四月二日 タクシー


一日の勤務を終へ
町に出たわたしは
ひとみに人の背中を映し
そのままタクシーを呼び止める
―――どちらまで?
―――どちらでも
運転手は言葉に詰まる
―――駅ですか?それとも空港?
―――どこでもよいです
運転手は困った顔をする
―――どこでもと言はれてもねえ
―――お金は払ひますおまかせします
運転手は嫌さうにうなづく
―――わかりました駅でいいですね
返事がないのに観念した運転手がアクセルを踏む
なにとなく車窓をながめてゐると
車が止まって扉がひらく
―――お客さんつきましたよ
礼を言ひわたしは駅前に立つ
手を上げてタクシーを拾ふが
どこでもよいと伝へると
あけた扉をしめられた
運転手の舌打ちの音が耳に残った
それから何台か呼び止めて
どこでもと繰り返した
最後に止まった車の運転手は
どこでもいいと告げると
少しこちらを見つめた後
かしこまりましたと答へた
乗り込んだわたしは
移る景色をながめ
乗せた運転手は
何も言はなかった
―――こちらでよろしいですか
そこは崖だった
―――ありがたうございます
わたしが出ると
エンジンを切って
彼もついて来た
―――ご一緒しませうか
彼はほほゑんだ
わたしは少し見つめた後
顔をそらして柵に近づいた
風はなでるやう
穏やかに波はゆれてゐた
わたしはふりむいて
まだそこに立ってゐた彼に
ほほゑんだ
帰る車中でも
わたしたちは何も語らなかった
目を合はせることもなかった
二人ともその必要がないことを
わかってゐた

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