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3月, 2019の投稿を表示しています

三月十九日 わたしの―――

日本列島上から下まで くまなくはうきではいたら ほこりがたくさんとれました そのままでは汚いので とりあへず一箇所に集めました それがこの街です さびついた扉から 腰の曲がったおぢいさんが すりきれた帽子をかぶり 出てきます 街のお風呂に行くのです 鳥居の前で立ち止まり 一礼します 帽子はのせたままです たぶん忘れてゐるのです わたしは青白い顔をして よろよろのおぢいさんを追ひ越します おぢいさんだけではありません 前からは年代様々な 各種各様が歩いてきます わたしは会釈をかへします さうです わたしもこの一員なのです 中学生の頃 不思議で仕方なかったことをおもひ出します 両親は音楽を聞きません それでも生きてゐます わたしは信じられないおもひで一杯でした ひとが おんがくの おんがくのびなしに いきてゆけるなんて 先日読んだ野生児に関する医師イタールの報告書は わたしの気を幾分楽にしてくれました その事例からわたしは 感受性は生まれついて 人に備はるのではなく 教育によって醸成されるものと学んだのです きっとあの電線にとまったカラスも 行き交ふ人達も 絶望の底に沈んだまま やっとのおもひで毎日を しのいでゐるわけでは ないのかもしれません おばあさんが頭を下げます わたしもあわてて返します 幸も不幸もその人次第ですって ええきっとさうなのでせう だからわたしのこの気持ちは わたしのみづから生み出した幻で わたし自身に責任があるのです だからこそかんたんに逃げられませんし 捨てることなんてできるはずがありません いいのですよ おばあさんがどうでも わたしはこの不幸を 生きるのです 誰かのではない わたしの不幸をね

三月十八日 出勤

出勤時刻に近づくと わたしは涙もろくなる どんなに嫌でも 認めざるを得ない現実を 押しつけられるから おかずのないごはんを かきこみながら わたしのほほは涙にぬれる しかしおもふに 自由の強奪が嫌ならば ごはんを食べる際にも 泣きたくなるはずではないか 空腹はわたしにはどうすることもできない 束縛に他ならないのだから それともごはんは喜びで 自分の一部として認知されてゐるのか いつかはごはんに 涙するときがくるのだらうか 生存のためか 家族の幸せのためか よくもわからないが わたしは働かざるを得なかった 最低の職に就かざるを得なかった わたしは仕事を嘆くのか もしも最高の職に就いてゐたら 嘆くことはなかったのだらうか よくわからないが 何にしても あまり変はらない気もする 出勤時刻に近づくと わたしは涙もろくなる どんなに嫌でも 認めざるを得ない現実を 押しつけられるから おかずのないごはんを かきこみながら わたしのほほは涙にぬれる

三月十七日 挽歌

これからうたふのは追悼の歌 仕事で運転中事故を起こして死んだ ひとりの労働者のはなし ありふれた交通事故は 地方紙の隅にも載せられず 同僚達もすぐに忘れてしまふ あとに残されたのは 車の残骸と遠く離れた地で かなしむ妻と家族たち 大きな車から跳び下りて 小走りにいそぐ さいしょにしたのは はぎしりで こぶしがかたくにぎりしめられてゐた どうしてどうして このいきどほりをどこに向ければいい どうして どうしてこんな仕事を してゐるのだらう もうかわいた笑ひすら 出てこない 自嘲などではない もう余裕なんてない 眞劍に問はずにはゐられない どうしてどうして 止められない 知ってゐる これは問ひではなく 叫びであり嘆きにすぎない たがの外れた狂人のやうに くり返しくり返し 悲鳴をあげて やり場のない憤怒を 胸の中でぐるぐるまはし はをかみしめて たへるしかない どうにもならないことを 知ってゐるから 声に出せない 叫びを上げるしかない ああ ああ 笑顔の仮面をはりつけて 用事をすませ 再び車にのりこむ 朝方は晴れてゐたけれど 雨雲が空をおほひはじめてゐる 工事をよけて街路を走る 左から一羽のセキレイが すぐ目の前を横切って飛ぶ ほんの一瞬の間の ごくありふれた出来事に 目を奪はれて 羽根の白さが心に焼きついて うづまく情念がからになり ハンドルを握ってゐた 人間は糸の切れた人形となり 赤信号につっこんだ 黒い空に消える鳥を 目でおひかけて 自由を 桎梏から逃れて 天をかけ上がれる白い翼を 目でおひかけて こんなありふれた労働者のはなし いろんな場所でくり返されて 記録にのこす価値もない よくあるかなしい おろか者のはなし

三月十六日 実験

これはひとつの実験なのだ ある意味でひとつの方法なのだ わたしはくるしみを慾っしそして それは与へられたのだ どん底に落とされた人間はどのやうに感じ どのやうに考へどのやうな思想を抱き どのやうに生きあるいは死ぬのか 自恃のより所をあらかた奪はれ 卑賤な職に就き 育ててくれた親や家族親しい人の期待を裏切り 天にも地にも人にも恥づかしく 顔を上げて通りを歩けないやうな 自由も最低限の尊厳も希望もみつからない状況におかれて たのむ所のない人はどんな風に変へられ 何をおもひ何をなすのか 観察しようとしたのだ この実験の特徴は観察者と観察対象が同一な点にある アヴェロンの野生児のやうにはいかない 被験者は自分であり 記述者は机の上のりんごを描写するのではなく 自分の目で自分の目を描かうとする 激情に翻弄される自分とそんな自分を冷静に見つめる自分がゐる といふ具合には従っていかない 荒れ狂ふ嵐の中で投げ出された波のはざまで 人はおぼれないやうにもがき一片の木板にしがみつくのが精一杯だ 冷たい観察眼を保つ余裕はない むしろさういふ余裕を持ち得ない場所を 実験の舞台として選定したのだ 自分で自分を突き落として わたしは笑ふのだ さう確かにわたしの顔には くらいゑみがたたへられてゐた わたしに手加減はない 全力で自分をしひたげようとし 実際にそれを行ったのだ さあ見せてごらん ここから君は一体どうするのかな どうできるのかな 会心の笑みをうかべて私を見る私がゐる 目の前にゐたらおもはず殴ってしまふかもしれないが わたしはそんな自分をゆるせないともおもへないのだ

三月十五日 生からの脱落

職場での一喜一憂の波に 浮きつ沈みつ手足をかきつづけ 疲れてもう動かなくなっても 救助の船はあらはれず そんな生にしがみつくのに 何の意味があるのかといふ問ひが生まれ 意味の少ない順に脱落して行く 観客不在の競争のやう 何もない所に行きたい 自由になりたい そんな願ひの心を満たす 夢は今この社会には見つからない フィンランドではベーシックインカムの実験中だといふ 失業給付金とは違ひ すべての国民に一律に支払はれる最低生活保証金制度だ 日本でこのやうな試みが行はれるのは まだずいぶん先のことになりさうだし 想定される問題は山積みで 議論だけでも長い年月を要するだらう ただやはり問題が たとへば今わたしの感じる生きにくさの遠因が 現在の社会体制にもあることは認められなければならないだらう たんにひとつの会社のあり方の問題ではない 末端の一機構を変へるには 時間がかかっても 社会全体の変革が必要だ たださうした改革が 上からの号令で果たされるのかは疑問だ 現実によい目を持った指導者たちは問題に気がついて 自分の領域において改善を試みてゐるやうだ この流れがつづき広がるならそれは 下からの変革であって いはゆるこれは 革命といふものであらう 人間の抱へる苦しみのすべてが取り払へるとは この革命運動の参加者はおもってゐないだらう けれど社会と個人とのあひだのずれが目に見えて大きくなり 不都合が出て来てゐるから ほんの少し修正して ずれを小さくしようとおもふのは 自然のなりゆきだし 人の手にあまることでもないだらう

三月十四日 ひとつき

これは日記なのだ なにか目新しいことを探したり案出したりする書き物ではない たんたんと日々の葉をかさねてつづるだけがふさはしい 遠国の僻地に一人で来て労働に身を沈めてより一月が経たうとしてゐる 新しい刺戟も繰り返されるうちにだんだん体の感覚は鈍く反応は少なくなってゆく 同じことがわたしの身にも起こってゐるのかもしれない 屈辱と涙不安と絶望恐れと怒りははじめの先鋭を失ひ ころがる石のやうに角が取れて今やまるみを帯びつつある そのうち力一杯握りしめても痛くないどころか 気持ち良いかたちに落ち着いてしまふのだらう 戦いも毎日のこととなれば緊張を失ひ日常と化す かうして知られぬ間に完璧な労働者がまた一人この社会に加はるのだ 不自然さや違和感はもうどこにも見つからない 彼にたづねてみてもきっと思ひ出せないだらうし 思ひ出せたとしても若かりし頃の青臭い自分の姿を恥ぢるのみだらう わたしもまた忘れてゆくのだらうか 感情がすりへってゆくのだらうか 日の届かない場所で顔も上げずに黙々と手を動かす働き蟻の一匹に わたしもなりつつあるのだらうか そのときわたしの倫理は世界はどういふ姿に構成されてゐるのだらう 蟻は満足なのだらうか それともたんに麻痺してゐるだけだらうか ある程度の障碍に突き当たると乗り越えようとする人も 巨大すぎる不幸の壁を前にすると 抵抗する気力をなくしあきらめの境地に至るものなのかもしれない 自分ではどうしやうもないことがあるといふ認識を与へられた人は もはや騒がずおとなしくなるのかもしれない この監獄からは出られないと悟った囚人のやうに 春めいて 花は聲なき 靴の下

三月十三日 うすい水色のそら

今日はめづらしく朝から晴れてゐた 外に出たときすぐに 自分が川の方に行きたいことがわかった どうして川に行きたいのかは知らないが 心は体を残してすでに川沿ひを歩いてゐた 重い肉体を運んで ほそく入りくんだ路地を抜け 小さな白い花の咲く水田に出る 目的地のない散歩は久しぶりで 歩幅はせまく歩調はゆるやかになる 途中地元のをぢさんらしき人に 三回も追ひ抜かれたが わたしは背中をながめつつ 四度目もあるかなとおもってゐた 絵の具でひいたやうな うすい水色のそらは けだるい午後の日ざしを 犬と飼ひ主とわたしにそそぐ 川にそって生えた竹のかげを行く 人の目がなかったから わたしは自然の一部に見えただらうか 街中でもしこのやうに歩いてゐたら 酔っぱらひか気狂ひか 関はりたくない人物にしか見えないだらう わたしの明日は仕事といふ名の先約で埋められて すでにわたしのものではなくなってゐる わたしはそのことを知ってゐるはず なのにどうしてこんなに放心してゐられるのだらう うれひは不安はどこへいった ここだけ見たらわたしは まるで自由人のやうだ 結局四度目の邂逅は 果たせなかった 犬を連れたをぢさんもどこかへ消えた わたしは流れを見つめて どうして川のそばに来たか なんとなく理解した ぬいだ上着とマフラーを腕にかけ 街へと戻る すれちがったおばあさんが 頭を下げる わたしはきっと もしも明日制服に身を包んで せはしなく動き回る姿を見たら 逆に怒るだらうとおもった

三月十二日 あをぞら

人生といふ名の牢獄から逃れられないとしても 鉄格子のすきまから 青い空がのぞくことだってある たなびく白い雲を追ふ そのあひだだけは 鎖につながれた身であることを忘れられる どんなに明晰な才人も白痴のやうに 口をあけて空を眺める つかのまの平穏がしかし 平穏の方から忍び寄る足音の うす気味悪さを覆ひつくせないならば 耳のよい人は感じとり よろこびとかなしみをこねあはせたやうな顔になる 不穏は平穏の中にあり 平穏がほほゑみかけるまさにその時 ゑみの中に身をひそめる 決して表に出て来ることはないが 完全に消え去りもしない たまにおとづれる 天気のよい日は 広がる青空を見上げて 贈り物のやうな甘い平和を味ははう 一瞬の平穏が絶えざる不安を隠しきれずに 甘みの端に苦みがまじり いよいよ認めなければならなくなる 日暮れどきまで そして夜は ものおもふことがゆるされる 星のまたたきの内に かすかにまじる異なる光を よく観察できる時だ 違和感としての現れに 実体があるわけではないのかもしれない どこまでもそれは 姿をあらはさないものとして どこかをかしな 点として けれどたしかに感じられるのみで もっとも敏感に感じとり 違和感の正体に目をこらす人も そのうち眠ってしまふのだけど そして朝が来て また日はのぼる 今日もさはやかな 青空だ

三月十一日 どーなつ

図書館で本を返したあとの帰り道 スーパーに寄る 傘の水滴を払ひ かごを手に店に入る 欲しい物があると 値札を見つめて考へる 今日は百円で五個入りのドーナツが売ってゐた 会計を済ませて 傘をひろげる すぐに水がしみこんで 足が冷えてくる 狭くて急な階段を上がり 鍵をあけてうちに入る 靴下が濡れてゐる さっそくドーナツの袋をあける うすいコーヒーを飲みながら 不乱にドーナツをほほばる 足が冷たくて寒い 一度外したマフラーを 再び首にきつく巻く

三月十日 もちもの

目覚ましの音に まぶたをあける 疲れて重い体は 今からはもう 自分以外の 誰かのもの まどろみに見る 幻影だけが ただひとつ残された わたしのもちもの けれどそんな小さなお守りすらも やがては奪はれてしまふのだらう 形のないものさへ取り上げられて そのときわたしの手元には いったい何が残るのだらう 握りしめたこぶしをひらいたら 手のひらには何がのってゐるだらう もしも何かがあったなら それがどのやうな何かであれ きっとびっくりするだらう そしてかなしいことに 疑はざるをえないだらう 本当は何もない所に 自分でこしらへた まぼろしなのではないかと 制服に着替へて 劇場に向かひ 下町の路地を急ぐ エレベーターのボタンを押して 数字の近付くのを ほぼあきらめの目で見てゐると すぐとなりに一匹の蚊が とまってゐるのが映る 肌をかくさうと そでをひっぱり腕をおほふ 蚊は動かない 目を離せぬまま あいたとびらに乗り込んで ボタンを指で押し ドアがしまるのを 無言でまつ

三月九日 望み

自分は悲惨な状況に置かれてゐる自分は不幸だ となげく若者にある老人がかう言ったとしよう 不幸なる同胞よ わたしも君のために君の不幸をなげきたい しかしおそらく君の不幸は 君のおもってゐる所にはないのだ なるほど君が不幸であるといふのは本当のことかも知れない 君は君自身がその原因であることを知らないのだからね さうだよ君自らが不幸を作り出してゐるのだ 不幸といふ色めがねをかけて見るから 世界は不幸色に染まって映るのだ 逆に君自身が原因とわかるなら めがねを外すこともできるのではないかね 君は本当に不幸なのだらうか 何も他人と比較する必要などない まづは今かけてゐるめがねに注意を向けて 虚心に世界を眺めてみたらどうかね 君は本当に不幸なのかもしれないし 本当には不幸ではないのかもしれない それはどちらでもかまはないのだ どうしやうもないことだからねただ 今の君はたんに自分で用意した幻を見て それに対して反応してゐるに過ぎない 少なくともこの見せかけの不幸からは君の力で 抜け出すことができるし 抜け出したいと君は望むのではないだらうか かう言はれた青年は自分を見つめ直し 気付きを得て成長するといふ物語だ この類の言説は巷間に流布してをり 様々な変奏が繰り返されてゐる所からするに なかなかに人気があるやうだ 不思議なのは 逆の言説を耳にする機会がより少ないことだ すなはち幸福にも同じことが当てはまるのであって しあはせも自らの生み出す幻想に過ぎないのに ばら色のめがねは宝物のやうに大事にされて それを外して素直に世界を見よとは あまり声高には語られない しあはせな人間はそっとして置いて 触れないでゐてあげようといふ気づかひが感じられる やさしい世界だ だから 持つ者は天国へは行けないのだ 失敗したのは失敗を望んだから 成功したのは成功を望んだから 不幸なのは不幸を望んだから 幸福なのは幸福を望んだから たしかに公園で遊ぶあの童児が あめ玉をなめてゐるのは 彼がさう望んだからにちがひない そして 彼が生まれたのは誕生を望んだからだし 生きてゐるのは生きたいと望んだからだし 存在してゐるのはかくあれと望んだからにはちがひない まあともかくどうでもよろしい 問題は

三月八日 さんぽ

おさんぽおさんぽ お日さまぽかぽか ふんわりほんわり てくてくてん おさんぽおさんぽ てくてくてん けふはどこまで いかうかしらん まちのこみちを たどらうかしら たんぼのあぜを すすまうかしら おさんぽおさんぽ てくてくてん ふんわりぽんわり おひさまが かはぞひのきを あたためて かほをのぞかせるの 小さなつぼみが かはぞひのどて てくてくてん そらやはらかく ほほをなで いきかふひとと ゑしゃくする ほほゑむひとと ゑしゃくする てんてんてん これがわたしの かんをけなのね ここがわたしの はかなのね いつもとちがふ ふくをきて 足どりかるく てくてくてん ごらんなさいな いつもと同じ 道だけど ほんとに同じ 道かしら ごらんなさいよ あそこの並木 いつもと同じ 木々だけど すこしをかしく ないかしら じっと見つめて ごらんなさいな いつもと同じ 道だけど なにかかくれて ないかしら どれだけ見ても 見えないけれど ほんとにいつもの 道かしら てんまふ ひとまふ われまふ まふまふ てんはね ちをどり ひとあがり われふす てんつつみ ちささへ ひとかなで われうたふ おさんぽおさんぽ お日さまぽかぽか あっちのくろい ぢめんのうへを ふみたいな ふんわりほんわり てくてくてん おさんぽおさんぽ てくてくてん

三月七日 文法

自分は知らないといふ宣告のもとにある者の感情は 何らか否定的なものであって気づきへの喜びとか感謝とか 知への期待とか安穏とか前向きなものはおとづれ得ない 混乱恐怖不安痛み さうした動揺にのしかかられて首根っこをつかまれて 自白を強要されるのだ はいわたしにはよくわかりません 自分がその中にゐて たんにゐるのみならず 自分もどうやらその一部分 といふ把握が的を射てゐるか外してゐるかも不確かですが であるらしいのに わたしには全体もまたほんの小さな部分すらも 分からないのです ええ何が何だかわからないのです おそらくの話なのですが 語彙の不備もあるでせうが そもそも文法が存在してゐないか 適切でないものをあてはめてゐるか こんなに身近なものは他にないのに どういふわけか 人はあまり足を踏みこまないやうで 全然開発が進んでゐない状況なのでせう 手近にあるから簡単といふ理由はなく この場合はたまたま 最も近くにあるものが最も困難なものでもあっただけのことでせう あまりにも難しいので といふのはそもそも足がそちらへ向くのが稀ですし 向いたとしてもそれ以上どうしやうもないのですから 我々は目を遠くに向けて わかりやすい未知の探求に忙殺されてゐるのでせう けれどかうして世界の一ペエジを書きこんで 広げて行けば行くほど 不安が頭をもたげてくるのです ことばにもならない不穏ですが その淵源はきっと 我々がはじめに目をそむけた といふ事実にあるのでせう はっきりと覚えてはゐなくても 心のどこかにそのときの場面が残されてゐるのでせう はっきりとおもひ出せなくても だんだん色彩豊かになってゆく 精緻な壁画の完成にはどこか足りない部分があるのを 感覚するのです もっとも感じても絵筆で解決はできないから 筆を投げる者もゐれば ますますかたく握りしめて 邁進するたぐひもをりませう それがあさっての方向へだとしても 責められる者は分別ある人の内にはゐないでせう

三月六日 悪

はるのあらしが去りて よのあけを迎へる 湖面のごとき 胸の奥には ひとつ舞台で 全員参加の 舞踊劇が 次から次に 場面をかへて 役者もかへて 進めらる 用意された物語が 巻き物を広げるやうに 展開される よい役を与へられた者は幸ひだ 彼は誇りよく演じやうと努める ただし主人公だけで劇は生じない 悪役もあれば 一片の口上もない端役もある そんな役にかなしくも選ばれた者は 心に不満を抱く どうしてあいつは主人公で 俺は有象無象なのか 説明を求めて 脚本家に訴へる いかやうななだめにも応じない 頭のかたい端役者は 爆弾をかかへ おさへきれずに火がついて 舞台もろとも吹き飛ぶか たへ忍びて羊のやうにしたがひ 日々舞台に立つ 主人公は演じ 悪役は考へる この劇は何か 誰が作ったのか 物語はどこへ向かふか なぜ俺は悪なのか 問ひを胸に抱いて 演じ続ける おれはいったい 何なのか

三月五日 視界

わたしは自分に何を隠してゐるのか 一時も立ち止まらせないやうに 夢といふ投射機で視界を染める どうしていつもわたしは何かを追ひかけてゐるのか 追ふのをやめたら何が見えてしまふといふのか 何か映っては不都合なものがあるに違ひない わたしも事情を知らされないながらも協力して 何かが明晰にあらはれないやうにしてゐる きっと倒れるまでこの茶番はつづくのだらう かつては全霊であらがったものだが 今はあらはれさうになるとあらはれる幻を ほほゑみを浮かべて追ひかけるやうになった ご苦労様ですと一声かけてやりたいくらゐ わたしのことお気遣ひ下されていらっしゃるのでせう 奇怪な生きものでございますよね ねえわたし ときにさいきん 視界にかかるもやが薄くなったやうな気がするのだけど 気の所為ならよいのですが 透けて見えさうになってる時があるから 注意して下さいね もっと持続的かつ強力な幻覚を見せて頂かないと いろいろはがれ落ちてしまひさうです

三月四日 こども

ある日わたしの袖をひく者があった 小さな子どもだった ぼくどなたどうしたの わたしはたづねた 子どもは目をうるませた 覚えてないの 忘れちゃったんだぼくのこと わたしはその子をよく見てみる 昔見たことがあるやうな気もして けれど面影はぼんやりとして わたしは記憶をひっくり返してみたが おもひ当たる人物はなかった わたしはつとめてやさしく言った うんごめんね ちょっとよく覚えてないんだ どこかで会ったかな するとその子はほほゑんだ そして小さな声でこたへた 昔会ったことがあるし さっきも今も会ってゐるよ わたしはさうなんだねとこたへた 何か用事があるのかな ほんとに覚えてないんだね その子は目をふせた 仕方ないことだけど どんなものにせよ 忘れられるといふのは よろこばしいと同時に うらさびしいものだね わたしはその子を見つめた けれどやはり何も思ひ出せなかった よいのだよ その子はなぐさめるやうに言った ぼくのことなんか覚えてなくたって むしろぼくは嬉しいんだ あなたがぼくを忘れてくれて あなたはもう振り返らなくてよいのだよ ぼくは心から あなたの未来にさちあれかしと願ふよ ありがたう ほんとにごめんね 最近忙しくて 考へることも多くてね いろんなことに あまりかまってゐられないんだ もし本当に君のことを 忘れてしまってゐるのだとしたら わたしはずいぶん失礼な奴じゃないかい なのに君はわたしをゆるしてくれるどころか 幸運まで祈ってくれるとは よくできた子なんだね君は わたしがさう言ふと その子は仕方ないからとくり返した さやうなら 次に会ふのが いつになるかわからないけど またどこかで会ったら その時はぼくのこと ちゃんと覚えてゐてね わたしは約束すると誓った 子どもは笑ってつぶやいた 前に会ったときも 同じことを言ってゐたよ それから今までずいぶんたったが あの子どもに二度と会ふことはなかった

三月三日 いでゆの夜

昨日は初めての夜勤だった 星のまたたく下 人々がいこひはじめる中で 職場に急ぐ自分のすがたは 取り残されたやうでなにか ものがなしい感じがした 年配の同僚が語る 昔は温泉街といへば 流れ者の巣窟だった 行くあてのない根なし草の 最後に流れ着く岸だった 罪を犯した者も稀ではなかった かうした場所には必ず寮があって 突然現れ雇ってくれと言ひ 主人はわかった働いていけと言ふ どんな経歴で何をしてきたか 深く尋ねることもなかった 昔はさうだったと 同僚は語った 私は黙念と聞いてゐた 今でも同じだよ あなたの目の前にゐる者がさうなのだから しづかな夜だった かなしみもくるしみも そして少しのよろこびも のみ込んで来た宵闇が ひたりひたりと 音と灯りを包み込む いでゆの夜は にぎやかで 騒がしくて 今日もまた しづかだ

三月二日 れんげ

黄泉の飯を口にしたイザナミは 帰って来られなかった フードコートの一番安いメニューを注文する 子供連れの婦人の後ろに並ぶ 空は曇って一面灰色 電子音が鳴り響き ラーメンを受け取り はしをとり 席につく 隣のテーブルの人はれんげを使ってスープをすすってゐる れんげを取ろうとカウンターに戻る しばらくうろうろしてみるが 見当たらない もう一度ラーメンを食べる人々をよく見ると れんげといふよりスプーンに近い奇妙な食器だ なるほどこれか 一つ手にして席に戻り スープをすくふ 香りは煮干しだが だしの味は薄い 空腹は最高の調味料ではなかったやうだ 食べ終へて一息つく 空を見上げる 灰色一面 言ひ知れぬ重たさが胸にかかる これでもう引き返せない 名実ともにわたしは 娑婆の一員となった どす黒い気分に心が覆はれ いや この場末には 灰色の空がよく似合ふ

三月一日 音

とりの聲(こゑ)がする からすが鳴き交はし すずめがささやく とりの聲がする 雨だれの音がする 窓枠にあたり 道路にはねて 街路樹にそそぐ 雨だれの音がする 車の音がする 少しづつ大きくなり 少しづつ小さくなる 車の走る音がする 冷蔵庫の音がする 重奏低音に 棚板の揺れる音が たまにまざる 冷蔵庫の音がする 息を吸い込む音がする 息を吐き出す音がする つばを飲みこむ音がする 服のこすれる音がする からすがないて 車が通り 雨がそそいで 音がする 音がする

二月二十八日 目

見失ひさうになる現実を つとめて視界にとどめ続ける 生きてある神ならぬ人の身がこれをなすには 特殊な準備が必要だらう そのままに放っておけば 視野はせばまり歪められ 地獄に薔薇色の天国が現出してしまふ 熟練の舟乗りが嵐を漕ぐやうな 繊細で大胆な技術の上に おそらくお祈りもしなければならないだらう 烈しい突風が すべての努力を一瞬で無に返す暴風が どうか吹きませんやうにと 希望と絶望にはさみこまれて その間でもがきながら 冷めた目を注ぎつづけねばならない どちらかと言へば希望より 絶望の方を友として 人間は厳密な存在だ 二つの自然 外なる自然と内なる自然の中にあって 荒れ狂ふ海原に投げ出され 丸太にしがみついて 舵取りをしなければならない

二月二十七日 白い桜

悪い冗談だ 四人掛けのテーブルにからのコーヒーカップが一つ 呼び出し音が鳴りっぱなし フードコートの窓から透ける空が 青い さういへば今は二月で さっき川沿ひを歩いてゐたら つぐみが飛んで 桜が開いていた 頭がくらくらして 目に力をこめる これはどうしたことだらう いつからわたしは歩いてゐて これはいつで なんで世界はかうなのか 答へられないし知らうとも思はないし ただわたしはここにゐて 白い桜が目に写るのだ 川沿ひの桜並木の 水色の空を歩いていく これは何の 悪い冗談なのだ

二月二十六日 阿呆

忘れてゐた感情がよみがへる 世間は阿呆で満たされてゐる 隙間がないほどつめこまれてゐる 搾取される阿呆と搾取する阿呆と 他にも様々な阿呆がゐる 自分がこの中に放りこまれてこの中で生きてゐることが 大問題である とてもストレスフルである 搾取される側利用される側純朴で善良で無知な側は ただあはれをもよほさせる 利用者には少しのあはれみと多くの怒りを感じる かういふ舞台設定なのだらうとおもふ どちらが欠けても完成しえない 世はかうしたものとはいつの時代も人が口に乗せてきた常套句だ 私はこの中で頂点に立たねばならない 今はこのピラミッドの最底辺にゐるのだが この位置から見える光景を脳裏に刻み込まねばならない 周りがおそろしく馬鹿ばっかりだから 私がしっかりしないといけないと感じる ただそれだけの ほんたうに簡単で単純なこと

二月二十五日 醤油瓶

なにも戦火に身を置く者だけが死を感じるわけではない 単純労働に身をやつす底流層は 日々の作務に追ひたてられ ものおもふ間もなく 目的を果たすだけの機械と化して ただひたすらに 意識が低いと怒鳴る上官の命令をたへしのぶ 心に浮かぶ理不尽への反発は 職を失ふ恐怖によっておさへこまれる 明るく楽しい現場の実態は 不安といかりと やるせなさとあきらめと 絶望感を基底とした 一種の精神病棟なのだ 患者はそこで毎日 死に直面する この生活は死だし 未来は死だし 現在は自死の誘惑におされつつも どうにかかうにか抵抗してゐるありさま 労働環境では死はすぐとなりにある びっくりするくらゐ日常にテーブルの上に 醤油の瓶と並んで 無造作に置かれてゐる

二月二十四日 ねえ・・・

ねえパパ この窮状をわたしは 誰に訴へたらよいのかしら パパに言っても仕方ないことくらゐわかってゐてよ だって同じ人間ですもの お互ひの惨状を目にして 相憐れむのがせいいっぱいですもの あるいは背くらべをはじめて 俺はあいつより金を持ってるとか 地位が高いとか 力があるとか 美しいとか 健康だとか 頭が良いとか 人より優れてゐるからまだましだなどと 自分に思ひこませて 自分の尊厳を 自分の幸福を かたくなに守らうとする そんなあはれな人間の 仲間内ですもの ねえ わたしは どうすればいいのかしら 誰にたづねたら教へてくれるのかしら ええ今すぐに救ってくれとは もう言はないわ ただ暗に示してくれるだけでも満足なの 終はりの見えないこの道の終点に いつかたどりつくことができるのかと

二月二十三日 希望

希望が生まれる 薄暗いじめじめした洞窟で倒れ 汚泥にまみれる旅人は 予感にふるへる空気の中 まぶたをあけて 曙光を迎へる 希望が生まれる あらゆる望みを打ち砕かれ 地にたふれふして もう起き上がる力もない だからこれは奇蹟のはずだ 今わたしはひざを立て 自らの力で立ち上がらうとしてゐる 暗闇のとばりをそっと押しのけて あたたかい光が入ってきたのだ 希望が生まれる よろこびが生まれる ひとみに意志が宿る 糸の切れた人形だった体に 力が戻り始める 手を握り感触を確かめる 十分だ 生の困難に立ち向かふ 強さが今やここにある 勇気は指先まであふれ 戦ふ準備はできてゐる さあいかう 出発だ たとへ危険な暗夜行だとしても この光が導いてくれる 希望が生まれる 生まれる うまれる むまれる もう何度目だらう くり返しくり返し 生まれる 生まれてしまふ 希望が 希望が 産まれる わたしに夢を見せ 力を与へ 生きる意志をふりおこす お前 希望よ 愚かなわたしに これ以上 何をさせようといふのか 希望よ お前は何なのだ まぼろしを目にして 虐げられた人は冷静でゐられない 希望よ お前が わたしたちの 絶望なのか 希望よ わたしをもてあそぶ 善良な顔した ばけものよ 希望よ わたしはお前がおそろしい それ以上に 自分がおそろしい 得体の知れないもの 真っ暗闇の中ですら 光を生み出すことのできる 自分といふ物体が 奇妙で不可思議で その根もとを見つめようとすると ものが 厳然としたものがあって 自分とはみなせない何かに突き当たりさうで どうあがいてもどうにもならないものの存在感が 胸に重くのしかかる 希望が産まれる 目を閉じてわたしは 嵐にそなへて身をかたくする

二月二十二日 忘却の忘却

 どうして労働階級はなくなっていないのか。どうして共産体制は失敗したか。  別に大風呂敷を広げるつもりはない。もっと小さな話だ。  ひとつには、夢がないからではないか。逆説的だが、底辺労働者がいないからではないか。いや現実的には単純労働に従事する者はいるが、彼らに希望がなかったからではないか。その代わり、絶望もないのだけれど。そういう中で生きていくのはとても難しい。  ゲームに似ている。社会はひとつの機構であり、装置であり、舞台設定なのだ。その中でこそ、貧者は夢を見られるのであり、夢を見られれば生きて行ける。すなわち、少なくともある程度は、幸せなのである。富者も同様だ。あるいは、彼らの方がより不幸なのかもしれない。  社会はひとつの麻薬に他ならない。共産主義はその麻薬を根絶しようとした。貧困がなくならないのは、それが必要だからだ。生きるために、必要なのである。たんなる生存のためにすら、人は貧困を必要としている。ゲームをするために。物語の主人公になるために。  最も重要なことは、忘れること。忘却なのである。何を忘れるか。むなしさを。無意味を。生の根底を。目をそむけることが大事なのだ。忘れたことを忘れてはじめて人はまっとうに生きて行けるのだ。

二月二十一日 思考

   考へるといふより考へさせられてゐる方が普段は多い。いや、さう言ふなら、考へるといふのは即ち考へさせられてゐるといふ行ひなのかも知れない。思考は別に高尚なものでなく、飲み食ひ寝る一環であり、生存のための作業だ。問題は、自らは考へてゐるとおもってゐる点だ。そのやうに考へさせられてゐるのが実状なのに、自分では考へてゐるとおもってゐる。  住み込みで働くといふのは私が選択した職といふよりは、もうそのくらゐしか自分の採用され得る仕事がなかったからに過ぎない。  何とか希望を見出さうと、頭が必死に回転を始める。みじめであっても、希望の残るみじめさと、将来の見通しの立たない単なるみじめは違ふ。私はみじめだ。どちらのみじめか、言ふまでもないだらう。他にどう捉へられるだらうか。馬車に繋がれた馬と同じだ。さんざん酷使され疲れ果て、動けなくなるまで働かされて、体が弱れば近くの森に捨てられて、孤独に死にゆく運命の、どこに救ひを見出だせるだらう。  本当に私はどうすればいい。現状はひどい。自由もない。この状況をひどいと感じなくなるか、何らかの救ひを見つけるか、あるいはひと思ひに命を―――。

二月二十日 死に損なひ

   私は結局死ねなかったのだ。私のしていたのは死の生活だった。何事にも一切興味が持てず、働かず、何もせず、日がな一日を座って暮らす。○○の稼ぎに依存して自らは何も生産しない。そういう隠遁生活を送るようになったのは、私にはすることがなかったからだ。ただひたすら生の終わりを待つような日々はしかし、この社会、この環境では続き得なかった。たとへば親が裕福で莫大な遺産でもあるなら続いただろう。その場合、私は死ぬまで何もせず引きこもっていただろう。勉強も仕事も何もない。社会には一切関わろうとせず、一人でいられる場所でひっそりと生を畢おえたろう。けれども、物体的事情がそれを許さなかった。つまりはお金がないから、私は無理矢理まどろみから引き起こされ、労働に駆り出されている。私は結局死ねなかった。死にそこねたのだ。こうして身を削っている今も、私は実の所死んでいるのだろう。死んだように生きるという言葉があるが、私の場合は生きているように死んでいるのだろう。死人なのだわたしは。

二月十九日 鮪漁船

 寄りかかって生きているということがある。学歴や容姿あるいは地頭のよさ等々、自分では意識しないながら、それが社会的立場の保証の一助となっているということがある。寄りかかれるということは、それは外のものということであり、したがってなくなることも可能ということだ。そうした支えが消失したとき、今まで体重を預けていた人は、まっすぐに自立することができるだろうか。  同僚に、○○はすごいと言われた。事実婚なのだから、別れればそれで済む話なのに、私のためをちゃんと考えて、送り出してくれたのだから。ここはマグロ漁船なのだね。私は、墓場だと思っているよ、と答えた。無理矢理追い出されて、なぜか地方に出稼ぎに来ているのだと。  気持ちの整理などつきようがない。毎朝もやもやして、何とか生きる方向へと自分を説得できる論理を編み出そうと頭をひねる。こうして書くのもその一環だ。そのままでは潰れてしまう自分の支えを構築する作業だ。ため息しか出ない。ため息すらもう出ない。カーテンの向こうから、すきま風と手を取り合って、絶望が流れ込んでくる。

二月十八日 鐘聲

かねのねが聞こえる 暮れなづむ空に 晩鐘がひろがり 虚空に消える わたしはどこにゐる わたしはどこにゐた あのとき目の前を横切った ねこは今どこにゐるのだらう かねのねがきこえる しづかに死を待つ人の 疲れてひびわれた耳に 暮鐘がひびきわたる わたしは何かなのか わたしはまだ何かなのか どこまで行けば この道は終はるのか かねのねがきこえる こんなにはっきりしてるのに ああわが人草(ひとくさ)よ お前はまだ顔を上げるのか わたしはまだ わたしはもう かねのねがきこえて こんなにはっきりしてるのに 耳をふさぐだけの 力がない

二月十七日 牢

牢獄のなかで目が覚めた すえたにほひが鼻をつく すぐそばにあった男の顔は ひどくゆがんでいやらしかった わたしはおもひだす 抜けるやうな青い空 真っ白な入道雲 ふりそそぐ光の海のなかで おだやかな風に緑の葉がゆれる この石とほこりと鉄柵しかない監房で 目は見えないものを追ひ求め 薄汚れた壁のすみを ただひたすらに見つめる 一瞬でもそらしたら しあはせが崩れて消えてしまふかのやうに 目に映ってゐるのは 自分と同じ 汚く品なくあさましい 囚人たちの かつては澄んでゐたはずの 狂気と混乱のひとみばかり 会社の借りた 安アパートの一室で目を覚ます 今見た夢をおもひだす もし本当に囚人であったなら どんなにかよいだらう なけなしの尊厳だけ与へられて 今日の強制労働が わたしを待ってゐる