたしはここに直観を持ちこみたいんだ 全体といふか総体といふかすべては一条の光の下で姿を現す 知はそのあとから始まるんだよ もう一度言はせて頂戴何が言ひたいの さうだね すべては表現なのだとおもふよ 解釈は我々にゆだねられてゐるんだ 具体的に話してくれるかしら たとへば貧困層は 酒をかっくらって寝るしかない人達のことで 遺憾ながらわたしもその一員なんだけど 本当に救はれるべき存在なのかどうか よくよく考へる必要があるとおもふよ 極論だけどお金を与へれば問題は解決するのかといへば よりよいお酒に溺れるだけじゃないのかな いやわからないけどね ともかく貧困層は社会の一部分であり 大切に扱はれるべきといふこと まづは研究するのが順当だといふこと それは何の表現なのか 人間といふ一枚の絵画のどの箇所にあたり どんな意味を持ってゐるのか 一度立ち止まってよく見てみるのがよいのではないかな

四月二十九日 かなった夢

たとへば恋に落ちるとき 客観的な基準に照らして 最も美しいとされる人が選ばれたのだらうか さうではなく実際には ああこの人は美しいと こころふるはせられる瞬間が 訪れたからではないだらうか どんな人がどんな時にどんな風に感動するか それこそ神のみぞ知ることにちがひない たとへば不幸に落ちるとき 客観的な基準に照らして 最も恵まれない状況が選ばれたのだらうか さうではなく実際には ああわたしは不幸だと こころふるはせられる瞬間が 訪れたからではないだらうか どんな苦境が当人に不幸と捉へられるのか それこそ神のみぞ知ることに他ならない わたしには夢があった 忘れもしない 小学校の帰り道 その光景はいまだに脳裏に焼き付いてゐる 談笑して歩く友人達を見て わたしはこの人たちとはちがふと はっきり突きつけられた瞬間の 痛みとあせりと不安とを 今でもおもひだすことができる 友人は大臣になりたかったが わたしは不幸になりたかった 誤解の余地なき命令であり あらがひやうのない天命であった わたしは不幸にならなければいけない そればかりをおもった そして今わたしは 四十年の年月をかけて つひに夢をかなへた わたしは不幸になった ああ ああ まがふかたなく いまここにゐる このわたしは 不幸だ 長い道のりだったが すべてはここに至る岐路だったのだらう わたしは子供の頃からの夢を実現したのだ 念願がかなふとよろこびに満たされるはずだが 夢をかなへて不幸におちいる場合も この世にはたしかにあるやうだ

四月二十七日 痛みと苦み

あさいねむりから たたいておこされ くさりにつながれ ひきずられて 刑場へ たぶん人生といふのは この毎日が積み重ねられた 総計の謂だ ここには二種類の人間しかゐない くさりにひかれるがままに歩く人と ひきずられまいとあらがふ人 ただいづれにせよ うでにくひこむかせが痛いので はじめのうちは抵抗してゐた人も 弱くおとなしくなって行き つひには一切反抗しなくなる かうして羊の群れは今日も 犬におひたてられて ものもいはずにしたがふ 足をとめても くさりがあるから 歩きつづける他ない 夢に逃げても たたきおこされるから 現実を見る他ない たぶん人生といふのは いまこの瞬間この一刹那の とりちがへやうもない 苦味のことだ

四月二十五 朝の街

つかれたままの おもいからだで はたらきにでる あさのからすと あさのまち みぎてにつかむ もえないごみの ふくろのやうに むねふくらます きぼうつめ けふはこれ あすはあれ あさってはまた あさってで うけとるだけの てをのばす たのしい未来 くるしい未来 からっぽのむねにあらはれる 色とりどりのまぼろしに ふりまはされて 年ふれば立派な まちの一員 みぎてにつかむ もえないごみの ふくろをおいて ふくれたむねも おけたらいいのに けふはこれ あすはあれ あさがくるから うけとるだけの てをのばす つかれたままの おもいからだで はたらきにでる あさのからすと あさのまち

四月二十三日 叶った望み

ちょっと申し訳ないんだけど わたしは女の子をつかまへて言った 愚痴を聞いてもらっていいかな ええかまはないわよ 女の子は云った 観葉植物の鉢だとおもって話すといいわ すまないね わたしは始めた 忘れかけてゐたのだけれど わたしはそもそも見たかっただけなんだ 何もかも捨てて さう能ふる限りの何もかもをだよ 関係も地位も居場所も友人も家族も そして一番大きなことには知識といふか世界も 捨て得るものはすべて置き去りにして 落ち得る所まで落ちて身ひとつになり 裸の状態になった一個のものが 苦しみしかないやうな中で 次に何をし始めるのか どんな思想を構築し何の夢を見るのか そこから何かが生まれるのだとしたら 何かが始まるのだとしたら そこにはいくばくかの眞實なるものが含まれるのではないか わたしは期待したんだ 自分を知らないままで動くことに たへられなかったんだ 自分の知らないままに 自分が動かされてゐるあり方は まるで奴隷のやうで 尊厳など少しも感じられなかったから 本當のものが少しでもそこに現れるのではないかと そこから始めればわたしは本來のわたしとして 自由になれるのではないかと わたしは一息に語って女の子をうかがった 女の子は表情を変へずに言った おはなしはもう済んだのかしら いやまだなんだけど 時間もないから 手短にすると 予想してゐたよりこの場所で暮らすことは苦しいから 何かが始まる余裕なんてなくて ましてや自由なんて遠くて むしろ単純な不自由に縛られて かへって遠くなってしまったやうな気がするし つまり計画通りに進めた所で想定外の事態にあひ 今どうしようかどうにもならないかもってとこなんだ あら 女の子はたのしげに云った あなたの予想通りじゃないの すべてを捨てたかったのでせう 予想も捨てられてこれでほんたうに あなたの望み通りね

四月二十一日 休息

肉體って本當に何なのだらう わたしがおもはずもらした言葉に女の子は答へた それは考へてゐるのそれともたんなる 人間流のためいきなの 両方と言ひたいところだけど わたしはこたへた ほとんど後者だらうね ならをはりね 女の子は興味なさげに告げた あなたは疲れてゐるだけなのだから わたしは大丈夫?と心配してあげればよいのかしら 肉体・肉體・にく体・にくたい とつぶやくあなたをのぞきこんで かはいさうにつかれてしまったのね あちらでちょっと休みませう と気遣ってあげれば あなたは満足するのかしら どうもありがたう わたしは言った でもわたしがほしいのは少しの休憩ではなく 現実からの完全な逃避先でもなく ましてや同胞からの心のこもったなぐさめでもないんだ あらさうなの 女の子は驚いた風に云った それ以外にほしいものがあるのかしら さうだね わたしはこたへた わたしに限らず かなり多くの人間は 仮の宿りではなく 永遠(とは)の眠りを求めてゐるのだとおもふよ もう起きなくてもいい 本當の休息をね

四月十九日 自由意思

これは個人的な状況ではない わたしたちは今 どうして生きられてゐるのか 不可思議な状態にある からうじて生存を保ってゐられるのは 手元にピストルがないからに過ぎない 飲めや歌へやの騒ぎが深夜まで続くが 意識を手放し眠りに落ちた人々は 朝を迎へねばならない こちらの意思は考慮されない 迎へたくなくても迎へたくても 迎へなければならない わたしたちは起床した たしかにさうだが みづから選んだわけではない では選択肢を現実にしてみようか 枕元の目覚まし時計のかはりに 一挺の拳銃を置いてみよう するととりあへずほとんどの者は こめかみに銃口をあてるだらうが それで引き金を引かない者は みづから生を望みみづからの意思で生を選んだのだ さうこれが わたしたちに与へられた 自由意思なのである