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四月十七日 問題

世界観といふ概念は用を爲さなくなりつつある 知といふ観念もあらためる要がある 文化は苦しみのある所にしか生じない そしてその特性上それは調整作業でしかない 哲学は批判的営みとしてそれに寄り添ふ さて人間にそれ以外何があるだらう これ以上何か語るべきことが残されてゐるだらうか 寒さと外敵から身を守るために家を建て 住みやすいやうに内装を工夫し 家族が増えれば建て増して 家が増えれば道をつなぎ たまにはたまったほこりを掃いて捨て 古くなれば壊して建て替へることもあるだらう 人は生きて行くあるいは死んで行く それだけの話であり それ以上の話ではないのに ただひとつ問題があるとすれば わたしがその複雑な社会といふ織物の 一構成要素を成してゐること つまり言ひかへれば わたしも人間だといふこと わたしはその中にゐるのであり 外に立って眺める立場を恣意することはできても 実際に出ることはあたはない ただ勘違ひをすることはできるといふことが 問題なのである

四月十六日 簡単な選択

実に単純な問ひなのだが この世は生きるに値するだらうか 本当ならこの大事なそして当然の質問は 生まれる前になされるべきであった あなたは生まれますか生まれませんか 今生に関する十全な説明のあとで いったいどれだけのものが生を選択するだらう いやさうではないのかもしれない 我々はたしかに自ら選んだのだ 生きることは何かたのしいことにおもへたのだ 空想によって生じた未来はすばらしく そこから逆照射される現在も 色とりどりの花が乱れ咲く楽園に見え よろこびと共につかんだ生存はしかし 実際にやってみると おもひ描いた天国の完全なる反対で うめき声の満ちる暗鬱な谷だった もともと賢明なものは生を選ばなかったのだから ここにゐるのはみな阿呆の一類であり かなしき道化だ 仲間同士で寄り合って あらそったりなぐさめたりするうちに あらふしぎ この世のできあがりだ

四月十五日 小櫻

くさりにつながれた老犬が 所在なげにたたずむ 高く晴れやかなる空 にほひたつさくらばな 遠目に見える 毛はぼさぼさで 何ヶ月もあるいは何年も 手入れしてもらってゐないのだらう そよそよと吹く風が あたたかい空気を運んできて やはらかく 花びらをなでてゐる 犬が動く くさりが音を立てる 家の中の飼ひ主の 不興を買ふまいと おとなしくしてゐる 誰もゐない小さな公園の隅に 灌木にまじって小さな櫻が生えてゐる 日があまり当たらないのか 花つきはよくなく こぶりな花がこげ茶の木肌に ぽつんとついてゐる にほひこぼれる 櫻の並木に 何も感じなかった心が 少しだけとかされる気がした

四月十四日 ギフト

おもひださう どうしてここまで落ちてきたのか おもひださねばならない いかにしてこのものはかくあることを望んだか ほかのことなどせんなきこと 社会生活経済あるいは人間すら 本来は感心の外であったはず さうだ このものは何もしないことを選んだ 自發的な行為を憎み 自分からは何もしようとせず まはりから行動を強制されることを嫌った 短絡的な自由を慾したわけではないが 自分が自由でないことを薄々感じとり やさしい世界に塗りつぶされてしかも そのことに気づかないでゐることが たへがたかった たしかに焦りがあったし恐怖があった 自分が知らないままでゐるのは このものにはふさはしくないといふことを示すのは 自分の抱く感情のみであったが 知らないまま幸せに暮らすよりは 知って不幸に倒れる方がましだとおもった 未熟な少年は子供らしい行動に出た 不幸を求めた 誰よりも大きな不幸を とてつもない不仕合せを渇望した もちろん一個の生物としての彼は 幸福なる生を追ひかけた しかし表面でしあはせを求めつつ 深く見えない所で運命は 彼に贈り物を用意してゐた

四月十三日 反省する観察者

難しい顔して考へこむのは もうお仕舞ひにしよう いつのまにか物語をつむがうとしてゐた 頭にはぜひとも 初心をおもひ出して頂かう 何かよきものを 建設的なものを すぐれたものを あたらしいものを 価値のあるものを 生み出さうとする一切のくはだてをやめて 熱くなった血を冷めるにまかさう わたしは観察者であり 筆記者に過ぎない その仕事は私見を交へずに記述することであり あらゆる創作活動の正反対でなければならない 気のつかない内に根をのばす 目的進路反省思考といった諸観念を断ち 目に入るものを見つめるだけにしよう 自分が何かをするのを抑へて わたしがすべき何かがあるとしたら 何も描かれてゐない白紙を用意すること その余白をできるだけ広く保つことくらゐ

四月十二日 休日

休日――― 歩いて一時間 最寄り駅に着き 普通電車で四十分 地域で一番大きな古本屋 ブックオフを目指す 駅から歩いて三十分 川沿ひの櫻をたどると 幹線道路に出たすぐの所に 店はあった 慾しい本はあまりなかった 迷ったものも決められなかった お金も本を置くスペースもなかったし 何も買はずに来た道を引き返す 橋のたもとで スマホをかかげて 写真をとる 普段着のおばさんがゐた 枝垂れ櫻が川面にかかる 電車は少しだけ遅れてゐた 一時間に一本しかないから どちらにせよ待たねばならない 車窓から遠山をながめる 雪におほはれた白い山 あの川の水も あそこから流れて来たのだらう 扉がひらいたので 邪魔にならぬやう あいてゐた席に座る 目をやる所もなくて 閉ぢるとすぐに 眠りに落ちた 駅に着く 扉がひらく 人のうしろについて 改札口への通路をたどる 千円で髪を切る店に入り バスの時刻表を見て ゆっくりとまた長い道を 重くなった足で さかのぼる スーパーに寄り 夕食を買ふ 風呂に入り お湯をわかして飲む 時間がくれば 床に入る ―――休日

四月十一日 生存

公園で男の子が犬を追ひかけまはしてゐる 犬も男の子もたのしさうだ 走り疲れて子供はベンチに腰をかけ 小さな犬が膝にのる ふたつの目はたなびく雲を追ひ そらの下茫洋と時にたゆたふ 我々は気づかないから生きて行けるのであって それはある種の無知ではあるが 不幸ではなくむしろあるべき仕方であって ほほゑまれるべき様子なのである かばんを手に電車にかけこむ男は すんでで間に合ったことに胸をなでおろす かつて犬と見た景色を箱にしまひ いま彼は吊り革広告をながめる

四月十日 幸福の重さ

そこいらを通行する人間をひとりつかまへてみよう 彼は幸福を求めてゐるやうだ 彼に彼の望む幸福とやらを与へてみよう けげんな顔して彼はとまどふ そして幸福にしばらく目を留め そそくさとその場から退散する 手付かずの幸福を道端に置き残したまま 親切心から彼の忘れた幸福を届けてやらう 幸福を手に彼を追ひかけ これはあなたのものです あなたが所有してよいのですよ さう声をかけると彼は振り向くが 顔は真っ青で恐怖に引きつってゐる 知ってゐますよ これはあなたのずっと追ひ求めてゐたもので あなたが何よりも心から慾してゐるものです それを今あなたは手にすることができます 祝福いたします さあどうぞ おしあはせに すると彼は手を伸ばすが途中で固まり動かない 手をとって幸福をのせてやると 意識を失ひ倒れてしまった 背中いっぱいの不幸を背負ってゐた力持ちでも 掌上のひとかたまりの幸福にはたへられない

四月九日 自分

いつから人生は自分のものになったのだらう 子供は疑問におもふのではなからうか わたしはわたしなのかと これの所有者はわたしなのかと 年月を経て慣れた大人は もろもろの維持に疲れ果て 罪の意識も芽生え むしろ手放したくなるだらう 生きてゐるこれ 将来に向かって死につつあるこれを 自分と断言してよいものか はっきりわからなくなり 自分が所有することに あるいは自分とみなすことに 負担を覚え重荷と感じ 楽になりたいとおもふだらう このやうな辻褄合はせは 加齢による状況の変化故の対応であり 思考の中での調整作業なのだらう 結果として自分がどのやうな自分に落ち着くのか まだ見通せないながら 手放すことも痛みを伴なふ 諸刃の剣であることは おぼろに見えてゐる

四月八日 そのもの

当然なことだけれど わたしたちがその中で生きてゐるその当のものを 実際に見たことのある人間はゐない その中にある限り直截それを見ることは能はない 遠くでからすの声がする すずめも盛んに鳴きかはす かうした夜明けは出会はれたときすでに 世界の中に編み込まれてゐる だからある意味出会ひは起こってゐないのかも知れない わたしはわたしと出会ひ すずめはすずめと出会ったのだ 知るといふのは多くの場合 モデルを構築する作業だ その模型が言葉でも数式でも想像でも 何を材料に組み立てられるかは 対象がどのやうな領域のものかによる 知ることは把握することであり つかむためには形ある物でなければならない だから形を与へ受肉させた物をそして 操作し利用する ほんの少し反省するだけで わたしたちのしてきたことが いかに乱暴で理不尽で 自分勝手で利己的で おそろしく 不敬であるか 瞭然だ 今わたしの手の中に 握られてゐるペンを 照らすあかりは どこからきたのかと 問ふことの意味を 考へる行為のはらむ 諸問題をおもふと 目がくらむ

四月七日 海

同じ海なのに 砂浜から眺める海はきらめいて 投げ出されて溺れる海は 解釈をゆるさぬ暴君で どうあがいても波をかぶる個人は無力で 何も語らず波を運ぶ海は不気味で 圧倒的で隔絶してゐて その中で人は何もできず 冷たい水が体温を奪ってゆくのに どうすることもできなくて 小さな波に逆らって泳ぐことはできても 少し大きな波が来ればたやすく流される おそろしいのは海に敵意がないことで あまりに巨大ななにものかなので 人間の存在に気がついてをらず 人とちりの区別もついてゐないのだらう もしかしたら海には意思があるのかもしれないが 人間が眼中に入ってゐないことはうかがへる 支配するつもりもない大きなものに 人の命運は支配されいとも簡単に転がされる 偶然にも木ぎれにしがみつけた人はさいはひだ 小舟にひろはれた者もさいはひだ 立派な救助船にすくはれた者もさいはひだ しかし海にとっては 生身の人も木片も小舟も大型船もちりあくたも まったく等しい存在であって ちりをゆらすのも 人をしづめるのも 舟をのみこむのも 同じく感心の外なのであらう

四月六日 なきごゑ

乳飲み子が突然に泣きわめく 幾人かが不快に眉をひそめる こはれたおもちゃのやうに けたたましく耳障りな騒音 母親があわてて手をのばし 胸に抱いてあやす お腹がすいてゐるのだらうか 何らか不満があるのはたしかで 叫び声によって周囲に不愉快を与へ まはりはその不快を解消すべく 赤ん坊の世話をする わたしもないてみようか 理路整然と説明するより 言葉にできずに叫ぶ方が 本当に苦しんでゐる感じが伝はるだらう しかし大人がないても 白い目でにらまれ つまみ出されるだけだらう 子供がゆるされるのは 無力で自らの力では解消できないからだ ならばよい年をした大人であっても 自分ではどうしやうもない問題なら ないてもよいのではないのか 実際ないてゐる者はたくさんゐる みな涙のあとをつけて働きに出る こらへきれずに人前で泣き出すものもある なのに誰も助けてくれないのは 大人なのだから自分で対処するべきなのと 周囲の者にもどうにもできないことがらなのと かくしてゐるだけで彼ら自身も 仮面の奥の素顔は泥にまみれてゐるのと したがって他人をかまふ余裕がないのと いらだちと あと何にせよ 不寛容あるいは無関心ゆゑではない 乳を求めてなく子だって まはりに男しかゐなければ 放って置くしかないだらう 放置された子は泣き続けるのだらうか 疲れ果てて声を上げる力を失ふまで さうしてしづかになったとき どういふ心でゐるのだらう 助けを求めても 救はれなかった子は どうなるのだらう

四月五日 神々の嫉妬

どうして人は不幸を慾し 自らが底辺にゐることを確認して 安心するのだらうか ほとんどの絶望は用意された絶望で 自分に気付かれないやう 周到に計画され遂行された 自作自演であって まぎれもない本物の苦しみの中でこそ いやその中でしか 心底からの安らぎを得られないとは 人間はどのやうな構造になってゐるのかと 不可思議におもはずにはゐられない 根深い所にはおそれがあるのは間違ひない 昔の人が神々の嫉妬と称したものだ そして今でも人生を支配するほどの恐怖なのである やはらかくつよい一糸により つむがれる運命といふ織物が形を取りはじめれば にぶく不自由なるわたしたちの目にもやうやく その糸がどこからもたらされたのか 映りくる 存在自体とも呼べさうな恐怖に仕へ 隷属しつつ自分の手足を縛る桎梏を見て 大丈夫かなきっと大丈夫だらうとおもひこむことができれば ほんの少しだけ顔を上げることもゆるされる 人は不幸を求め 安住の地の土台とする 不幸はしかし より大きな恐怖を回避するための 準備であり 隠れみのであり 盾あるいは気休めの お守りであるにすぎない

四月四日 ぬこ

夜があけたので外に出て 歩いてゐるとねこがきて 進路をふさぐ 立ちはだかる愛玩動物を前に 気圧されて後退し つひには背を向けて 元きた道を引き返す 圧倒的なぬこだった 負けたくやしさはなく 気分はむしろすがすがしい その後立ちはだかる何者もなく 家の前まできたけれど 通り過ぎてしまふ 足をとめずに振り返らずに 前を見つめる目に映る 街路樹の葉とさびた看板 さてこの道をどこまでいかう この先どんなに歩いても どこにも通じてゐないし どこかにたどりつくこともないだらう それでも歩いて行くのだらう おなかがすくかあるいは 圧倒的なぬこに会ふまでは

四月三日 彼らの舞台

自分をかなしい舞台の登場人物とおもっても 観客の目にはこの劇は抱腹のコメディと映るのかもしれない それはそれでかなしい話なのだが この物語の主人公たちは あらがふべき重圧の中でしか 生きることのできない ハツカネズミのやうだ 脅威におびやかされてゐないと 生存そのものが立ち行かなくなる 平和は彼らにとっては破滅であり より正確に言へば自滅であって 危機に立ち向かふのは解決への方途ではなく それ自体が目的なのである 困難は乗り越えられるか押しつぶされるかするものだが 彼らの欲するのはその解消ではなく 困難自体であり 乗り越えるもしくは圧しつぶされることが目指されてゐる 要するに 傘をさしたいから雨天に出游するのである くもりなき晴天のもとでは生きられない そんなかなしくてをかしい悲喜劇が 彼らの置かれた舞台である

四月二日 タクシー

一日の勤務を終へ 町に出たわたしは ひとみに人の背中を映し そのままタクシーを呼び止める ―――どちらまで? ―――どちらでも 運転手は言葉に詰まる ―――駅ですか?それとも空港? ―――どこでもよいです 運転手は困った顔をする ―――どこでもと言はれてもねえ ―――お金は払ひますおまかせします 運転手は嫌さうにうなづく ―――わかりました駅でいいですね 返事がないのに観念した運転手がアクセルを踏む なにとなく車窓をながめてゐると 車が止まって扉がひらく ―――お客さんつきましたよ 礼を言ひわたしは駅前に立つ 手を上げてタクシーを拾ふが どこでもよいと伝へると あけた扉をしめられた 運転手の舌打ちの音が耳に残った それから何台か呼び止めて どこでもと繰り返した 最後に止まった車の運転手は どこでもいいと告げると 少しこちらを見つめた後 かしこまりましたと答へた 乗り込んだわたしは 移る景色をながめ 乗せた運転手は 何も言はなかった ―――こちらでよろしいですか そこは崖だった ―――ありがたうございます わたしが出ると エンジンを切って 彼もついて来た ―――ご一緒しませうか 彼はほほゑんだ わたしは少し見つめた後 顔をそらして柵に近づいた 風はなでるやう 穏やかに波はゆれてゐた わたしはふりむいて まだそこに立ってゐた彼に ほほゑんだ 帰る車中でも わたしたちは何も語らなかった 目を合はせることもなかった 二人ともその必要がないことを わかってゐた

四月一日 擬似的自殺

生きるために欠かせないのが衣食住だとしたら 歓楽街はどうしてなくならないのだらうか 別に難問でも何でもない 生存に必要だからだ 仔細に見ればただ 華やかな夜の店が必須といふわけではなく 酒に頼る人もゐれば おかしに逃げる人もゐる うき世のあれやこれやをつかのま隠すおほひであれば それが何であれ人はつかむのである 酒がなければやってられねえと大人はこぼす つまり酒がないなら生きては行けないといふのが実状であり 酒をあびるやうに飲み飲み込まれておぼれ はいて飲みはいて飲み 限界を迎へて意識を失ふまで 自らの力で自らを止めることができない この行為が一時的な逃避なのか 何らかの代償希求なのか知らないが たしかなのは この擬似的自殺のやうな行動は 人間の日常生活の構成要素となってをり 最低限必要なのはしたがって 衣食酒住としなければならないのが ありのままだといふことだ    たのしげな こゑにひかれて がもはひり

三月三十一日 舞踊劇

探せば見つかるものだらうか 不安の種はどこに埋まってゐるのだらう 青々としげる不安の野で 足元の草を払ふのに一杯だから それらがどこから生えて来たのか おもふいとまもないのだけれど 切っても切ってもまた生えて つかのまの夢に誘はれて 気づけばいつもまどろみの中 同じことをくり返してゐることは うすうす気づいてゐるのだけれど 原因がわからないままなので 終はりの見えない舞踊劇に またはじめから参加するしかない けれどどことなしに感づいてゐるのかもしれない 不安の元をたづねて あはよくばたどりついてしまへば その先にわれらを待つのは 今よりもっと化け物じみた 不安のかたまりなのではないか それにわたしは耐へられるだらうか 身分相応の不安を与へられて ぐるぐる踊り続けるのは 滑稽だけれども この輪から脱け出してしまへば 待つのはずっと どうにもならないことで たぶん心はすぐに 押しつぶされてしまふだらう しばらくはまだ この全員参加の強制的なもよほしが つづきさうで 誰も彼も力なく皮肉な笑みを浮かべながら 足を出しまはるのだらう

三月三十日 かみのごときひと

神のごとき御人といふのは賞讃ではなく その正反対の言葉であって 神とも見まがふあなたも所詮人であることを 我々は忘れてはゐませんよといふ警句である そんな我々人間は 現実と幻想のはざまで 調整作業に汲々として 少しづつすり減って行く どうして生きてゐるのか知らないのに なぜだかいつも生きてゐる はりつけた笑顔の仮面の裏側に 後ろめたさを抱へて 問ひつづけるのは稀で 魅力的に見える解決策を示されると いかに激しく飛びつくかを見れば 底の方に根づく 苦悩の深さが察せられる 絶望にさいなまれて 魂は逃げ道を求めるが どこを探しても見つからず 壁をこはすこともできず たたききずつき泥にまみれて どこかで折り合ひをつけることをまなび ある程度平安に生を送る きずついたままの魂から 赤い血がにじむのを あかずの物置きにしまひこんで 目に映らないやうにして なんらかの手法で肉体を酩酊状態にして 念のため目隠しをつければ安心だ

三月二十九日 すいせん

くもひくくたれこめ かぜつよくつめたく かさにぎるてつよく はるはまだいたらず しらぬかどまがれば いへくちてのとなり がれきちるあけちに まばらにてくさはえ どぶながるしたまち にほひにはもうなれ かほあげるいへのま あれたちにすいせん はなのいろきんいろ ひとへばなひそりと がれきちるあけちの くさのまにひらきて くもひくくたれこめ かぜつよくつめたく かさにぎるてわすれ はるはまだいたらず

三月二十八日 花なき野

謎かけでもなんでもなく 出発するとき人は既に到着してゐる ほとんどの冒険は目的地が定められてをり たんにそれが本人に意識されないだけで 未知の領域の探求者に成れて 道なき道を切りひらく先駆者の難儀と高揚を 味はふことができる 行き先は気づかれてゐないけれども それはあり それこそがあるのである 神ならぬ人の身でしかし どのやうにしたらその知へと到ることができるだらうか 知られてゐないものをどうやって知り得るだらうか たぶん人はないものを知ることはできない 人が知り得るのはあるものでしかない そしてあるものは それがある限り 知られ得ない このやうな隷属状態から人は いかなる道を通って自由へと至るか これが問題だ 問題は誠實にやさしい手で扱はれねばならない 破壊槌を握りしめる拳をゆるめて ひとまづ耳をかたむけるのがふさはしからう 内なる声に従ひ持ち物を捨て 社会的桎梏から逃れ旅に出た人々は 自由なはずの旅の道中で 胸に重くのしかかる違和感を抱いて それぞれの仕方で対処してきた 解決してしまってきた 無理からぬことだ わたしたちは今 途中に果てた旅人達のしかばねを踏み越えて 花なき荒れ野に立たねばならない

三月二十七日 パン

一月たった やはりおもふ ここはわたしの居るべき場所ではない 今のわたしは難民に似てゐる 財産もない技能もない たまたま流されてたどりついた 縁もゆかりもない異国の地でことばもわからず 生計のために身を労働力として売る 最低限度の文化的生活を送るためではなく 日々のパンを獲るためだけに 近所のスーパーで 値札とにらめっこしてゐると おばあさんにたづねられた これはいくらですか わたしは値段を見て教へた こちらはいくらでせうか すみませんね目が悪くて見えないんです わたしは袋に入ったパンをよく見て 二百五十円ですよと伝へた おばあさんは礼を言ひ わたしはいいえと答へる パンコーナーでの物色を再開し 迷った末にかごに入れる 百円のドーナツが たのしみであり最高の 贅沢なのだ スーパーを出て家に足を向ける 郵便局の前の公園で 子供たちがかけまはり 高らかにうたをうたってゐる 午後のあたたかい日がつつみこむ こどもとわたしと そしてきっとあの おばあさんも

三月二十六日 赤子

わたしは阿呆にならなければいけない あかごに戻らなければならない かたく組み上げて建てた城を ぜひとも解体しなければいけない 堅牢な城塞に立てこもり いつか来るかもしれない敵に怯え 日々はがれ落ちる塗装を塗り直し 一番奥にかくれて安らぎを得る そんな毎日から自分を引き離すのは 容易ではない 自分自身が望んでさうしてゐるのだから 自分から壊すといふ可能性はほとんどない 壊れるとしたらしたがって 外からしかない 自分の力のおよばない 自分ではどうすることもあたはない 自然災害によって 城がけづられていくのを 恐怖に目を見開いて ながめてゐるしかない 壊され得るものは壊され 捨てられ得るものは捨てられる 大事でないものなどひとつもないのに

三月二十五日 まぼろし

わたしはこの一ヶ月何をしてゐた この生活から脱け出す方法を考へてゐた いくつかのビジネスプランを温めてゐた しかし今や少しばかり落ち着いて眺められるやうになった しあはせになるための算段を立ててゐるときは ある程度夢中であった ある種の熱狂があった ただ今おもふにそれは不幸な現状を覆ひ隠すための 風呂敷づつみでしかなかった 幸福の幻に酔ってゐるあひだわたしは まぎれもなくある程度はしあはせであった ふしあはせな者がしあはせを求める 未来のしあはせを空想して現在の苦しみをやはらげる しあはせが想像されるものであるのと同様 不幸も求められ作り上げられた幻の像なのではないか もちろんある程度はの話だが かわいた者は水を求める これは無條件にさうだらうか 習慣でさうなってゐるだけではないか わたしは問ふ わたしは不幸なのだらうか 時間が現状にわたしを慣らし 思考を組み替へて適応させ はじめの痛苦を幻にするなら わたしが現況から脱出し しあはせになるといふ希望も そのうちしぼんで消えることになるだらう のどの渇きは苦しいが これもわたしが作り出した幻に過ぎないと言へるだらうか たとへば身体と精神と段階を設けて区別するのは この問題に取り組む道ではなく 処理する方法であるから 採用するのは適切でない のどの渇きも幻とするか 違ふ考へを探すか ともかく答へに飛びつくべきではないだらう

三月二十四日 風

たしかに 一人の傑出した指導者が道を指し示す時代は もう過去のものとなったのかもしれない 今わたしたちに必要なのは強い王ではない 建物のつくりが古くなったせゐで各所にたまる よどんだ空気を吹きはらふ風だ 壁をこはし窓をつくりかへ 風の通りをよくすること それ以上の難事は求められてゐない 住む家のたてかへ工事には 設計図が入り用で まづはこれを描かねばならないだらう どこぞの建築事務所に委託するのでなく 住人たち自身が最もよくこの仕事をこなすだらう 問題点も改善すべき点も 当人たちが一番よくわかってゐるのだらう もちろんご近所同士の連絡と助け合ひはなくてはならないが 富の寡占にさほど興味がなく 人間の抱へるもっと大きな問題に日々身をさらし 従ってお互ひをおもひやることのできる者同士なら かへって喜んで協力し合ふだらう

三月二十三日 持つ者と

雇用主と被雇用者のあひだには 決して埋めることのできない溝がある 人格とか態度とか待遇とかで隠すことはできない 主人と従者の関係であるから 力は主人の方にありまた 主人の方にしかない 雇用主の発言は使用人にとっては絶対である いくら理が被支配者側にあったとしても 私の考へはかうだの一言で どんな無理も通すことができる 旧態依然とした上意下達の組織を脱し 働く人の創造性を認め自主性を期待するやうな 中途半端に流行してゐる観念を さも大事なことのやうに説かれても 従業員の心にはまったく響かない そもそもどうしてオーナーの資産を増やすために 懸命に労働せねばならないのかの理由が欠けてゐるから 旧来の組織形態のままで 聞きかじった新しいことを導入しようとしても うまくいくはずがない ひづみはやがて必ず大きく育ってあらはれるだらう 所有者資本家持てる者があり 非所有者無資本家持たざる者があり 両者の関係は全く一方的であり 強者と弱者にわけられてゐる この単純な現実のあり様は壊されるべきなのではないのかと どちらかといへばわたしはおもふ

三月二十二日 社会

はたらき方を変へるといふより 生存の仕方をどうにかしないことには 自殺者は増えつづけ 心を病んだ保護対象者であふれかへるだらう 現状の制度と組織形態と 人々の意識との間のずれは 目視できるほどに広がってゐる 社会不適合者をつくり出してゐるのは 他ならぬ社会自身なのだから この課題の解決は 社会の変革に求められねばならない 政府の働き方改革といふ施策 ワークライフバランスといふ対症療法では 糊塗しきれない所まで 人々のあり方は進んで来てしまった 自分を殺して奴隷となり従事する仕事に 心身の健康を損なはれる人が増えたから とりあへず仕事のない時間を増やして 自分を恢復させませう といふのはその場しのぎのおもひつきに過ぎない 一時的にそれでどうにかなってはゐるが 蟻の一穴で決壊する堤防で済ませるのは 問題の先送りであり時間稼ぎ以上ではない 現に末端の人々は過酷な状況に置かれてある 彼らの声は小さい 上からおさへつけられて 黙々と日々の労務をこなす だから社会は問題がどの程度の深刻さなのか 気づきにくい 革命は突然起こらない

三月二十一日 こころ

もうご存知のこととおもふが わたしにはお金がない よはひ四十にして たくはへもない あらゆる角度から見て貧乏だ もしも不測の事態が起こったら たやすく我が身は破滅するだらう たぶんきはめて容易に どうにもならない苦境に追ひこまれるだらう 病気になったら怪我をしたら 想像してみると行きつく先は 目をそむけたくなるほどの あまりに暗い未来しかない 今わたしが生きてゐられるのは わたしの力とか意志によるのではなく たんに運がよいからに過ぎない わたしにはどうすることもできないものに わたしの現在はゆだねられてゐる もっともこれはお金があったとしても同じことではある お金や知識があればより大きな慮外事に対応できるだけだが わたしの今のありさまでは つまりふところが軽いので ちょっと強い風が吹いただけで飛ばされてしまひさうだ 耐へ得る困難の程度がいちじるしく低いから 少し想像をめぐらせるだけで すぐに心の安定が崩れ去る いつも不安で 酒でものんで我を失ふくらゐしか 今自分にできることがない いやあるだらうと説く賢人達の 部落を足早に過ぎて 緑の丘に立つ 金にしがみつくより あきらめられたら 胸をしめつける憂悶からも 解放されるだらうか 我執といふ名の桎梏を解かれて はじめて自由になれるだらうか すべての価値をひっくり返して つひに安住の地を見出すだらうか どうあがいても幸せにはなれないと悟った人間は どのやうにして最終的には 幸せになるのか なってしまふのか 酒に濁った目を開いたまま 見つめなければならないのか

三月二十日 休日

今日は休日だといふのに 夜勤明けだから あまり休みといふ感じがしない 考へてみれば当然だらう 休みといっても二十四時間程度の猶予を 与へられたにすぎない わたしの未来は売約済みなのは変はらない だから心はまったく浮かれないし むしろ沈んだままで 何物からも解放されたわけではないことを知ってゐるから 何らの喜びも見つからない 休みといふのはごまかしであり 詐術の一種として機能するのだとおもふ 他にどうすることができるといふのか 自分を自分でなだめすかして 今日は休みだ仕事からの解放日なのだと 信じこませる以外 どうやってこの現実から一瞬でも目を背けられるといふのか 逃れられないなら逃れられたとおもひこむ他ない ほとんどありとあらゆる物や事に見放された みじめな人間がせめて大通りを歩けるくらゐになるには きっと精神上の大転換がどこかで敢行されたにちがひない 百円のコーヒーを買ふのにこれほど悩むなんて 子供の頃は夢にもおもはなかった それでもつひに硬貨を一枚軽い財布から出したのは 今日は久しぶりの休日なのだと納得したから この生活をはじめて一月経たうとしてゐるが 今だに袖を濡らさぬ時はない 姿勢は悪くなりひがごとが増え やがては顔つきもかはってしまふのだらう 自分のあまりの無力さをつきつけられて 通り雨にふられただけで こぼれる涙をおさへることができない