四月八日 そのもの


当然なことだけれど
わたしたちがその中で生きてゐるその当のものを
実際に見たことのある人間はゐない
その中にある限り直截それを見ることは能はない
遠くでからすの声がする
すずめも盛んに鳴きかはす
かうした夜明けは出会はれたときすでに
世界の中に編み込まれてゐる
だからある意味出会ひは起こってゐないのかも知れない
わたしはわたしと出会ひ
すずめはすずめと出会ったのだ
知るといふのは多くの場合
モデルを構築する作業だ
その模型が言葉でも数式でも想像でも
何を材料に組み立てられるかは
対象がどのやうな領域のものかによる
知ることは把握することであり
つかむためには形ある物でなければならない
だから形を与へ受肉させた物をそして
操作し利用する
ほんの少し反省するだけで
わたしたちのしてきたことが
いかに乱暴で理不尽で
自分勝手で利己的で
おそろしく
不敬であるか
瞭然だ
今わたしの手の中に
握られてゐるペンを
照らすあかりは
どこからきたのかと
問ふことの意味を
考へる行為のはらむ
諸問題をおもふと
目がくらむ

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