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六月十六日 ひどい雑文

さうだもうやめよう 嫌なことはやめよう 我慢して続ければ わたしは苦しみ 怨嗟の歌は隣人の顔を暗くする はっきりしてゐるではないか この仕事はわたしにはふさはしくない 従業員といふ立場もさうだし 接客業といふ職種もさう 心からの笑顔なんてできない ごまかすことはできるが わたしも客も不幸にするだけだ しかし今の仕事をわたしは望んで選んだわけではなく 生活のために仕方なく就いてゐるに過ぎない もしやめるならわたしは生のつてを他に求めねばならない アルバイトを始めても 今よりもっと悪くなるだけだ 何よりそれは新たな従属であり わたしの望む独立ではない わたしはまづ第一に独立しなければならない 昨日実家から電話があり 兄が来月こちらに遊びに来るといふ 何よりも明晰なのは わたしが働いてゐる姿を 笑顔で客に頭を下げてゐる姿を 家族の者に見られたくないこと 想像するだけで恥で耳が赤くなること 申し訳なくなさけないこと ああもういいだらう――― わたしがこの仕事をやめるべきなのは 真夏の青空くらゐはっきりしてゐる ただ何の準備もなくやめれば たんにもっとひどい苦境に陥るだけなのも明らかで わたしがすべきなのは 衝動に身を任せてやめることではなく 情動を抑へて準備を進めることだらう 要するにまだ当分は 苦しまなければならない

六月十四日 迷いなき迷子

どうもね 邦国ではね ことばが魂を持つといふ 原始信仰がもてはやされてゐるらしいよ だからあやかって言っておかうとおもふんだ 我々の現在地はどこなのかと これは言葉しか信じない 信じられない変人の妄言なのかな いやさうでもないやうだよ かつて幾多の人間が 名のある人もなき人も 口にしてきたことばのきれはし 至る所でくり返された 呪文のやうなセリフだよ 少なくとも魂の宿る資格くらゐは 十分に備へてゐるやうに感じるよ ならわたしも同じ様にくり返すまでだね そしてそれがたんにため息としてではなく ひとつの問ひとして実行されることを願ふよ わたしは今たぶん能天気すぎるし 寝起きで頭が回ってゐないから言へるとおもふのだけど 誰も知らないものを知らうと立ち向かふのは なんだかとてもわくわくすることじゃないかね ことばにしてみると驚きだよね 我々は自分がいまどこにゐるか 知らないんだよ 迷子といふか 自分が迷子だと気がついてゐない 迷子なのだよ

六月十二日 人間らしさ

待遇が悪い? 居心地が良くない? 何を言ってゐるんだらう わたしは奴隷で 最底辺なのだから 職場環境が劣悪で ストレスフルで 非人間的で 恐怖が支配する ひとことで言ってひどいのは 当然のことだ きちんと現状を理解してゐれば 文句などわづかも出ないはずだ 無能な四十男がはじめて社会に出て働き口を求めれば かうなるのは自然の理だ 昨日は給料日だったのだけど こんなわづかな金でどうしろと なんておもひを消すことはできなかった 普段はいいけど 病気とか事故とか めがねやパソコンが壊れたりしたら おしまひだよね 今のままなら 老後なんて 地獄でしかない 働かなかったキリギリスが 悪いのだけどさ たしかに愚かなのかもしれないけど より人間らしいのは 緑の虫の方だとおもふのは 物語りの解釈として まちがひだらうか どっちにしても 愚かだね人間はいはい で終はる話なのだけど 自分がその一員なので ため息をつくしかない

六月十日 おしごと

そろそろ時が来つつあるのかもしれない 何の? かんがへる時だよ 何を? 人事のすべてと言ひたいよ 遠足のおやつも? さうだねそれが人のすることならね 必要なこと? さあどうだらう ここはふわふわしてて 落ち着かないんだ かんがへれば改善するの? むしろかんがへるから不安定になるのかも ならかんがへなければ安定する? 固定はするだらうけど 風通しは悪くなるし なによりそのままを維持しようとするにも ものすごい労力がかかるよ でもそれでよいのでは? 時代によってはそれがよいのかもね 一部の変人の企てといふより 時の要請なんだよ かんがへるといふのはね かんがへるって何? 今あるものを認識し解体し構築することだよ それらは同時進行だよ それって誰の仕事なの? 労働者の仕事だよ 労働者って? 最後に杯を受け取る人のことだよ おいしいお酒? 苦くて飲めないお酒だよ

六月七日 くすり

わたしは女の子をつかまへて言った やあ今日もごきげんななめだね 女の子はこちらを見もせずに答へた それがわかってゐるなら どうして話しかけようとおもふのかしら 神経を疑ふわ わたしは言った 聞いてほしいことがあるからだよ いいかな 女の子は 話すのはあなたの自由よ と云った 逃げることはできるのだらうか 逃げるためにはここではない別の場所が必要だけど そんな避難場所は存在し得るだらうか 一時的な逃避先ならあることは間違ひない わたしも毎日利用してゐるからね それは酒だったりおかしだったり 物語だったり空想だったりするのだけど それらに浸ってゐる間は世の憂ひを忘れることができる 人間は肉体を持ってゐるから その肉体を夢中にさせることで 魂の目を一時にせよそらすことができるんだ おほひかくすことができるんだよ 問題は解決されてゐないで現にあるのだが それにおほひをかけて見えなくすることは可能なのだ わたしも現実と夢のあひだを行ったり来たりしてゐたのだけど かういふ生活形態の欠点は かなり大きな負担を心に強ひるといふことだ 逃げ続けられるなら何の問題もないのだけれど どこかで夢は終はり どうしても現実に戻される時が来る くり返すが 夢の中で遊んでゐられるなら まったく問題はないんだよ けれどさうは行かないから 引き戻される際の衝撃が大き過ぎて 少しづつだけど 心がすり減って行くんだ 毎日毎日行き来をくり返す 現実と逃避先との乖離が大きいほど 帰らされる時の痛みは耐へ難いものになる その苦しみの予感が 逃げ込んだ先での安らかさをむしばんでいく そしてあきらめの気持ちが生じる 少しの間救はれても やがて必ず苦しみは迎へに来る むしろ少しの間救はれるから やがて来る現実は耐へがたくなる ならばかりそめの救済にあづかることに 何の利があるだらうか それは救ひでも何でもなく 苦しみをいたづらに増すばかりの 悪魔のほほゑみでしかないならば 逃げても結局苦しみが増えるだけ ならばその自分の首をしめる行為に 何の意味がある てっとりばやく苦痛を消す意

六月五日 時節

わたしたちは 何をどう取り違へようと 不幸だ ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― つかれたので あしたのわたしに たくすよ

六月三日 祈り?

わたしは誰にこの窮状を訴へたらよいのでせう 問題は山ほどありますが 一番切実なのは 現状語りかけるべき相手がどなたなのか わからないといふ点ではないでせうか 心当たりすら全くない状態なのです そんなただ中でわたしは一体 どうしてこの訴文を記してゐられるのでせう ずいぶんとこっけいな 摩訶不思議なことをしてゐるものです まるで誰かの目にふれてしかも その誰かがあはれみの心を動かしてくれると そんな信仰心を秘めてゐるかのやう せっぱつまった人間は なりふりかまはないといふことの証明を 行ひつつあるわけです これは祈りでせうか とんでもないと否定したいのですが はいこれがわたしの いのりなのです

六月一日 小さな声

いつからか覚えてゐないが 不自然さを毛嫌ひしてゐた きっかけも記憶にない ともかく外部からの力で加へられる変化に敏感だった 暴力による制御の企て一切を抛擲し 何もしないままに任せるのが善だと信じた 自分の生活にもその方針は適用され わたしは今や赤貧に喘ぐその日暮らしといふわけだ 放って置いたらかうなったとしか言ひ様がない 目標を立て計画を定め意志をもって実行する そんな方法はわたしの最も嫌ふ所だった そのやり方は見えない部分で犠牲となるものが出る 虐げられた者の声は小さく たやすく大勢に無視されてしまふ しかしわたしは確信してゐた いつか必ず彼ら弱き者のうらみは返って来ると これは感情的な判断なのではなかった どこかで帳尻合はせは行はれる 冷たき理性はさう告げる わたしは寺にでも入ればよかったのではないか 世間のしがらみの中で強いて何もしないやうに努めても 世の濁流のただ中では流されて溺れるだけ けれど世を捨てて仏門に入るのは 千年前ならさうしたかも知れないが 今それをわたしがしたら これもひとつの不自然になってしまふ 何もしない何もできない 身動きのとれないまま 流されるまま 抵抗しないわたしがたどりついた岸が この安アパートの一室だった ここが海の中ではなくて 岸だといふのは 流されて行く途中ではなくて 到達点だといふのは 希望的見解かもしれない しかし奇妙なことに 心の声が ここがさうだ と語るので わたしもさうかと 納得してゐる この冒険において 基準は心にしかなく それは形のないあやふやで どうにでも変へられる都合の良い道具ではなく その正反対で わたしの一生を狂はせるほどかたくなで どんな数字よりも厳密なものだ

五月三十日 一本の鍵

便宜的に大きな歴史と小さな歴史があるとして 大きな歴史は小さな歴史からの類推によってのみ知られる 歴史を学ぶとは無から有をつくることではないし より賢くなるやうなことでもない 歴史は歴史をすでに知る者にしか知られ得ない 歴史はいつも発見されるのみで 目の見える範囲でしか映らない 現に知られてゐるものが 現に知られてゐる仕方で 見出されるのが 歴史の学びであって 新しいことといふよりそれは追認であり再発見に過ぎない さて厳密な言論の到来する前に 小さな歴史についておもひをめぐらせてみよう 人が必ずたどる そんな筋道はあるだらうか たとへば死はどうか 死のあらはれ方は常に同じか またその問題の乗り越へ方も 人は同一の道を通って成長変化するのか 至る所も皆同じなのか 時も場も異なり得るから判断できないが わたしはわたしの中で唯一の道に至れるやうになるはず 夾雑物や雑多なうはずみを抜けた先に 確からしい道が見えるだらう それが死なのか死といふ問題なのかといふことだ 人はといふかわたしはおもふよりずっと単純なのかもしれない 複雑さうに見えるし手に負へないやうに見えて 小さな一本の鍵で開かれる堅固な城門なのかもしれない 正面から突撃しても喧騒の中玉砕するだけだが その鍵のありかさへわかればすむのかもしれない

五月二十八日 天の譜

一日の仕事を終へて 折れ曲がった路地を行く 木でできた塀の一部が破れ 今朝はそこから三毛猫があらはれた 角を左にまがると 空き地があって 車が何台かとまってゐる その向かうに 空がひろがる 太陽のやさしい光にあてられて あはくとけあひ 一幅の絵画が完成される 村人は覚えず足を止め 陶然とたたずむ もし自分に才があったら この空と雲の刻々の転変に 曲想を感じとり 音楽の奏でられるのに ただ耳を傾けることができただらうに 学校ではト音記号は習ったけれど 天空といふ譜面の読み方は 教へてくれなかったな もしも教へられてゐたら 大きな街の音楽堂まで足を運ばないで済む 下手かもしれないしうまく鳴らないかもしれないけど たったひとつの音楽がきけたのに

五月二十六日 おだやか

のどがいがいがするので せきばらひをしてゐると がまんできなくなって おもはずはいてしまった あかかった 一瞬ときがとまった そしてわたしは 見なかったことにした 考へるのをやめた 驚くほどに心は穏やかで 波風ひとつ立ってゐなかった いま思ひ返せば そのことがむしろ異常なのだった 予想を越えた悪事が起こると 人は認識するのをやめるらしい 何もなかったことにするらしい そしてその試みは容易に成功するのだ いまもわたしは落ち着いてゐる 致命傷を負った獣も 同じやうな心境なのではないか 痛みはもう感じず 何かしようとも思はず ただ穴の奥にひそんで じっと息をするだけ あせりも不安も希望も恐怖もない 何も生じない 本当にどうすることもできない事態に遭遇すると どうかうすることもないし 何かをしようとする意志すら生じないので 一見すると 平和そのものだ コーヒーか 緑茶かまよふ 吐血かな

五月二十四日 ぐらたん

ねむい かうしてペンを握ってゐても目をあけてゐられないほどには ねむい ねむたいけれどわたしは起きてゐる こんな単純でどうしやうもない絶望が 他にあるだらうか これこそまぎれもない不満足であり 純粋な不幸ではないか 体の芯から睡眠を慾してゐる 全身に残る疲労感 ねむればどんなに気持ちよいことだらう まっしゅるうむ まかろに ちがふものだったっけ まっしゅるうむとまかろに 菌と麦だった ぐらたんたべよう ぐらたんにしてたべよう きのこと麦のぐらたんをたべよう ん?あれ? なんかにがいぞ さうかこれが不幸の味か なんちゃって ちゃんとおいしいよ しあはせのぐらたんだよ

五月二十二日 このコーヒー

ふう・・・・・・ 食後の一杯のコーヒーが 一日の中で唯一の 安らげる時間 かなしいけれど これが現実 わたしのだけじゃない かなしいことに ありふれた現実 旧時代も きっと新時代も含めて さびしいけれど これが現実 わたしたちの 生存様式 そして残念なことに つけ加へなければならない ただしこれは わたしの現実かもしれない 業務スーパーで買った 一番安いやつだしね 仕方ないのだけど 声に出さざるを得ない このコーヒー まずっ・・・ ふう・・・・・・

五月二十日 基本的なレベル

まるで呪ひのやうに うはごとのやうに ひたすら同じ文言を くり返す それがわたしの まいにち ここはわたしの居るべき場所じゃない 一体なにが問題なのか 答へも定まらないまま その都度脳裏に浮かぶ罵詈雑言を はき出せば少しはすっきりする してゐるだらうか 雇はれ単純労働が悪いのか 一刻も早く独立したい それは結構だが 自立してもついてまはる気がする この憂鬱と倦怠と 疲労と色濃いやるせなさと 胸にわだかまる嫌なかたまり ただもったいないといふレベルで 独立したいのだらうか どうせ時間を消費するなら 誰かのためにではなく 自分のために使ひたい もっと言ふなら 自分と○○○のために使ひたい 二人で共に歩みたい 共に失敗し積み重ね成長したい それでもし生きていけるなら 今の境遇よりはずっといい それは実にたしかだ まったく同意だ しかし一方で 孤独を求める自分もゐる ひとりでゐることが必要なのも わかりきってゐる 一人でゐるのはたへがたく 二人でゐるのも無理なので どちらにせよわたしは 基本的なレベルで 不幸である他ない