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七月六日 まつり

まつりのひ くらやみのなか ゆらめく提灯が 地べたに座る民と 前を向いて歩く男と 神輿をかついで叫ぶ衆を うかびあげる 太鼓がうたれ 花火がひらく 通りの両側に屋台が並び 若い子らが笑ふ 男は申し訳程度の微笑をうかべ 人の間をぬって行く 大通りを過ぎて 角を曲がると 喧噪もあかりも すぐに遠くなり いつものうす暗い 裏通りのまん中を ひとり歩いてゆく つくり笑ひの消えた顔に 少しのかなしみと少しのくるしみと たくさんのとまどひと あきらめをうかべて 大きな歓声に振り返る目に 白い電灯と民家の壁が映る 向かうの広場に 神輿が着いたのだらうか 街灯の下で 男は鍵を取り出し 寓居に向かひ 歩き出す

七月四日 誕生日

おめでたうおめでたう わたしは今日で四十歳になりました 近所のスーパーで買ってきた 出来合ひのタルトを食べて 何となく満足してゐます 昼が白いです 窓に向かって座る頭の中に 映像が浮かびます 誰にも告げずに突然電車に乗り 死といふ終着駅への旅に出た男が なけなしの貯金を崩しながら ネットカフェを渡り歩いて 死ぬまでの日数を指折り数へます よく晴れてゐます 白い光が室内に入ってきます 何といふことでせう この集合住宅に静かにしてゐると 上や隣から足音や声や音楽が聞こえます 部屋の中から冷蔵庫の音もしてゐます すずめが なきます 自動車が通ります おめでたうおめでたう 四十回目の誕生日 わたしは平気です

七月二日 なったりする

率直に言って今わたしを動かしてゐるのは恐怖だ 金もそれを得る手段も持たない身の将来は 不安の一色で塗りつぶされてゐて 生活のためにとりあへず選んだ職場では 解雇につながる失敗への恐れが同僚たちの動機だ わたしはずっと夢を見てゐたい 家から出ずに心地の良い寝台で寝てゐたい 目を閉ぢてゐたい 見るに耐へない現実など見たくない 外にも出ず誰とも会はず ぼんやりとしたまどろみの中で 一生を終へたい なのに今自分の状況を感じ取れば ただただ戦慄しか生じない ここは地上でわたしは有象無象の一人で 楽園への帰り道ももうわからない 思ひ出したとしても飛ぶための翼もない身では 余計につらいだけだらう いや希望があるだけましなのだらうか 希望か 死ねばとりあへず終はるかもしれないといふ 根拠のはっきりしない与太話を信じて 死ねば救はれる かもしれない さうおもふことでしか ひとかけらの安心も得られない この世界は残酷だ ときにやさしかったり ときにやさしくなかったり わたしは波のはざまで揺られ よろこんだり くるしんだり たまにつかれて もういいやって なったりする

六月三十日 たんなる静寂

ねえ なあに? どうして? なにが? いやなんなのだらうこの拷問は とおもっただけ 大丈夫? 生きてゐる者で 大丈夫な奴なんて ゐやしないよ 元気ないわね 酔ったままでゐられたら どんなにか楽だらうね けれどどんな酩酊も いつかは覚めるときが来て 真顔になった人は 生といふ名の牢獄の中で 何もできずにひたすら 死がやって来るのを 待つだけの身であることに気づく 憂鬱とか絶望とか そんなに激しいものではなくて ここにあるのは たんなる静寂 さう たんなる静寂だけなんだ たへられるわけないよね たんなる人の身で だけど逃げ出すことも もうかなはないから それがわかってゐるから 身動きすらとれないで この小さな牢屋の中は とてもしづかなんだよ さうだね ひとりごとだね ひとりごとが響いてゐるね 別に抵抗してるんじゃないよ どうしようもないから どうしようもないねって 口に出しただけだよ

六月二十八日 まだつづく

まだ働き始めて三ヶ月分の給料しか受け取ってゐないが 銀行の預金通帳を眺めて 今仕事をやめたら一月は生きて行けるかな その一ヶ月で何をするのかなわたしは などとおもふばかりで ほんたうに 自分のやうな者はこの社会の中の どこにゐればよいのだらう 流されるがままにここまで来たが ここが終着地といふわけでもなく ここから先にはいったいどこがあるといふのだらう そこでまた まだわたしは 生きて行くのだらうか 沈みかけた 夕日の照らす 並木道を行く たんそくも ことのはも のみこんで わたしの目から ただ音もなく なみだがこぼれ

六月二十五日 自立

何となくわかってゐたことだが ○○○とゐる時は独りになりたかったし 今かうして一人になってみると ○○○と一緒にゐたくなる わたしは彼女を利用してゐるのだとおもふ 自分の生存の安定のための 支へのひとつとして使用してゐるのだとおもふ だからわたしは彼女からも独立しないといけない 自立できてはじめて一緒に暮らすこともできるだらう 経済的にも精神的にも 独り立ちできたときは きっと再びひとつになれるだらう それは以前の二人の関係とは 同じやうでゐて異なるものとなるはずだ たぶん彼女も同じやうなことを考へてゐる気がする お互ひに離れての生活はつらいが 通らなければならなかった道だといふことを 認めなければならない とてもをかしなことだが 次にわたしが○○○と一緒になれるのは なれるとしたら わたしが彼女を必要としなくなったとき以外にないだらう

六月二十三日 たんそく

学校はたへがたい場所だった 未熟な子供にはつらかったらう 自傷行為を繰り返し 授業ではノオトの端に日記をかいてゐた 体育ではグラウンドの真ん中で 何もせず突っ立ってゐた もちろん先生にどなられた 理由がない だから動けない なのに周囲は動き わたしは巻き込まれて流されざるを得ない こんな苦しみが他にあるのか 当時のわたしにはおもひつかなかった そんな子供の姿をふとおもひ出す 今わたしは何も変はってゐない 理由がない なのに生きてゐる これほどつらいことがあるだらうか わたしにふさはしいのは 精神病院のベッドか 橋の下にダンボールで作った寝床であって ここは本当に場違ひだ けれどわたしが途中で退場したら 残された親や妻はどうなるかと 考へてしまふ たんそくするしかない 生まれなければよかったと

六月二十日 のぞみ

単純な機械でできるやうな仕事がしたい 工場で流れて来た製品に部品を付けるやうな 頭を一切使はない作業がしたい 何も考へたくない 喋りたくない 人間と社会に関はりたくない わたしに一番ふさはしいのは 奴隷だとおもふ 主人の命令をきくだけの 意志を持たない人形に わたしはなりたい さういふものになるしか 今のわたしに道はない 疲れて疲れて 疲れはてたわたしの それが末路でありのぞみだ

六月十八日 生活の工夫

自分は不幸だと繰り返す さうすれば苦しみが軽くなるから 希望とかあるとつらくなるだけだから 自分が不幸なのが当たり前にすれば 今の状況もふつうになって 苦しむことも少なくなるはず だから自分は不幸だと思い込まうとする 信じ込ませようとする 同様な理窟でたまにある休日により ストレスは大きくなる 休みの日にはどんな労働者でも自由を得る そんな風に勘違ひしてしまふ それは自由などではない 牢獄の窓から覗くたまのはれまに過ぎない 束の間の自由を満喫すればするほど その後の不自由との落差は深くなり 絶望も濃くなる だからわたしが労働者になって最初に学んだのは 休みを休みと思はないこと 休日の意味を額面通りに受け取らないこと 一時でも自由な時間があると 勘違ひしないこと 余計に苦しくなるから これは生活の工夫だ

六月十六日 ひどい雑文

さうだもうやめよう 嫌なことはやめよう 我慢して続ければ わたしは苦しみ 怨嗟の歌は隣人の顔を暗くする はっきりしてゐるではないか この仕事はわたしにはふさはしくない 従業員といふ立場もさうだし 接客業といふ職種もさう 心からの笑顔なんてできない ごまかすことはできるが わたしも客も不幸にするだけだ しかし今の仕事をわたしは望んで選んだわけではなく 生活のために仕方なく就いてゐるに過ぎない もしやめるならわたしは生のつてを他に求めねばならない アルバイトを始めても 今よりもっと悪くなるだけだ 何よりそれは新たな従属であり わたしの望む独立ではない わたしはまづ第一に独立しなければならない 昨日実家から電話があり 兄が来月こちらに遊びに来るといふ 何よりも明晰なのは わたしが働いてゐる姿を 笑顔で客に頭を下げてゐる姿を 家族の者に見られたくないこと 想像するだけで恥で耳が赤くなること 申し訳なくなさけないこと ああもういいだらう――― わたしがこの仕事をやめるべきなのは 真夏の青空くらゐはっきりしてゐる ただ何の準備もなくやめれば たんにもっとひどい苦境に陥るだけなのも明らかで わたしがすべきなのは 衝動に身を任せてやめることではなく 情動を抑へて準備を進めることだらう 要するにまだ当分は 苦しまなければならない

六月十四日 迷いなき迷子

どうもね 邦国ではね ことばが魂を持つといふ 原始信仰がもてはやされてゐるらしいよ だからあやかって言っておかうとおもふんだ 我々の現在地はどこなのかと これは言葉しか信じない 信じられない変人の妄言なのかな いやさうでもないやうだよ かつて幾多の人間が 名のある人もなき人も 口にしてきたことばのきれはし 至る所でくり返された 呪文のやうなセリフだよ 少なくとも魂の宿る資格くらゐは 十分に備へてゐるやうに感じるよ ならわたしも同じ様にくり返すまでだね そしてそれがたんにため息としてではなく ひとつの問ひとして実行されることを願ふよ わたしは今たぶん能天気すぎるし 寝起きで頭が回ってゐないから言へるとおもふのだけど 誰も知らないものを知らうと立ち向かふのは なんだかとてもわくわくすることじゃないかね ことばにしてみると驚きだよね 我々は自分がいまどこにゐるか 知らないんだよ 迷子といふか 自分が迷子だと気がついてゐない 迷子なのだよ

六月十二日 人間らしさ

待遇が悪い? 居心地が良くない? 何を言ってゐるんだらう わたしは奴隷で 最底辺なのだから 職場環境が劣悪で ストレスフルで 非人間的で 恐怖が支配する ひとことで言ってひどいのは 当然のことだ きちんと現状を理解してゐれば 文句などわづかも出ないはずだ 無能な四十男がはじめて社会に出て働き口を求めれば かうなるのは自然の理だ 昨日は給料日だったのだけど こんなわづかな金でどうしろと なんておもひを消すことはできなかった 普段はいいけど 病気とか事故とか めがねやパソコンが壊れたりしたら おしまひだよね 今のままなら 老後なんて 地獄でしかない 働かなかったキリギリスが 悪いのだけどさ たしかに愚かなのかもしれないけど より人間らしいのは 緑の虫の方だとおもふのは 物語りの解釈として まちがひだらうか どっちにしても 愚かだね人間はいはい で終はる話なのだけど 自分がその一員なので ため息をつくしかない

六月十日 おしごと

そろそろ時が来つつあるのかもしれない 何の? かんがへる時だよ 何を? 人事のすべてと言ひたいよ 遠足のおやつも? さうだねそれが人のすることならね 必要なこと? さあどうだらう ここはふわふわしてて 落ち着かないんだ かんがへれば改善するの? むしろかんがへるから不安定になるのかも ならかんがへなければ安定する? 固定はするだらうけど 風通しは悪くなるし なによりそのままを維持しようとするにも ものすごい労力がかかるよ でもそれでよいのでは? 時代によってはそれがよいのかもね 一部の変人の企てといふより 時の要請なんだよ かんがへるといふのはね かんがへるって何? 今あるものを認識し解体し構築することだよ それらは同時進行だよ それって誰の仕事なの? 労働者の仕事だよ 労働者って? 最後に杯を受け取る人のことだよ おいしいお酒? 苦くて飲めないお酒だよ

六月七日 くすり

わたしは女の子をつかまへて言った やあ今日もごきげんななめだね 女の子はこちらを見もせずに答へた それがわかってゐるなら どうして話しかけようとおもふのかしら 神経を疑ふわ わたしは言った 聞いてほしいことがあるからだよ いいかな 女の子は 話すのはあなたの自由よ と云った 逃げることはできるのだらうか 逃げるためにはここではない別の場所が必要だけど そんな避難場所は存在し得るだらうか 一時的な逃避先ならあることは間違ひない わたしも毎日利用してゐるからね それは酒だったりおかしだったり 物語だったり空想だったりするのだけど それらに浸ってゐる間は世の憂ひを忘れることができる 人間は肉体を持ってゐるから その肉体を夢中にさせることで 魂の目を一時にせよそらすことができるんだ おほひかくすことができるんだよ 問題は解決されてゐないで現にあるのだが それにおほひをかけて見えなくすることは可能なのだ わたしも現実と夢のあひだを行ったり来たりしてゐたのだけど かういふ生活形態の欠点は かなり大きな負担を心に強ひるといふことだ 逃げ続けられるなら何の問題もないのだけれど どこかで夢は終はり どうしても現実に戻される時が来る くり返すが 夢の中で遊んでゐられるなら まったく問題はないんだよ けれどさうは行かないから 引き戻される際の衝撃が大き過ぎて 少しづつだけど 心がすり減って行くんだ 毎日毎日行き来をくり返す 現実と逃避先との乖離が大きいほど 帰らされる時の痛みは耐へ難いものになる その苦しみの予感が 逃げ込んだ先での安らかさをむしばんでいく そしてあきらめの気持ちが生じる 少しの間救はれても やがて必ず苦しみは迎へに来る むしろ少しの間救はれるから やがて来る現実は耐へがたくなる ならばかりそめの救済にあづかることに 何の利があるだらうか それは救ひでも何でもなく 苦しみをいたづらに増すばかりの 悪魔のほほゑみでしかないならば 逃げても結局苦しみが増えるだけ ならばその自分の首をしめる行為に 何の意味がある てっとりばやく苦痛を消す意

六月五日 時節

わたしたちは 何をどう取り違へようと 不幸だ ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― つかれたので あしたのわたしに たくすよ

六月三日 祈り?

わたしは誰にこの窮状を訴へたらよいのでせう 問題は山ほどありますが 一番切実なのは 現状語りかけるべき相手がどなたなのか わからないといふ点ではないでせうか 心当たりすら全くない状態なのです そんなただ中でわたしは一体 どうしてこの訴文を記してゐられるのでせう ずいぶんとこっけいな 摩訶不思議なことをしてゐるものです まるで誰かの目にふれてしかも その誰かがあはれみの心を動かしてくれると そんな信仰心を秘めてゐるかのやう せっぱつまった人間は なりふりかまはないといふことの証明を 行ひつつあるわけです これは祈りでせうか とんでもないと否定したいのですが はいこれがわたしの いのりなのです

六月一日 小さな声

いつからか覚えてゐないが 不自然さを毛嫌ひしてゐた きっかけも記憶にない ともかく外部からの力で加へられる変化に敏感だった 暴力による制御の企て一切を抛擲し 何もしないままに任せるのが善だと信じた 自分の生活にもその方針は適用され わたしは今や赤貧に喘ぐその日暮らしといふわけだ 放って置いたらかうなったとしか言ひ様がない 目標を立て計画を定め意志をもって実行する そんな方法はわたしの最も嫌ふ所だった そのやり方は見えない部分で犠牲となるものが出る 虐げられた者の声は小さく たやすく大勢に無視されてしまふ しかしわたしは確信してゐた いつか必ず彼ら弱き者のうらみは返って来ると これは感情的な判断なのではなかった どこかで帳尻合はせは行はれる 冷たき理性はさう告げる わたしは寺にでも入ればよかったのではないか 世間のしがらみの中で強いて何もしないやうに努めても 世の濁流のただ中では流されて溺れるだけ けれど世を捨てて仏門に入るのは 千年前ならさうしたかも知れないが 今それをわたしがしたら これもひとつの不自然になってしまふ 何もしない何もできない 身動きのとれないまま 流されるまま 抵抗しないわたしがたどりついた岸が この安アパートの一室だった ここが海の中ではなくて 岸だといふのは 流されて行く途中ではなくて 到達点だといふのは 希望的見解かもしれない しかし奇妙なことに 心の声が ここがさうだ と語るので わたしもさうかと 納得してゐる この冒険において 基準は心にしかなく それは形のないあやふやで どうにでも変へられる都合の良い道具ではなく その正反対で わたしの一生を狂はせるほどかたくなで どんな数字よりも厳密なものだ

五月三十日 一本の鍵

便宜的に大きな歴史と小さな歴史があるとして 大きな歴史は小さな歴史からの類推によってのみ知られる 歴史を学ぶとは無から有をつくることではないし より賢くなるやうなことでもない 歴史は歴史をすでに知る者にしか知られ得ない 歴史はいつも発見されるのみで 目の見える範囲でしか映らない 現に知られてゐるものが 現に知られてゐる仕方で 見出されるのが 歴史の学びであって 新しいことといふよりそれは追認であり再発見に過ぎない さて厳密な言論の到来する前に 小さな歴史についておもひをめぐらせてみよう 人が必ずたどる そんな筋道はあるだらうか たとへば死はどうか 死のあらはれ方は常に同じか またその問題の乗り越へ方も 人は同一の道を通って成長変化するのか 至る所も皆同じなのか 時も場も異なり得るから判断できないが わたしはわたしの中で唯一の道に至れるやうになるはず 夾雑物や雑多なうはずみを抜けた先に 確からしい道が見えるだらう それが死なのか死といふ問題なのかといふことだ 人はといふかわたしはおもふよりずっと単純なのかもしれない 複雑さうに見えるし手に負へないやうに見えて 小さな一本の鍵で開かれる堅固な城門なのかもしれない 正面から突撃しても喧騒の中玉砕するだけだが その鍵のありかさへわかればすむのかもしれない

五月二十八日 天の譜

一日の仕事を終へて 折れ曲がった路地を行く 木でできた塀の一部が破れ 今朝はそこから三毛猫があらはれた 角を左にまがると 空き地があって 車が何台かとまってゐる その向かうに 空がひろがる 太陽のやさしい光にあてられて あはくとけあひ 一幅の絵画が完成される 村人は覚えず足を止め 陶然とたたずむ もし自分に才があったら この空と雲の刻々の転変に 曲想を感じとり 音楽の奏でられるのに ただ耳を傾けることができただらうに 学校ではト音記号は習ったけれど 天空といふ譜面の読み方は 教へてくれなかったな もしも教へられてゐたら 大きな街の音楽堂まで足を運ばないで済む 下手かもしれないしうまく鳴らないかもしれないけど たったひとつの音楽がきけたのに

五月二十六日 おだやか

のどがいがいがするので せきばらひをしてゐると がまんできなくなって おもはずはいてしまった あかかった 一瞬ときがとまった そしてわたしは 見なかったことにした 考へるのをやめた 驚くほどに心は穏やかで 波風ひとつ立ってゐなかった いま思ひ返せば そのことがむしろ異常なのだった 予想を越えた悪事が起こると 人は認識するのをやめるらしい 何もなかったことにするらしい そしてその試みは容易に成功するのだ いまもわたしは落ち着いてゐる 致命傷を負った獣も 同じやうな心境なのではないか 痛みはもう感じず 何かしようとも思はず ただ穴の奥にひそんで じっと息をするだけ あせりも不安も希望も恐怖もない 何も生じない 本当にどうすることもできない事態に遭遇すると どうかうすることもないし 何かをしようとする意志すら生じないので 一見すると 平和そのものだ コーヒーか 緑茶かまよふ 吐血かな

五月二十四日 ぐらたん

ねむい かうしてペンを握ってゐても目をあけてゐられないほどには ねむい ねむたいけれどわたしは起きてゐる こんな単純でどうしやうもない絶望が 他にあるだらうか これこそまぎれもない不満足であり 純粋な不幸ではないか 体の芯から睡眠を慾してゐる 全身に残る疲労感 ねむればどんなに気持ちよいことだらう まっしゅるうむ まかろに ちがふものだったっけ まっしゅるうむとまかろに 菌と麦だった ぐらたんたべよう ぐらたんにしてたべよう きのこと麦のぐらたんをたべよう ん?あれ? なんかにがいぞ さうかこれが不幸の味か なんちゃって ちゃんとおいしいよ しあはせのぐらたんだよ

五月二十二日 このコーヒー

ふう・・・・・・ 食後の一杯のコーヒーが 一日の中で唯一の 安らげる時間 かなしいけれど これが現実 わたしのだけじゃない かなしいことに ありふれた現実 旧時代も きっと新時代も含めて さびしいけれど これが現実 わたしたちの 生存様式 そして残念なことに つけ加へなければならない ただしこれは わたしの現実かもしれない 業務スーパーで買った 一番安いやつだしね 仕方ないのだけど 声に出さざるを得ない このコーヒー まずっ・・・ ふう・・・・・・

五月二十日 基本的なレベル

まるで呪ひのやうに うはごとのやうに ひたすら同じ文言を くり返す それがわたしの まいにち ここはわたしの居るべき場所じゃない 一体なにが問題なのか 答へも定まらないまま その都度脳裏に浮かぶ罵詈雑言を はき出せば少しはすっきりする してゐるだらうか 雇はれ単純労働が悪いのか 一刻も早く独立したい それは結構だが 自立してもついてまはる気がする この憂鬱と倦怠と 疲労と色濃いやるせなさと 胸にわだかまる嫌なかたまり ただもったいないといふレベルで 独立したいのだらうか どうせ時間を消費するなら 誰かのためにではなく 自分のために使ひたい もっと言ふなら 自分と○○○のために使ひたい 二人で共に歩みたい 共に失敗し積み重ね成長したい それでもし生きていけるなら 今の境遇よりはずっといい それは実にたしかだ まったく同意だ しかし一方で 孤独を求める自分もゐる ひとりでゐることが必要なのも わかりきってゐる 一人でゐるのはたへがたく 二人でゐるのも無理なので どちらにせよわたしは 基本的なレベルで 不幸である他ない

五月十八日 生でないもの

ほんとになんで生きてるんだろ 死にたいとしかことばがでてこない もう全身が死にたいとしかおもってない なんで生きてるんだろ なんで死んでないんだろ なんでこれからがあるんだろ なんでまだ終はりじゃないんだろ ほんとにただひたすら死にたい 辞世の時も同じことを言ふのだらうか 言ふのだらう 他に何か言へる気がしない いやいや死にたいのはまだ生きる明日があるからで その明日がもうない場合つまり死ぬ場合は もはや死を願ふ必要もないだらう その時はもしかして生きたいなどとおもふのだらうか 間違ひなくおもはないだらう ただ よろこびもないだらう 安心もないだらう 遂に死ねるといふ安堵より やっときたのか死よといふ感想しか生じないだらう そもそも生者にとって 死は用のないものだ 本来存在しないものだ ただ生がたへがたいときに限り その解決法の一つとして脚光を浴びるに過ぎない みんな死が大好きなわけではない 死とは何かと問はれたら 生でないものとしか答へやうがない

五月十六日 かなしみのステーキ

かなしみのステーキをたべよう 誰といっしょに 仲間といっしょに 輪にならう かなしみのステーキをたべよう おいこの肉いったい 何の肉だ うええいうええい お酒のも そしてうれひを ふっとばそ うええいこの肉 何の肉だ 外はじくじく雨だ よろしい今からティータイムだ ブリテン式だ マッフィンだ ちくしゃう誰だ これはほうじ茶だ おい見ろよ シェッフィンがお盆にのせて 一品料理を運んでくるぜ 何だらう何だらう 何が入ってゐるのだらう へいシェッフィン それは何だい れんげ豆のスープかい もしさうなら取りかへてくれよ わかってるだろ いつものやつだよ シェッフィンはひきかへした おれたちはかなしんだ さあたべよう 何を ステーキを 誰といっしょに 仲間といっしょに 輪にならう さあいっしょに かなしみのステーキをたべよう

五月十四日 時間

おもひあたったことがあるのだけど聞いてもらへるかい わたしがゐてもゐなくてもどうせ語るのでせう さうかもしれないけど ならわたしが聞く必要はあるのかしら 君がゐないとひとりごとになってしまふからね わたしがゐてもかはらない気がするけど そんなことはないのだよ それですでに忘れかけてゐるから話していいかい ええと何だっけかなああさうだ ぼくの生活のことなんだが あなたの生活ね最高に興味をひかれる話題ですこと 気づいたのだけど ぼくの生活は縮図になってゐるんだ 何ていふか人生観みたいなもの 生まれてから死ぬまでの見取り図の 縮刷版が丁度起床から就寝までの一日に相当するんだ 逆なのかもしれない 一日を拡大したものがわが人生なのかもしれない そっくりにおもへるのだ 誕生から死までと起きてから寝るまでが つまりこのやうにぼくは解釈してゐるといふことだ 毎日毎日が繰り返し生と死も流転する 輪廻転生の原型がここにはあって 思想とか信仰とか大げさなものでなくて 身近にあるといふか身の一部であるのだ ぼくはそのやうにすでに理解してしまってゐるといふこと 生まれ駆け止まり死ぬ 止まるのは一瞬でほとんどの時間は夢中だ 言ひたいことはそれだけかしら ほんたうにどうでもいいのだけれど 一応聞いておくわね なにか語ってゐる今のあなたは 止まってゐるの走ってゐるの ああぼくの話を聞いてゐてくれたのだね とてもうれしうございます 面と向かって丸ごと無視なんて芸当は まだわたしには荷が重いわね 君ならできるとおもふけど せっかく君が爪の先ほどの関心を向けてくれてゐるのだから ぼくの方は全力でこたへることにしよう 普通にこたへてくれれば結構よ かしこまりました さて結論から言へば ぼくは今走ってゐるのではないかな 無我夢中で動き回ってゐる最中なのだとおもふ 反省してゐるやうに見えて実はその正反対のことをしてゐるのだ まだ立ち止まる時間ではない その時が訪れるのは今ではない さうだよ時は到来するものであって こちらの都合に応じて好きに変更できる便利なものではない ぼくは今全力

五月十一日 昼と夜

さうそしてわたしは    いいかげんおもひ知るべきだよ まぎはしかないのだと 筆をとれるのはほんの一せつな よくよく知るべきだよ 死ぬまぎはのほんの一瞬しか          残されてゐないのであり それまでは 昼の狂乱がつづくのだと おもひきることはできないのだと 昼はをはらないのだと をはらせたくとも自分の力では           どうしやうもないのだと 後悔などもはやない 違い得た出来事ならば おもひ巡らすこともできようが 眼前に広がる光景はどうしようもない ただただ戦慄しかない

五月九日 人にできること

人間にできることはひとつしかない わき目もふらずに邁進し 与へられた時のほとんどを費やしたあと もう残された時がなくなって はじめて我に帰り あぜんとする これだけだ そして人は十二分に愚かなので このやうに記してもまだ 自分には自由があると ちがった過ごし方を選べると 希望を抱いてしまふことができる いまはのきはになってはじめて 気付くことができるのだが 気付いたとしてもすでに何をすることもできない 時間は残されてゐない だから呆然として せいぜい ああとつぶやく他ない

五月七日 目をさます頃

結局   終はりになって    なげくのだ   昼はすぎる    何も見えなくなって   をはるころ      目をさますのだ

五月五日 市民マラソン

最終ランナーが通過致しました 係員は機材の撤去をお願いします まもなく交通規制が解除されます 住民の皆様ご協力ありがたうございました ふぁいと            がんばれ   ふぁいとお            がんばれ      ぱちぱち   ふあいと       ればんが ふ     ふ    と  あ     あ    お   い     い ぱちぱちぱち 最終ランナーが通過致しました 係員は機材の撤去をお願いします まもなく交通規制が解除されます 住民の皆様ご協力ありがたうございました

五月三日 すずめなく春のひとひ

すずめなく春のひとひ 公園であそぶ子供が一人 母親のもとに駆け寄って うれしさうに言ふ しひたげられた者たちが おとしたメモを ひろったよ 尊厳  ない 自由  ない 束縛  ある 未来は  他人のもの 淵源は  うらみ どうして?といふのは ああとかあはれと同じ 感嘆句 テロリスト? けっこう ひっくりかへす? ぜひとも 成功してゐる人間への八つ当たり?相手が違ふのでは? しかしうまくやってゐる者にはむくいがあるべき 他者や思想も含めて色々なものが踏み台になってゐるから すずめなく春のひとひ 子供がひとり母に告ぐ お母さんぼくもひっくりかへしたい 母親はまあさうなのとほほゑむ ならまづは落とされないといけないわね この世が地獄だとおもへる所まで

五月一日 私は爪である

ふとおもひついたことがあるのだけど聞いてくれるかな わたしは耳よどうぞ 人間には爪があるよね あるわね 爪は人間の一構成要素だ 一部分ではあるわね 同様にして口や手や足や頭も人間の一要素だよね 欠けてゐる人間もちゃんとゐるけれど さうそこなんだよ 爪は人間の一部ではあっても人間そのものではない 人間から爪をはぎ取っても人間でなくなるわけじゃない それは言ひ過ぎじゃないかしら あなたにとって爪は人間の本質とみなされないだけで 爪こそが最も大事とおもってゐる人には 人間は爪なのであって爪を取ったらそれは もはや人間とは呼べない物体なのに違ひないわ たしかにさうだね 人間とは何かについての見解の相違だね その人にとっては爪は人間の部分ではなく全体なのだらう そして構成要素は爪の輝きであり硬さであり白い箇所であったりするのだらう 何が言ひたいの 別に新しいことじゃなくて 部分と全体といふ把握の類型のことだよ そしてわたしはここに直観を持ちこみたいんだ 全体といふか総体といふかすべては一条の光の下で姿を現す 知はそのあとから始まるんだよ もう一度言はせて頂戴何が言ひたいの さうだね すべては表現なのだとおもふよ 解釈は我々にゆだねられてゐるんだ 具体的に話してくれるかしら たとへば貧困層は 酒をかっくらって寝るしかない人達のことで 遺憾ながらわたしもその一員なんだけど 本当に救はれるべき存在なのかどうか よくよく考へる必要があるとおもふよ 極論だけどお金を与へれば問題は解決するのかといへば よりよいお酒に溺れるだけじゃないのかな いやわからないけどね ともかく貧困層は社会の一部分であり 大切に扱はれるべきといふこと まづは研究するのが順当だといふこと それは何の表現なのか 人間といふ一枚の絵画のどの箇所にあたり どんな意味を持ってゐるのか 一度立ち止まってよく見てみるのがよいのではないかな

四月二十九日 かなった夢

たとへば恋に落ちるとき 客観的な基準に照らして 最も美しいとされる人が選ばれたのだらうか さうではなく実際には ああこの人は美しいと こころふるはせられる瞬間が 訪れたからではないだらうか どんな人がどんな時にどんな風に感動するか それこそ神のみぞ知ることにちがひない たとへば不幸に落ちるとき 客観的な基準に照らして 最も恵まれない状況が選ばれたのだらうか さうではなく実際には ああわたしは不幸だと こころふるはせられる瞬間が 訪れたからではないだらうか どんな苦境が当人に不幸と捉へられるのか それこそ神のみぞ知ることに他ならない わたしには夢があった 忘れもしない 小学校の帰り道 その光景はいまだに脳裏に焼き付いてゐる 談笑して歩く友人達を見て わたしはこの人たちとはちがふと はっきり突きつけられた瞬間の 痛みとあせりと不安とを 今でもおもひだすことができる 友人は大臣になりたかったが わたしは不幸になりたかった 誤解の余地なき命令であり あらがひやうのない天命であった わたしは不幸にならなければいけない そればかりをおもった そして今わたしは 四十年の年月をかけて つひに夢をかなへた わたしは不幸になった ああ ああ まがふかたなく いまここにゐる このわたしは 不幸だ 長い道のりだったが すべてはここに至る岐路だったのだらう わたしは子供の頃からの夢を実現したのだ 念願がかなふとよろこびに満たされるはずだが 夢をかなへて不幸におちいる場合も この世にはたしかにあるやうだ

四月二十七日 痛みと苦み

あさいねむりから たたいておこされ くさりにつながれ ひきずられて 刑場へ たぶん人生といふのは この毎日が積み重ねられた 総計の謂だ ここには二種類の人間しかゐない くさりにひかれるがままに歩く人と ひきずられまいとあらがふ人 ただいづれにせよ うでにくひこむかせが痛いので はじめのうちは抵抗してゐた人も 弱くおとなしくなって行き つひには一切反抗しなくなる かうして羊の群れは今日も 犬におひたてられて ものもいはずにしたがふ 足をとめても くさりがあるから 歩きつづける他ない 夢に逃げても たたきおこされるから 現実を見る他ない たぶん人生といふのは いまこの瞬間この一刹那の とりちがへやうもない 苦味のことだ

四月二十五 朝の街

つかれたままの おもいからだで はたらきにでる あさのからすと あさのまち みぎてにつかむ もえないごみの ふくろのやうに むねふくらます きぼうつめ けふはこれ あすはあれ あさってはまた あさってで うけとるだけの てをのばす たのしい未来 くるしい未来 からっぽのむねにあらはれる 色とりどりのまぼろしに ふりまはされて 年ふれば立派な まちの一員 みぎてにつかむ もえないごみの ふくろをおいて ふくれたむねも おけたらいいのに けふはこれ あすはあれ あさがくるから うけとるだけの てをのばす つかれたままの おもいからだで はたらきにでる あさのからすと あさのまち

四月二十三日 叶った望み

ちょっと申し訳ないんだけど わたしは女の子をつかまへて言った 愚痴を聞いてもらっていいかな ええかまはないわよ 女の子は云った 観葉植物の鉢だとおもって話すといいわ すまないね わたしは始めた 忘れかけてゐたのだけれど わたしはそもそも見たかっただけなんだ 何もかも捨てて さう能ふる限りの何もかもをだよ 関係も地位も居場所も友人も家族も そして一番大きなことには知識といふか世界も 捨て得るものはすべて置き去りにして 落ち得る所まで落ちて身ひとつになり 裸の状態になった一個のものが 苦しみしかないやうな中で 次に何をし始めるのか どんな思想を構築し何の夢を見るのか そこから何かが生まれるのだとしたら 何かが始まるのだとしたら そこにはいくばくかの眞實なるものが含まれるのではないか わたしは期待したんだ 自分を知らないままで動くことに たへられなかったんだ 自分の知らないままに 自分が動かされてゐるあり方は まるで奴隷のやうで 尊厳など少しも感じられなかったから 本當のものが少しでもそこに現れるのではないかと そこから始めればわたしは本來のわたしとして 自由になれるのではないかと わたしは一息に語って女の子をうかがった 女の子は表情を変へずに言った おはなしはもう済んだのかしら いやまだなんだけど 時間もないから 手短にすると 予想してゐたよりこの場所で暮らすことは苦しいから 何かが始まる余裕なんてなくて ましてや自由なんて遠くて むしろ単純な不自由に縛られて かへって遠くなってしまったやうな気がするし つまり計画通りに進めた所で想定外の事態にあひ 今どうしようかどうにもならないかもってとこなんだ あら 女の子はたのしげに云った あなたの予想通りじゃないの すべてを捨てたかったのでせう 予想も捨てられてこれでほんたうに あなたの望み通りね

四月二十一日 休息

肉體って本當に何なのだらう わたしがおもはずもらした言葉に女の子は答へた それは考へてゐるのそれともたんなる 人間流のためいきなの 両方と言ひたいところだけど わたしはこたへた ほとんど後者だらうね ならをはりね 女の子は興味なさげに告げた あなたは疲れてゐるだけなのだから わたしは大丈夫?と心配してあげればよいのかしら 肉体・肉體・にく体・にくたい とつぶやくあなたをのぞきこんで かはいさうにつかれてしまったのね あちらでちょっと休みませう と気遣ってあげれば あなたは満足するのかしら どうもありがたう わたしは言った でもわたしがほしいのは少しの休憩ではなく 現実からの完全な逃避先でもなく ましてや同胞からの心のこもったなぐさめでもないんだ あらさうなの 女の子は驚いた風に云った それ以外にほしいものがあるのかしら さうだね わたしはこたへた わたしに限らず かなり多くの人間は 仮の宿りではなく 永遠(とは)の眠りを求めてゐるのだとおもふよ もう起きなくてもいい 本當の休息をね

四月十九日 自由意思

これは個人的な状況ではない わたしたちは今 どうして生きられてゐるのか 不可思議な状態にある からうじて生存を保ってゐられるのは 手元にピストルがないからに過ぎない 飲めや歌へやの騒ぎが深夜まで続くが 意識を手放し眠りに落ちた人々は 朝を迎へねばならない こちらの意思は考慮されない 迎へたくなくても迎へたくても 迎へなければならない わたしたちは起床した たしかにさうだが みづから選んだわけではない では選択肢を現実にしてみようか 枕元の目覚まし時計のかはりに 一挺の拳銃を置いてみよう するととりあへずほとんどの者は こめかみに銃口をあてるだらうが それで引き金を引かない者は みづから生を望みみづからの意思で生を選んだのだ さうこれが わたしたちに与へられた 自由意思なのである

四月十七日 問題

世界観といふ概念は用を爲さなくなりつつある 知といふ観念もあらためる要がある 文化は苦しみのある所にしか生じない そしてその特性上それは調整作業でしかない 哲学は批判的営みとしてそれに寄り添ふ さて人間にそれ以外何があるだらう これ以上何か語るべきことが残されてゐるだらうか 寒さと外敵から身を守るために家を建て 住みやすいやうに内装を工夫し 家族が増えれば建て増して 家が増えれば道をつなぎ たまにはたまったほこりを掃いて捨て 古くなれば壊して建て替へることもあるだらう 人は生きて行くあるいは死んで行く それだけの話であり それ以上の話ではないのに ただひとつ問題があるとすれば わたしがその複雑な社会といふ織物の 一構成要素を成してゐること つまり言ひかへれば わたしも人間だといふこと わたしはその中にゐるのであり 外に立って眺める立場を恣意することはできても 実際に出ることはあたはない ただ勘違ひをすることはできるといふことが 問題なのである

四月十六日 簡単な選択

実に単純な問ひなのだが この世は生きるに値するだらうか 本当ならこの大事なそして当然の質問は 生まれる前になされるべきであった あなたは生まれますか生まれませんか 今生に関する十全な説明のあとで いったいどれだけのものが生を選択するだらう いやさうではないのかもしれない 我々はたしかに自ら選んだのだ 生きることは何かたのしいことにおもへたのだ 空想によって生じた未来はすばらしく そこから逆照射される現在も 色とりどりの花が乱れ咲く楽園に見え よろこびと共につかんだ生存はしかし 実際にやってみると おもひ描いた天国の完全なる反対で うめき声の満ちる暗鬱な谷だった もともと賢明なものは生を選ばなかったのだから ここにゐるのはみな阿呆の一類であり かなしき道化だ 仲間同士で寄り合って あらそったりなぐさめたりするうちに あらふしぎ この世のできあがりだ

四月十五日 小櫻

くさりにつながれた老犬が 所在なげにたたずむ 高く晴れやかなる空 にほひたつさくらばな 遠目に見える 毛はぼさぼさで 何ヶ月もあるいは何年も 手入れしてもらってゐないのだらう そよそよと吹く風が あたたかい空気を運んできて やはらかく 花びらをなでてゐる 犬が動く くさりが音を立てる 家の中の飼ひ主の 不興を買ふまいと おとなしくしてゐる 誰もゐない小さな公園の隅に 灌木にまじって小さな櫻が生えてゐる 日があまり当たらないのか 花つきはよくなく こぶりな花がこげ茶の木肌に ぽつんとついてゐる にほひこぼれる 櫻の並木に 何も感じなかった心が 少しだけとかされる気がした

四月十四日 ギフト

おもひださう どうしてここまで落ちてきたのか おもひださねばならない いかにしてこのものはかくあることを望んだか ほかのことなどせんなきこと 社会生活経済あるいは人間すら 本来は感心の外であったはず さうだ このものは何もしないことを選んだ 自發的な行為を憎み 自分からは何もしようとせず まはりから行動を強制されることを嫌った 短絡的な自由を慾したわけではないが 自分が自由でないことを薄々感じとり やさしい世界に塗りつぶされてしかも そのことに気づかないでゐることが たへがたかった たしかに焦りがあったし恐怖があった 自分が知らないままでゐるのは このものにはふさはしくないといふことを示すのは 自分の抱く感情のみであったが 知らないまま幸せに暮らすよりは 知って不幸に倒れる方がましだとおもった 未熟な少年は子供らしい行動に出た 不幸を求めた 誰よりも大きな不幸を とてつもない不仕合せを渇望した もちろん一個の生物としての彼は 幸福なる生を追ひかけた しかし表面でしあはせを求めつつ 深く見えない所で運命は 彼に贈り物を用意してゐた

四月十三日 反省する観察者

難しい顔して考へこむのは もうお仕舞ひにしよう いつのまにか物語をつむがうとしてゐた 頭にはぜひとも 初心をおもひ出して頂かう 何かよきものを 建設的なものを すぐれたものを あたらしいものを 価値のあるものを 生み出さうとする一切のくはだてをやめて 熱くなった血を冷めるにまかさう わたしは観察者であり 筆記者に過ぎない その仕事は私見を交へずに記述することであり あらゆる創作活動の正反対でなければならない 気のつかない内に根をのばす 目的進路反省思考といった諸観念を断ち 目に入るものを見つめるだけにしよう 自分が何かをするのを抑へて わたしがすべき何かがあるとしたら 何も描かれてゐない白紙を用意すること その余白をできるだけ広く保つことくらゐ

四月十二日 休日

休日――― 歩いて一時間 最寄り駅に着き 普通電車で四十分 地域で一番大きな古本屋 ブックオフを目指す 駅から歩いて三十分 川沿ひの櫻をたどると 幹線道路に出たすぐの所に 店はあった 慾しい本はあまりなかった 迷ったものも決められなかった お金も本を置くスペースもなかったし 何も買はずに来た道を引き返す 橋のたもとで スマホをかかげて 写真をとる 普段着のおばさんがゐた 枝垂れ櫻が川面にかかる 電車は少しだけ遅れてゐた 一時間に一本しかないから どちらにせよ待たねばならない 車窓から遠山をながめる 雪におほはれた白い山 あの川の水も あそこから流れて来たのだらう 扉がひらいたので 邪魔にならぬやう あいてゐた席に座る 目をやる所もなくて 閉ぢるとすぐに 眠りに落ちた 駅に着く 扉がひらく 人のうしろについて 改札口への通路をたどる 千円で髪を切る店に入り バスの時刻表を見て ゆっくりとまた長い道を 重くなった足で さかのぼる スーパーに寄り 夕食を買ふ 風呂に入り お湯をわかして飲む 時間がくれば 床に入る ―――休日

四月十一日 生存

公園で男の子が犬を追ひかけまはしてゐる 犬も男の子もたのしさうだ 走り疲れて子供はベンチに腰をかけ 小さな犬が膝にのる ふたつの目はたなびく雲を追ひ そらの下茫洋と時にたゆたふ 我々は気づかないから生きて行けるのであって それはある種の無知ではあるが 不幸ではなくむしろあるべき仕方であって ほほゑまれるべき様子なのである かばんを手に電車にかけこむ男は すんでで間に合ったことに胸をなでおろす かつて犬と見た景色を箱にしまひ いま彼は吊り革広告をながめる

四月十日 幸福の重さ

そこいらを通行する人間をひとりつかまへてみよう 彼は幸福を求めてゐるやうだ 彼に彼の望む幸福とやらを与へてみよう けげんな顔して彼はとまどふ そして幸福にしばらく目を留め そそくさとその場から退散する 手付かずの幸福を道端に置き残したまま 親切心から彼の忘れた幸福を届けてやらう 幸福を手に彼を追ひかけ これはあなたのものです あなたが所有してよいのですよ さう声をかけると彼は振り向くが 顔は真っ青で恐怖に引きつってゐる 知ってゐますよ これはあなたのずっと追ひ求めてゐたもので あなたが何よりも心から慾してゐるものです それを今あなたは手にすることができます 祝福いたします さあどうぞ おしあはせに すると彼は手を伸ばすが途中で固まり動かない 手をとって幸福をのせてやると 意識を失ひ倒れてしまった 背中いっぱいの不幸を背負ってゐた力持ちでも 掌上のひとかたまりの幸福にはたへられない

四月九日 自分

いつから人生は自分のものになったのだらう 子供は疑問におもふのではなからうか わたしはわたしなのかと これの所有者はわたしなのかと 年月を経て慣れた大人は もろもろの維持に疲れ果て 罪の意識も芽生え むしろ手放したくなるだらう 生きてゐるこれ 将来に向かって死につつあるこれを 自分と断言してよいものか はっきりわからなくなり 自分が所有することに あるいは自分とみなすことに 負担を覚え重荷と感じ 楽になりたいとおもふだらう このやうな辻褄合はせは 加齢による状況の変化故の対応であり 思考の中での調整作業なのだらう 結果として自分がどのやうな自分に落ち着くのか まだ見通せないながら 手放すことも痛みを伴なふ 諸刃の剣であることは おぼろに見えてゐる

四月八日 そのもの

当然なことだけれど わたしたちがその中で生きてゐるその当のものを 実際に見たことのある人間はゐない その中にある限り直截それを見ることは能はない 遠くでからすの声がする すずめも盛んに鳴きかはす かうした夜明けは出会はれたときすでに 世界の中に編み込まれてゐる だからある意味出会ひは起こってゐないのかも知れない わたしはわたしと出会ひ すずめはすずめと出会ったのだ 知るといふのは多くの場合 モデルを構築する作業だ その模型が言葉でも数式でも想像でも 何を材料に組み立てられるかは 対象がどのやうな領域のものかによる 知ることは把握することであり つかむためには形ある物でなければならない だから形を与へ受肉させた物をそして 操作し利用する ほんの少し反省するだけで わたしたちのしてきたことが いかに乱暴で理不尽で 自分勝手で利己的で おそろしく 不敬であるか 瞭然だ 今わたしの手の中に 握られてゐるペンを 照らすあかりは どこからきたのかと 問ふことの意味を 考へる行為のはらむ 諸問題をおもふと 目がくらむ

四月七日 海

同じ海なのに 砂浜から眺める海はきらめいて 投げ出されて溺れる海は 解釈をゆるさぬ暴君で どうあがいても波をかぶる個人は無力で 何も語らず波を運ぶ海は不気味で 圧倒的で隔絶してゐて その中で人は何もできず 冷たい水が体温を奪ってゆくのに どうすることもできなくて 小さな波に逆らって泳ぐことはできても 少し大きな波が来ればたやすく流される おそろしいのは海に敵意がないことで あまりに巨大ななにものかなので 人間の存在に気がついてをらず 人とちりの区別もついてゐないのだらう もしかしたら海には意思があるのかもしれないが 人間が眼中に入ってゐないことはうかがへる 支配するつもりもない大きなものに 人の命運は支配されいとも簡単に転がされる 偶然にも木ぎれにしがみつけた人はさいはひだ 小舟にひろはれた者もさいはひだ 立派な救助船にすくはれた者もさいはひだ しかし海にとっては 生身の人も木片も小舟も大型船もちりあくたも まったく等しい存在であって ちりをゆらすのも 人をしづめるのも 舟をのみこむのも 同じく感心の外なのであらう

四月六日 なきごゑ

乳飲み子が突然に泣きわめく 幾人かが不快に眉をひそめる こはれたおもちゃのやうに けたたましく耳障りな騒音 母親があわてて手をのばし 胸に抱いてあやす お腹がすいてゐるのだらうか 何らか不満があるのはたしかで 叫び声によって周囲に不愉快を与へ まはりはその不快を解消すべく 赤ん坊の世話をする わたしもないてみようか 理路整然と説明するより 言葉にできずに叫ぶ方が 本当に苦しんでゐる感じが伝はるだらう しかし大人がないても 白い目でにらまれ つまみ出されるだけだらう 子供がゆるされるのは 無力で自らの力では解消できないからだ ならばよい年をした大人であっても 自分ではどうしやうもない問題なら ないてもよいのではないのか 実際ないてゐる者はたくさんゐる みな涙のあとをつけて働きに出る こらへきれずに人前で泣き出すものもある なのに誰も助けてくれないのは 大人なのだから自分で対処するべきなのと 周囲の者にもどうにもできないことがらなのと かくしてゐるだけで彼ら自身も 仮面の奥の素顔は泥にまみれてゐるのと したがって他人をかまふ余裕がないのと いらだちと あと何にせよ 不寛容あるいは無関心ゆゑではない 乳を求めてなく子だって まはりに男しかゐなければ 放って置くしかないだらう 放置された子は泣き続けるのだらうか 疲れ果てて声を上げる力を失ふまで さうしてしづかになったとき どういふ心でゐるのだらう 助けを求めても 救はれなかった子は どうなるのだらう

四月五日 神々の嫉妬

どうして人は不幸を慾し 自らが底辺にゐることを確認して 安心するのだらうか ほとんどの絶望は用意された絶望で 自分に気付かれないやう 周到に計画され遂行された 自作自演であって まぎれもない本物の苦しみの中でこそ いやその中でしか 心底からの安らぎを得られないとは 人間はどのやうな構造になってゐるのかと 不可思議におもはずにはゐられない 根深い所にはおそれがあるのは間違ひない 昔の人が神々の嫉妬と称したものだ そして今でも人生を支配するほどの恐怖なのである やはらかくつよい一糸により つむがれる運命といふ織物が形を取りはじめれば にぶく不自由なるわたしたちの目にもやうやく その糸がどこからもたらされたのか 映りくる 存在自体とも呼べさうな恐怖に仕へ 隷属しつつ自分の手足を縛る桎梏を見て 大丈夫かなきっと大丈夫だらうとおもひこむことができれば ほんの少しだけ顔を上げることもゆるされる 人は不幸を求め 安住の地の土台とする 不幸はしかし より大きな恐怖を回避するための 準備であり 隠れみのであり 盾あるいは気休めの お守りであるにすぎない

四月四日 ぬこ

夜があけたので外に出て 歩いてゐるとねこがきて 進路をふさぐ 立ちはだかる愛玩動物を前に 気圧されて後退し つひには背を向けて 元きた道を引き返す 圧倒的なぬこだった 負けたくやしさはなく 気分はむしろすがすがしい その後立ちはだかる何者もなく 家の前まできたけれど 通り過ぎてしまふ 足をとめずに振り返らずに 前を見つめる目に映る 街路樹の葉とさびた看板 さてこの道をどこまでいかう この先どんなに歩いても どこにも通じてゐないし どこかにたどりつくこともないだらう それでも歩いて行くのだらう おなかがすくかあるいは 圧倒的なぬこに会ふまでは

四月三日 彼らの舞台

自分をかなしい舞台の登場人物とおもっても 観客の目にはこの劇は抱腹のコメディと映るのかもしれない それはそれでかなしい話なのだが この物語の主人公たちは あらがふべき重圧の中でしか 生きることのできない ハツカネズミのやうだ 脅威におびやかされてゐないと 生存そのものが立ち行かなくなる 平和は彼らにとっては破滅であり より正確に言へば自滅であって 危機に立ち向かふのは解決への方途ではなく それ自体が目的なのである 困難は乗り越えられるか押しつぶされるかするものだが 彼らの欲するのはその解消ではなく 困難自体であり 乗り越えるもしくは圧しつぶされることが目指されてゐる 要するに 傘をさしたいから雨天に出游するのである くもりなき晴天のもとでは生きられない そんなかなしくてをかしい悲喜劇が 彼らの置かれた舞台である

四月二日 タクシー

一日の勤務を終へ 町に出たわたしは ひとみに人の背中を映し そのままタクシーを呼び止める ―――どちらまで? ―――どちらでも 運転手は言葉に詰まる ―――駅ですか?それとも空港? ―――どこでもよいです 運転手は困った顔をする ―――どこでもと言はれてもねえ ―――お金は払ひますおまかせします 運転手は嫌さうにうなづく ―――わかりました駅でいいですね 返事がないのに観念した運転手がアクセルを踏む なにとなく車窓をながめてゐると 車が止まって扉がひらく ―――お客さんつきましたよ 礼を言ひわたしは駅前に立つ 手を上げてタクシーを拾ふが どこでもよいと伝へると あけた扉をしめられた 運転手の舌打ちの音が耳に残った それから何台か呼び止めて どこでもと繰り返した 最後に止まった車の運転手は どこでもいいと告げると 少しこちらを見つめた後 かしこまりましたと答へた 乗り込んだわたしは 移る景色をながめ 乗せた運転手は 何も言はなかった ―――こちらでよろしいですか そこは崖だった ―――ありがたうございます わたしが出ると エンジンを切って 彼もついて来た ―――ご一緒しませうか 彼はほほゑんだ わたしは少し見つめた後 顔をそらして柵に近づいた 風はなでるやう 穏やかに波はゆれてゐた わたしはふりむいて まだそこに立ってゐた彼に ほほゑんだ 帰る車中でも わたしたちは何も語らなかった 目を合はせることもなかった 二人ともその必要がないことを わかってゐた

四月一日 擬似的自殺

生きるために欠かせないのが衣食住だとしたら 歓楽街はどうしてなくならないのだらうか 別に難問でも何でもない 生存に必要だからだ 仔細に見ればただ 華やかな夜の店が必須といふわけではなく 酒に頼る人もゐれば おかしに逃げる人もゐる うき世のあれやこれやをつかのま隠すおほひであれば それが何であれ人はつかむのである 酒がなければやってられねえと大人はこぼす つまり酒がないなら生きては行けないといふのが実状であり 酒をあびるやうに飲み飲み込まれておぼれ はいて飲みはいて飲み 限界を迎へて意識を失ふまで 自らの力で自らを止めることができない この行為が一時的な逃避なのか 何らかの代償希求なのか知らないが たしかなのは この擬似的自殺のやうな行動は 人間の日常生活の構成要素となってをり 最低限必要なのはしたがって 衣食酒住としなければならないのが ありのままだといふことだ    たのしげな こゑにひかれて がもはひり

三月三十一日 舞踊劇

探せば見つかるものだらうか 不安の種はどこに埋まってゐるのだらう 青々としげる不安の野で 足元の草を払ふのに一杯だから それらがどこから生えて来たのか おもふいとまもないのだけれど 切っても切ってもまた生えて つかのまの夢に誘はれて 気づけばいつもまどろみの中 同じことをくり返してゐることは うすうす気づいてゐるのだけれど 原因がわからないままなので 終はりの見えない舞踊劇に またはじめから参加するしかない けれどどことなしに感づいてゐるのかもしれない 不安の元をたづねて あはよくばたどりついてしまへば その先にわれらを待つのは 今よりもっと化け物じみた 不安のかたまりなのではないか それにわたしは耐へられるだらうか 身分相応の不安を与へられて ぐるぐる踊り続けるのは 滑稽だけれども この輪から脱け出してしまへば 待つのはずっと どうにもならないことで たぶん心はすぐに 押しつぶされてしまふだらう しばらくはまだ この全員参加の強制的なもよほしが つづきさうで 誰も彼も力なく皮肉な笑みを浮かべながら 足を出しまはるのだらう

三月三十日 かみのごときひと

神のごとき御人といふのは賞讃ではなく その正反対の言葉であって 神とも見まがふあなたも所詮人であることを 我々は忘れてはゐませんよといふ警句である そんな我々人間は 現実と幻想のはざまで 調整作業に汲々として 少しづつすり減って行く どうして生きてゐるのか知らないのに なぜだかいつも生きてゐる はりつけた笑顔の仮面の裏側に 後ろめたさを抱へて 問ひつづけるのは稀で 魅力的に見える解決策を示されると いかに激しく飛びつくかを見れば 底の方に根づく 苦悩の深さが察せられる 絶望にさいなまれて 魂は逃げ道を求めるが どこを探しても見つからず 壁をこはすこともできず たたききずつき泥にまみれて どこかで折り合ひをつけることをまなび ある程度平安に生を送る きずついたままの魂から 赤い血がにじむのを あかずの物置きにしまひこんで 目に映らないやうにして なんらかの手法で肉体を酩酊状態にして 念のため目隠しをつければ安心だ

三月二十九日 すいせん

くもひくくたれこめ かぜつよくつめたく かさにぎるてつよく はるはまだいたらず しらぬかどまがれば いへくちてのとなり がれきちるあけちに まばらにてくさはえ どぶながるしたまち にほひにはもうなれ かほあげるいへのま あれたちにすいせん はなのいろきんいろ ひとへばなひそりと がれきちるあけちの くさのまにひらきて くもひくくたれこめ かぜつよくつめたく かさにぎるてわすれ はるはまだいたらず

三月二十八日 花なき野

謎かけでもなんでもなく 出発するとき人は既に到着してゐる ほとんどの冒険は目的地が定められてをり たんにそれが本人に意識されないだけで 未知の領域の探求者に成れて 道なき道を切りひらく先駆者の難儀と高揚を 味はふことができる 行き先は気づかれてゐないけれども それはあり それこそがあるのである 神ならぬ人の身でしかし どのやうにしたらその知へと到ることができるだらうか 知られてゐないものをどうやって知り得るだらうか たぶん人はないものを知ることはできない 人が知り得るのはあるものでしかない そしてあるものは それがある限り 知られ得ない このやうな隷属状態から人は いかなる道を通って自由へと至るか これが問題だ 問題は誠實にやさしい手で扱はれねばならない 破壊槌を握りしめる拳をゆるめて ひとまづ耳をかたむけるのがふさはしからう 内なる声に従ひ持ち物を捨て 社会的桎梏から逃れ旅に出た人々は 自由なはずの旅の道中で 胸に重くのしかかる違和感を抱いて それぞれの仕方で対処してきた 解決してしまってきた 無理からぬことだ わたしたちは今 途中に果てた旅人達のしかばねを踏み越えて 花なき荒れ野に立たねばならない

三月二十七日 パン

一月たった やはりおもふ ここはわたしの居るべき場所ではない 今のわたしは難民に似てゐる 財産もない技能もない たまたま流されてたどりついた 縁もゆかりもない異国の地でことばもわからず 生計のために身を労働力として売る 最低限度の文化的生活を送るためではなく 日々のパンを獲るためだけに 近所のスーパーで 値札とにらめっこしてゐると おばあさんにたづねられた これはいくらですか わたしは値段を見て教へた こちらはいくらでせうか すみませんね目が悪くて見えないんです わたしは袋に入ったパンをよく見て 二百五十円ですよと伝へた おばあさんは礼を言ひ わたしはいいえと答へる パンコーナーでの物色を再開し 迷った末にかごに入れる 百円のドーナツが たのしみであり最高の 贅沢なのだ スーパーを出て家に足を向ける 郵便局の前の公園で 子供たちがかけまはり 高らかにうたをうたってゐる 午後のあたたかい日がつつみこむ こどもとわたしと そしてきっとあの おばあさんも

三月二十六日 赤子

わたしは阿呆にならなければいけない あかごに戻らなければならない かたく組み上げて建てた城を ぜひとも解体しなければいけない 堅牢な城塞に立てこもり いつか来るかもしれない敵に怯え 日々はがれ落ちる塗装を塗り直し 一番奥にかくれて安らぎを得る そんな毎日から自分を引き離すのは 容易ではない 自分自身が望んでさうしてゐるのだから 自分から壊すといふ可能性はほとんどない 壊れるとしたらしたがって 外からしかない 自分の力のおよばない 自分ではどうすることもあたはない 自然災害によって 城がけづられていくのを 恐怖に目を見開いて ながめてゐるしかない 壊され得るものは壊され 捨てられ得るものは捨てられる 大事でないものなどひとつもないのに

三月二十五日 まぼろし

わたしはこの一ヶ月何をしてゐた この生活から脱け出す方法を考へてゐた いくつかのビジネスプランを温めてゐた しかし今や少しばかり落ち着いて眺められるやうになった しあはせになるための算段を立ててゐるときは ある程度夢中であった ある種の熱狂があった ただ今おもふにそれは不幸な現状を覆ひ隠すための 風呂敷づつみでしかなかった 幸福の幻に酔ってゐるあひだわたしは まぎれもなくある程度はしあはせであった ふしあはせな者がしあはせを求める 未来のしあはせを空想して現在の苦しみをやはらげる しあはせが想像されるものであるのと同様 不幸も求められ作り上げられた幻の像なのではないか もちろんある程度はの話だが かわいた者は水を求める これは無條件にさうだらうか 習慣でさうなってゐるだけではないか わたしは問ふ わたしは不幸なのだらうか 時間が現状にわたしを慣らし 思考を組み替へて適応させ はじめの痛苦を幻にするなら わたしが現況から脱出し しあはせになるといふ希望も そのうちしぼんで消えることになるだらう のどの渇きは苦しいが これもわたしが作り出した幻に過ぎないと言へるだらうか たとへば身体と精神と段階を設けて区別するのは この問題に取り組む道ではなく 処理する方法であるから 採用するのは適切でない のどの渇きも幻とするか 違ふ考へを探すか ともかく答へに飛びつくべきではないだらう

三月二十四日 風

たしかに 一人の傑出した指導者が道を指し示す時代は もう過去のものとなったのかもしれない 今わたしたちに必要なのは強い王ではない 建物のつくりが古くなったせゐで各所にたまる よどんだ空気を吹きはらふ風だ 壁をこはし窓をつくりかへ 風の通りをよくすること それ以上の難事は求められてゐない 住む家のたてかへ工事には 設計図が入り用で まづはこれを描かねばならないだらう どこぞの建築事務所に委託するのでなく 住人たち自身が最もよくこの仕事をこなすだらう 問題点も改善すべき点も 当人たちが一番よくわかってゐるのだらう もちろんご近所同士の連絡と助け合ひはなくてはならないが 富の寡占にさほど興味がなく 人間の抱へるもっと大きな問題に日々身をさらし 従ってお互ひをおもひやることのできる者同士なら かへって喜んで協力し合ふだらう

三月二十三日 持つ者と

雇用主と被雇用者のあひだには 決して埋めることのできない溝がある 人格とか態度とか待遇とかで隠すことはできない 主人と従者の関係であるから 力は主人の方にありまた 主人の方にしかない 雇用主の発言は使用人にとっては絶対である いくら理が被支配者側にあったとしても 私の考へはかうだの一言で どんな無理も通すことができる 旧態依然とした上意下達の組織を脱し 働く人の創造性を認め自主性を期待するやうな 中途半端に流行してゐる観念を さも大事なことのやうに説かれても 従業員の心にはまったく響かない そもそもどうしてオーナーの資産を増やすために 懸命に労働せねばならないのかの理由が欠けてゐるから 旧来の組織形態のままで 聞きかじった新しいことを導入しようとしても うまくいくはずがない ひづみはやがて必ず大きく育ってあらはれるだらう 所有者資本家持てる者があり 非所有者無資本家持たざる者があり 両者の関係は全く一方的であり 強者と弱者にわけられてゐる この単純な現実のあり様は壊されるべきなのではないのかと どちらかといへばわたしはおもふ

三月二十二日 社会

はたらき方を変へるといふより 生存の仕方をどうにかしないことには 自殺者は増えつづけ 心を病んだ保護対象者であふれかへるだらう 現状の制度と組織形態と 人々の意識との間のずれは 目視できるほどに広がってゐる 社会不適合者をつくり出してゐるのは 他ならぬ社会自身なのだから この課題の解決は 社会の変革に求められねばならない 政府の働き方改革といふ施策 ワークライフバランスといふ対症療法では 糊塗しきれない所まで 人々のあり方は進んで来てしまった 自分を殺して奴隷となり従事する仕事に 心身の健康を損なはれる人が増えたから とりあへず仕事のない時間を増やして 自分を恢復させませう といふのはその場しのぎのおもひつきに過ぎない 一時的にそれでどうにかなってはゐるが 蟻の一穴で決壊する堤防で済ませるのは 問題の先送りであり時間稼ぎ以上ではない 現に末端の人々は過酷な状況に置かれてある 彼らの声は小さい 上からおさへつけられて 黙々と日々の労務をこなす だから社会は問題がどの程度の深刻さなのか 気づきにくい 革命は突然起こらない

三月二十一日 こころ

もうご存知のこととおもふが わたしにはお金がない よはひ四十にして たくはへもない あらゆる角度から見て貧乏だ もしも不測の事態が起こったら たやすく我が身は破滅するだらう たぶんきはめて容易に どうにもならない苦境に追ひこまれるだらう 病気になったら怪我をしたら 想像してみると行きつく先は 目をそむけたくなるほどの あまりに暗い未来しかない 今わたしが生きてゐられるのは わたしの力とか意志によるのではなく たんに運がよいからに過ぎない わたしにはどうすることもできないものに わたしの現在はゆだねられてゐる もっともこれはお金があったとしても同じことではある お金や知識があればより大きな慮外事に対応できるだけだが わたしの今のありさまでは つまりふところが軽いので ちょっと強い風が吹いただけで飛ばされてしまひさうだ 耐へ得る困難の程度がいちじるしく低いから 少し想像をめぐらせるだけで すぐに心の安定が崩れ去る いつも不安で 酒でものんで我を失ふくらゐしか 今自分にできることがない いやあるだらうと説く賢人達の 部落を足早に過ぎて 緑の丘に立つ 金にしがみつくより あきらめられたら 胸をしめつける憂悶からも 解放されるだらうか 我執といふ名の桎梏を解かれて はじめて自由になれるだらうか すべての価値をひっくり返して つひに安住の地を見出すだらうか どうあがいても幸せにはなれないと悟った人間は どのやうにして最終的には 幸せになるのか なってしまふのか 酒に濁った目を開いたまま 見つめなければならないのか

三月二十日 休日

今日は休日だといふのに 夜勤明けだから あまり休みといふ感じがしない 考へてみれば当然だらう 休みといっても二十四時間程度の猶予を 与へられたにすぎない わたしの未来は売約済みなのは変はらない だから心はまったく浮かれないし むしろ沈んだままで 何物からも解放されたわけではないことを知ってゐるから 何らの喜びも見つからない 休みといふのはごまかしであり 詐術の一種として機能するのだとおもふ 他にどうすることができるといふのか 自分を自分でなだめすかして 今日は休みだ仕事からの解放日なのだと 信じこませる以外 どうやってこの現実から一瞬でも目を背けられるといふのか 逃れられないなら逃れられたとおもひこむ他ない ほとんどありとあらゆる物や事に見放された みじめな人間がせめて大通りを歩けるくらゐになるには きっと精神上の大転換がどこかで敢行されたにちがひない 百円のコーヒーを買ふのにこれほど悩むなんて 子供の頃は夢にもおもはなかった それでもつひに硬貨を一枚軽い財布から出したのは 今日は久しぶりの休日なのだと納得したから この生活をはじめて一月経たうとしてゐるが 今だに袖を濡らさぬ時はない 姿勢は悪くなりひがごとが増え やがては顔つきもかはってしまふのだらう 自分のあまりの無力さをつきつけられて 通り雨にふられただけで こぼれる涙をおさへることができない

三月十九日 わたしの―――

日本列島上から下まで くまなくはうきではいたら ほこりがたくさんとれました そのままでは汚いので とりあへず一箇所に集めました それがこの街です さびついた扉から 腰の曲がったおぢいさんが すりきれた帽子をかぶり 出てきます 街のお風呂に行くのです 鳥居の前で立ち止まり 一礼します 帽子はのせたままです たぶん忘れてゐるのです わたしは青白い顔をして よろよろのおぢいさんを追ひ越します おぢいさんだけではありません 前からは年代様々な 各種各様が歩いてきます わたしは会釈をかへします さうです わたしもこの一員なのです 中学生の頃 不思議で仕方なかったことをおもひ出します 両親は音楽を聞きません それでも生きてゐます わたしは信じられないおもひで一杯でした ひとが おんがくの おんがくのびなしに いきてゆけるなんて 先日読んだ野生児に関する医師イタールの報告書は わたしの気を幾分楽にしてくれました その事例からわたしは 感受性は生まれついて 人に備はるのではなく 教育によって醸成されるものと学んだのです きっとあの電線にとまったカラスも 行き交ふ人達も 絶望の底に沈んだまま やっとのおもひで毎日を しのいでゐるわけでは ないのかもしれません おばあさんが頭を下げます わたしもあわてて返します 幸も不幸もその人次第ですって ええきっとさうなのでせう だからわたしのこの気持ちは わたしのみづから生み出した幻で わたし自身に責任があるのです だからこそかんたんに逃げられませんし 捨てることなんてできるはずがありません いいのですよ おばあさんがどうでも わたしはこの不幸を 生きるのです 誰かのではない わたしの不幸をね

三月十八日 出勤

出勤時刻に近づくと わたしは涙もろくなる どんなに嫌でも 認めざるを得ない現実を 押しつけられるから おかずのないごはんを かきこみながら わたしのほほは涙にぬれる しかしおもふに 自由の強奪が嫌ならば ごはんを食べる際にも 泣きたくなるはずではないか 空腹はわたしにはどうすることもできない 束縛に他ならないのだから それともごはんは喜びで 自分の一部として認知されてゐるのか いつかはごはんに 涙するときがくるのだらうか 生存のためか 家族の幸せのためか よくもわからないが わたしは働かざるを得なかった 最低の職に就かざるを得なかった わたしは仕事を嘆くのか もしも最高の職に就いてゐたら 嘆くことはなかったのだらうか よくわからないが 何にしても あまり変はらない気もする 出勤時刻に近づくと わたしは涙もろくなる どんなに嫌でも 認めざるを得ない現実を 押しつけられるから おかずのないごはんを かきこみながら わたしのほほは涙にぬれる

三月十七日 挽歌

これからうたふのは追悼の歌 仕事で運転中事故を起こして死んだ ひとりの労働者のはなし ありふれた交通事故は 地方紙の隅にも載せられず 同僚達もすぐに忘れてしまふ あとに残されたのは 車の残骸と遠く離れた地で かなしむ妻と家族たち 大きな車から跳び下りて 小走りにいそぐ さいしょにしたのは はぎしりで こぶしがかたくにぎりしめられてゐた どうしてどうして このいきどほりをどこに向ければいい どうして どうしてこんな仕事を してゐるのだらう もうかわいた笑ひすら 出てこない 自嘲などではない もう余裕なんてない 眞劍に問はずにはゐられない どうしてどうして 止められない 知ってゐる これは問ひではなく 叫びであり嘆きにすぎない たがの外れた狂人のやうに くり返しくり返し 悲鳴をあげて やり場のない憤怒を 胸の中でぐるぐるまはし はをかみしめて たへるしかない どうにもならないことを 知ってゐるから 声に出せない 叫びを上げるしかない ああ ああ 笑顔の仮面をはりつけて 用事をすませ 再び車にのりこむ 朝方は晴れてゐたけれど 雨雲が空をおほひはじめてゐる 工事をよけて街路を走る 左から一羽のセキレイが すぐ目の前を横切って飛ぶ ほんの一瞬の間の ごくありふれた出来事に 目を奪はれて 羽根の白さが心に焼きついて うづまく情念がからになり ハンドルを握ってゐた 人間は糸の切れた人形となり 赤信号につっこんだ 黒い空に消える鳥を 目でおひかけて 自由を 桎梏から逃れて 天をかけ上がれる白い翼を 目でおひかけて こんなありふれた労働者のはなし いろんな場所でくり返されて 記録にのこす価値もない よくあるかなしい おろか者のはなし

三月十六日 実験

これはひとつの実験なのだ ある意味でひとつの方法なのだ わたしはくるしみを慾っしそして それは与へられたのだ どん底に落とされた人間はどのやうに感じ どのやうに考へどのやうな思想を抱き どのやうに生きあるいは死ぬのか 自恃のより所をあらかた奪はれ 卑賤な職に就き 育ててくれた親や家族親しい人の期待を裏切り 天にも地にも人にも恥づかしく 顔を上げて通りを歩けないやうな 自由も最低限の尊厳も希望もみつからない状況におかれて たのむ所のない人はどんな風に変へられ 何をおもひ何をなすのか 観察しようとしたのだ この実験の特徴は観察者と観察対象が同一な点にある アヴェロンの野生児のやうにはいかない 被験者は自分であり 記述者は机の上のりんごを描写するのではなく 自分の目で自分の目を描かうとする 激情に翻弄される自分とそんな自分を冷静に見つめる自分がゐる といふ具合には従っていかない 荒れ狂ふ嵐の中で投げ出された波のはざまで 人はおぼれないやうにもがき一片の木板にしがみつくのが精一杯だ 冷たい観察眼を保つ余裕はない むしろさういふ余裕を持ち得ない場所を 実験の舞台として選定したのだ 自分で自分を突き落として わたしは笑ふのだ さう確かにわたしの顔には くらいゑみがたたへられてゐた わたしに手加減はない 全力で自分をしひたげようとし 実際にそれを行ったのだ さあ見せてごらん ここから君は一体どうするのかな どうできるのかな 会心の笑みをうかべて私を見る私がゐる 目の前にゐたらおもはず殴ってしまふかもしれないが わたしはそんな自分をゆるせないともおもへないのだ

三月十五日 生からの脱落

職場での一喜一憂の波に 浮きつ沈みつ手足をかきつづけ 疲れてもう動かなくなっても 救助の船はあらはれず そんな生にしがみつくのに 何の意味があるのかといふ問ひが生まれ 意味の少ない順に脱落して行く 観客不在の競争のやう 何もない所に行きたい 自由になりたい そんな願ひの心を満たす 夢は今この社会には見つからない フィンランドではベーシックインカムの実験中だといふ 失業給付金とは違ひ すべての国民に一律に支払はれる最低生活保証金制度だ 日本でこのやうな試みが行はれるのは まだずいぶん先のことになりさうだし 想定される問題は山積みで 議論だけでも長い年月を要するだらう ただやはり問題が たとへば今わたしの感じる生きにくさの遠因が 現在の社会体制にもあることは認められなければならないだらう たんにひとつの会社のあり方の問題ではない 末端の一機構を変へるには 時間がかかっても 社会全体の変革が必要だ たださうした改革が 上からの号令で果たされるのかは疑問だ 現実によい目を持った指導者たちは問題に気がついて 自分の領域において改善を試みてゐるやうだ この流れがつづき広がるならそれは 下からの変革であって いはゆるこれは 革命といふものであらう 人間の抱へる苦しみのすべてが取り払へるとは この革命運動の参加者はおもってゐないだらう けれど社会と個人とのあひだのずれが目に見えて大きくなり 不都合が出て来てゐるから ほんの少し修正して ずれを小さくしようとおもふのは 自然のなりゆきだし 人の手にあまることでもないだらう

三月十四日 ひとつき

これは日記なのだ なにか目新しいことを探したり案出したりする書き物ではない たんたんと日々の葉をかさねてつづるだけがふさはしい 遠国の僻地に一人で来て労働に身を沈めてより一月が経たうとしてゐる 新しい刺戟も繰り返されるうちにだんだん体の感覚は鈍く反応は少なくなってゆく 同じことがわたしの身にも起こってゐるのかもしれない 屈辱と涙不安と絶望恐れと怒りははじめの先鋭を失ひ ころがる石のやうに角が取れて今やまるみを帯びつつある そのうち力一杯握りしめても痛くないどころか 気持ち良いかたちに落ち着いてしまふのだらう 戦いも毎日のこととなれば緊張を失ひ日常と化す かうして知られぬ間に完璧な労働者がまた一人この社会に加はるのだ 不自然さや違和感はもうどこにも見つからない 彼にたづねてみてもきっと思ひ出せないだらうし 思ひ出せたとしても若かりし頃の青臭い自分の姿を恥ぢるのみだらう わたしもまた忘れてゆくのだらうか 感情がすりへってゆくのだらうか 日の届かない場所で顔も上げずに黙々と手を動かす働き蟻の一匹に わたしもなりつつあるのだらうか そのときわたしの倫理は世界はどういふ姿に構成されてゐるのだらう 蟻は満足なのだらうか それともたんに麻痺してゐるだけだらうか ある程度の障碍に突き当たると乗り越えようとする人も 巨大すぎる不幸の壁を前にすると 抵抗する気力をなくしあきらめの境地に至るものなのかもしれない 自分ではどうしやうもないことがあるといふ認識を与へられた人は もはや騒がずおとなしくなるのかもしれない この監獄からは出られないと悟った囚人のやうに 春めいて 花は聲なき 靴の下

三月十三日 うすい水色のそら

今日はめづらしく朝から晴れてゐた 外に出たときすぐに 自分が川の方に行きたいことがわかった どうして川に行きたいのかは知らないが 心は体を残してすでに川沿ひを歩いてゐた 重い肉体を運んで ほそく入りくんだ路地を抜け 小さな白い花の咲く水田に出る 目的地のない散歩は久しぶりで 歩幅はせまく歩調はゆるやかになる 途中地元のをぢさんらしき人に 三回も追ひ抜かれたが わたしは背中をながめつつ 四度目もあるかなとおもってゐた 絵の具でひいたやうな うすい水色のそらは けだるい午後の日ざしを 犬と飼ひ主とわたしにそそぐ 川にそって生えた竹のかげを行く 人の目がなかったから わたしは自然の一部に見えただらうか 街中でもしこのやうに歩いてゐたら 酔っぱらひか気狂ひか 関はりたくない人物にしか見えないだらう わたしの明日は仕事といふ名の先約で埋められて すでにわたしのものではなくなってゐる わたしはそのことを知ってゐるはず なのにどうしてこんなに放心してゐられるのだらう うれひは不安はどこへいった ここだけ見たらわたしは まるで自由人のやうだ 結局四度目の邂逅は 果たせなかった 犬を連れたをぢさんもどこかへ消えた わたしは流れを見つめて どうして川のそばに来たか なんとなく理解した ぬいだ上着とマフラーを腕にかけ 街へと戻る すれちがったおばあさんが 頭を下げる わたしはきっと もしも明日制服に身を包んで せはしなく動き回る姿を見たら 逆に怒るだらうとおもった

三月十二日 あをぞら

人生といふ名の牢獄から逃れられないとしても 鉄格子のすきまから 青い空がのぞくことだってある たなびく白い雲を追ふ そのあひだだけは 鎖につながれた身であることを忘れられる どんなに明晰な才人も白痴のやうに 口をあけて空を眺める つかのまの平穏がしかし 平穏の方から忍び寄る足音の うす気味悪さを覆ひつくせないならば 耳のよい人は感じとり よろこびとかなしみをこねあはせたやうな顔になる 不穏は平穏の中にあり 平穏がほほゑみかけるまさにその時 ゑみの中に身をひそめる 決して表に出て来ることはないが 完全に消え去りもしない たまにおとづれる 天気のよい日は 広がる青空を見上げて 贈り物のやうな甘い平和を味ははう 一瞬の平穏が絶えざる不安を隠しきれずに 甘みの端に苦みがまじり いよいよ認めなければならなくなる 日暮れどきまで そして夜は ものおもふことがゆるされる 星のまたたきの内に かすかにまじる異なる光を よく観察できる時だ 違和感としての現れに 実体があるわけではないのかもしれない どこまでもそれは 姿をあらはさないものとして どこかをかしな 点として けれどたしかに感じられるのみで もっとも敏感に感じとり 違和感の正体に目をこらす人も そのうち眠ってしまふのだけど そして朝が来て また日はのぼる 今日もさはやかな 青空だ

三月十一日 どーなつ

図書館で本を返したあとの帰り道 スーパーに寄る 傘の水滴を払ひ かごを手に店に入る 欲しい物があると 値札を見つめて考へる 今日は百円で五個入りのドーナツが売ってゐた 会計を済ませて 傘をひろげる すぐに水がしみこんで 足が冷えてくる 狭くて急な階段を上がり 鍵をあけてうちに入る 靴下が濡れてゐる さっそくドーナツの袋をあける うすいコーヒーを飲みながら 不乱にドーナツをほほばる 足が冷たくて寒い 一度外したマフラーを 再び首にきつく巻く

三月十日 もちもの

目覚ましの音に まぶたをあける 疲れて重い体は 今からはもう 自分以外の 誰かのもの まどろみに見る 幻影だけが ただひとつ残された わたしのもちもの けれどそんな小さなお守りすらも やがては奪はれてしまふのだらう 形のないものさへ取り上げられて そのときわたしの手元には いったい何が残るのだらう 握りしめたこぶしをひらいたら 手のひらには何がのってゐるだらう もしも何かがあったなら それがどのやうな何かであれ きっとびっくりするだらう そしてかなしいことに 疑はざるをえないだらう 本当は何もない所に 自分でこしらへた まぼろしなのではないかと 制服に着替へて 劇場に向かひ 下町の路地を急ぐ エレベーターのボタンを押して 数字の近付くのを ほぼあきらめの目で見てゐると すぐとなりに一匹の蚊が とまってゐるのが映る 肌をかくさうと そでをひっぱり腕をおほふ 蚊は動かない 目を離せぬまま あいたとびらに乗り込んで ボタンを指で押し ドアがしまるのを 無言でまつ

三月九日 望み

自分は悲惨な状況に置かれてゐる自分は不幸だ となげく若者にある老人がかう言ったとしよう 不幸なる同胞よ わたしも君のために君の不幸をなげきたい しかしおそらく君の不幸は 君のおもってゐる所にはないのだ なるほど君が不幸であるといふのは本当のことかも知れない 君は君自身がその原因であることを知らないのだからね さうだよ君自らが不幸を作り出してゐるのだ 不幸といふ色めがねをかけて見るから 世界は不幸色に染まって映るのだ 逆に君自身が原因とわかるなら めがねを外すこともできるのではないかね 君は本当に不幸なのだらうか 何も他人と比較する必要などない まづは今かけてゐるめがねに注意を向けて 虚心に世界を眺めてみたらどうかね 君は本当に不幸なのかもしれないし 本当には不幸ではないのかもしれない それはどちらでもかまはないのだ どうしやうもないことだからねただ 今の君はたんに自分で用意した幻を見て それに対して反応してゐるに過ぎない 少なくともこの見せかけの不幸からは君の力で 抜け出すことができるし 抜け出したいと君は望むのではないだらうか かう言はれた青年は自分を見つめ直し 気付きを得て成長するといふ物語だ この類の言説は巷間に流布してをり 様々な変奏が繰り返されてゐる所からするに なかなかに人気があるやうだ 不思議なのは 逆の言説を耳にする機会がより少ないことだ すなはち幸福にも同じことが当てはまるのであって しあはせも自らの生み出す幻想に過ぎないのに ばら色のめがねは宝物のやうに大事にされて それを外して素直に世界を見よとは あまり声高には語られない しあはせな人間はそっとして置いて 触れないでゐてあげようといふ気づかひが感じられる やさしい世界だ だから 持つ者は天国へは行けないのだ 失敗したのは失敗を望んだから 成功したのは成功を望んだから 不幸なのは不幸を望んだから 幸福なのは幸福を望んだから たしかに公園で遊ぶあの童児が あめ玉をなめてゐるのは 彼がさう望んだからにちがひない そして 彼が生まれたのは誕生を望んだからだし 生きてゐるのは生きたいと望んだからだし 存在してゐるのはかくあれと望んだからにはちがひない まあともかくどうでもよろしい 問題は

三月八日 さんぽ

おさんぽおさんぽ お日さまぽかぽか ふんわりほんわり てくてくてん おさんぽおさんぽ てくてくてん けふはどこまで いかうかしらん まちのこみちを たどらうかしら たんぼのあぜを すすまうかしら おさんぽおさんぽ てくてくてん ふんわりぽんわり おひさまが かはぞひのきを あたためて かほをのぞかせるの 小さなつぼみが かはぞひのどて てくてくてん そらやはらかく ほほをなで いきかふひとと ゑしゃくする ほほゑむひとと ゑしゃくする てんてんてん これがわたしの かんをけなのね ここがわたしの はかなのね いつもとちがふ ふくをきて 足どりかるく てくてくてん ごらんなさいな いつもと同じ 道だけど ほんとに同じ 道かしら ごらんなさいよ あそこの並木 いつもと同じ 木々だけど すこしをかしく ないかしら じっと見つめて ごらんなさいな いつもと同じ 道だけど なにかかくれて ないかしら どれだけ見ても 見えないけれど ほんとにいつもの 道かしら てんまふ ひとまふ われまふ まふまふ てんはね ちをどり ひとあがり われふす てんつつみ ちささへ ひとかなで われうたふ おさんぽおさんぽ お日さまぽかぽか あっちのくろい ぢめんのうへを ふみたいな ふんわりほんわり てくてくてん おさんぽおさんぽ てくてくてん

三月七日 文法

自分は知らないといふ宣告のもとにある者の感情は 何らか否定的なものであって気づきへの喜びとか感謝とか 知への期待とか安穏とか前向きなものはおとづれ得ない 混乱恐怖不安痛み さうした動揺にのしかかられて首根っこをつかまれて 自白を強要されるのだ はいわたしにはよくわかりません 自分がその中にゐて たんにゐるのみならず 自分もどうやらその一部分 といふ把握が的を射てゐるか外してゐるかも不確かですが であるらしいのに わたしには全体もまたほんの小さな部分すらも 分からないのです ええ何が何だかわからないのです おそらくの話なのですが 語彙の不備もあるでせうが そもそも文法が存在してゐないか 適切でないものをあてはめてゐるか こんなに身近なものは他にないのに どういふわけか 人はあまり足を踏みこまないやうで 全然開発が進んでゐない状況なのでせう 手近にあるから簡単といふ理由はなく この場合はたまたま 最も近くにあるものが最も困難なものでもあっただけのことでせう あまりにも難しいので といふのはそもそも足がそちらへ向くのが稀ですし 向いたとしてもそれ以上どうしやうもないのですから 我々は目を遠くに向けて わかりやすい未知の探求に忙殺されてゐるのでせう けれどかうして世界の一ペエジを書きこんで 広げて行けば行くほど 不安が頭をもたげてくるのです ことばにもならない不穏ですが その淵源はきっと 我々がはじめに目をそむけた といふ事実にあるのでせう はっきりと覚えてはゐなくても 心のどこかにそのときの場面が残されてゐるのでせう はっきりとおもひ出せなくても だんだん色彩豊かになってゆく 精緻な壁画の完成にはどこか足りない部分があるのを 感覚するのです もっとも感じても絵筆で解決はできないから 筆を投げる者もゐれば ますますかたく握りしめて 邁進するたぐひもをりませう それがあさっての方向へだとしても 責められる者は分別ある人の内にはゐないでせう

三月六日 悪

はるのあらしが去りて よのあけを迎へる 湖面のごとき 胸の奥には ひとつ舞台で 全員参加の 舞踊劇が 次から次に 場面をかへて 役者もかへて 進めらる 用意された物語が 巻き物を広げるやうに 展開される よい役を与へられた者は幸ひだ 彼は誇りよく演じやうと努める ただし主人公だけで劇は生じない 悪役もあれば 一片の口上もない端役もある そんな役にかなしくも選ばれた者は 心に不満を抱く どうしてあいつは主人公で 俺は有象無象なのか 説明を求めて 脚本家に訴へる いかやうななだめにも応じない 頭のかたい端役者は 爆弾をかかへ おさへきれずに火がついて 舞台もろとも吹き飛ぶか たへ忍びて羊のやうにしたがひ 日々舞台に立つ 主人公は演じ 悪役は考へる この劇は何か 誰が作ったのか 物語はどこへ向かふか なぜ俺は悪なのか 問ひを胸に抱いて 演じ続ける おれはいったい 何なのか

三月五日 視界

わたしは自分に何を隠してゐるのか 一時も立ち止まらせないやうに 夢といふ投射機で視界を染める どうしていつもわたしは何かを追ひかけてゐるのか 追ふのをやめたら何が見えてしまふといふのか 何か映っては不都合なものがあるに違ひない わたしも事情を知らされないながらも協力して 何かが明晰にあらはれないやうにしてゐる きっと倒れるまでこの茶番はつづくのだらう かつては全霊であらがったものだが 今はあらはれさうになるとあらはれる幻を ほほゑみを浮かべて追ひかけるやうになった ご苦労様ですと一声かけてやりたいくらゐ わたしのことお気遣ひ下されていらっしゃるのでせう 奇怪な生きものでございますよね ねえわたし ときにさいきん 視界にかかるもやが薄くなったやうな気がするのだけど 気の所為ならよいのですが 透けて見えさうになってる時があるから 注意して下さいね もっと持続的かつ強力な幻覚を見せて頂かないと いろいろはがれ落ちてしまひさうです

三月四日 こども

ある日わたしの袖をひく者があった 小さな子どもだった ぼくどなたどうしたの わたしはたづねた 子どもは目をうるませた 覚えてないの 忘れちゃったんだぼくのこと わたしはその子をよく見てみる 昔見たことがあるやうな気もして けれど面影はぼんやりとして わたしは記憶をひっくり返してみたが おもひ当たる人物はなかった わたしはつとめてやさしく言った うんごめんね ちょっとよく覚えてないんだ どこかで会ったかな するとその子はほほゑんだ そして小さな声でこたへた 昔会ったことがあるし さっきも今も会ってゐるよ わたしはさうなんだねとこたへた 何か用事があるのかな ほんとに覚えてないんだね その子は目をふせた 仕方ないことだけど どんなものにせよ 忘れられるといふのは よろこばしいと同時に うらさびしいものだね わたしはその子を見つめた けれどやはり何も思ひ出せなかった よいのだよ その子はなぐさめるやうに言った ぼくのことなんか覚えてなくたって むしろぼくは嬉しいんだ あなたがぼくを忘れてくれて あなたはもう振り返らなくてよいのだよ ぼくは心から あなたの未来にさちあれかしと願ふよ ありがたう ほんとにごめんね 最近忙しくて 考へることも多くてね いろんなことに あまりかまってゐられないんだ もし本当に君のことを 忘れてしまってゐるのだとしたら わたしはずいぶん失礼な奴じゃないかい なのに君はわたしをゆるしてくれるどころか 幸運まで祈ってくれるとは よくできた子なんだね君は わたしがさう言ふと その子は仕方ないからとくり返した さやうなら 次に会ふのが いつになるかわからないけど またどこかで会ったら その時はぼくのこと ちゃんと覚えてゐてね わたしは約束すると誓った 子どもは笑ってつぶやいた 前に会ったときも 同じことを言ってゐたよ それから今までずいぶんたったが あの子どもに二度と会ふことはなかった

三月三日 いでゆの夜

昨日は初めての夜勤だった 星のまたたく下 人々がいこひはじめる中で 職場に急ぐ自分のすがたは 取り残されたやうでなにか ものがなしい感じがした 年配の同僚が語る 昔は温泉街といへば 流れ者の巣窟だった 行くあてのない根なし草の 最後に流れ着く岸だった 罪を犯した者も稀ではなかった かうした場所には必ず寮があって 突然現れ雇ってくれと言ひ 主人はわかった働いていけと言ふ どんな経歴で何をしてきたか 深く尋ねることもなかった 昔はさうだったと 同僚は語った 私は黙念と聞いてゐた 今でも同じだよ あなたの目の前にゐる者がさうなのだから しづかな夜だった かなしみもくるしみも そして少しのよろこびも のみ込んで来た宵闇が ひたりひたりと 音と灯りを包み込む いでゆの夜は にぎやかで 騒がしくて 今日もまた しづかだ

三月二日 れんげ

黄泉の飯を口にしたイザナミは 帰って来られなかった フードコートの一番安いメニューを注文する 子供連れの婦人の後ろに並ぶ 空は曇って一面灰色 電子音が鳴り響き ラーメンを受け取り はしをとり 席につく 隣のテーブルの人はれんげを使ってスープをすすってゐる れんげを取ろうとカウンターに戻る しばらくうろうろしてみるが 見当たらない もう一度ラーメンを食べる人々をよく見ると れんげといふよりスプーンに近い奇妙な食器だ なるほどこれか 一つ手にして席に戻り スープをすくふ 香りは煮干しだが だしの味は薄い 空腹は最高の調味料ではなかったやうだ 食べ終へて一息つく 空を見上げる 灰色一面 言ひ知れぬ重たさが胸にかかる これでもう引き返せない 名実ともにわたしは 娑婆の一員となった どす黒い気分に心が覆はれ いや この場末には 灰色の空がよく似合ふ

三月一日 音

とりの聲(こゑ)がする からすが鳴き交はし すずめがささやく とりの聲がする 雨だれの音がする 窓枠にあたり 道路にはねて 街路樹にそそぐ 雨だれの音がする 車の音がする 少しづつ大きくなり 少しづつ小さくなる 車の走る音がする 冷蔵庫の音がする 重奏低音に 棚板の揺れる音が たまにまざる 冷蔵庫の音がする 息を吸い込む音がする 息を吐き出す音がする つばを飲みこむ音がする 服のこすれる音がする からすがないて 車が通り 雨がそそいで 音がする 音がする

二月二十八日 目

見失ひさうになる現実を つとめて視界にとどめ続ける 生きてある神ならぬ人の身がこれをなすには 特殊な準備が必要だらう そのままに放っておけば 視野はせばまり歪められ 地獄に薔薇色の天国が現出してしまふ 熟練の舟乗りが嵐を漕ぐやうな 繊細で大胆な技術の上に おそらくお祈りもしなければならないだらう 烈しい突風が すべての努力を一瞬で無に返す暴風が どうか吹きませんやうにと 希望と絶望にはさみこまれて その間でもがきながら 冷めた目を注ぎつづけねばならない どちらかと言へば希望より 絶望の方を友として 人間は厳密な存在だ 二つの自然 外なる自然と内なる自然の中にあって 荒れ狂ふ海原に投げ出され 丸太にしがみついて 舵取りをしなければならない

二月二十七日 白い桜

悪い冗談だ 四人掛けのテーブルにからのコーヒーカップが一つ 呼び出し音が鳴りっぱなし フードコートの窓から透ける空が 青い さういへば今は二月で さっき川沿ひを歩いてゐたら つぐみが飛んで 桜が開いていた 頭がくらくらして 目に力をこめる これはどうしたことだらう いつからわたしは歩いてゐて これはいつで なんで世界はかうなのか 答へられないし知らうとも思はないし ただわたしはここにゐて 白い桜が目に写るのだ 川沿ひの桜並木の 水色の空を歩いていく これは何の 悪い冗談なのだ

二月二十六日 阿呆

忘れてゐた感情がよみがへる 世間は阿呆で満たされてゐる 隙間がないほどつめこまれてゐる 搾取される阿呆と搾取する阿呆と 他にも様々な阿呆がゐる 自分がこの中に放りこまれてこの中で生きてゐることが 大問題である とてもストレスフルである 搾取される側利用される側純朴で善良で無知な側は ただあはれをもよほさせる 利用者には少しのあはれみと多くの怒りを感じる かういふ舞台設定なのだらうとおもふ どちらが欠けても完成しえない 世はかうしたものとはいつの時代も人が口に乗せてきた常套句だ 私はこの中で頂点に立たねばならない 今はこのピラミッドの最底辺にゐるのだが この位置から見える光景を脳裏に刻み込まねばならない 周りがおそろしく馬鹿ばっかりだから 私がしっかりしないといけないと感じる ただそれだけの ほんたうに簡単で単純なこと

二月二十五日 醤油瓶

なにも戦火に身を置く者だけが死を感じるわけではない 単純労働に身をやつす底流層は 日々の作務に追ひたてられ ものおもふ間もなく 目的を果たすだけの機械と化して ただひたすらに 意識が低いと怒鳴る上官の命令をたへしのぶ 心に浮かぶ理不尽への反発は 職を失ふ恐怖によっておさへこまれる 明るく楽しい現場の実態は 不安といかりと やるせなさとあきらめと 絶望感を基底とした 一種の精神病棟なのだ 患者はそこで毎日 死に直面する この生活は死だし 未来は死だし 現在は自死の誘惑におされつつも どうにかかうにか抵抗してゐるありさま 労働環境では死はすぐとなりにある びっくりするくらゐ日常にテーブルの上に 醤油の瓶と並んで 無造作に置かれてゐる

二月二十四日 ねえ・・・

ねえパパ この窮状をわたしは 誰に訴へたらよいのかしら パパに言っても仕方ないことくらゐわかってゐてよ だって同じ人間ですもの お互ひの惨状を目にして 相憐れむのがせいいっぱいですもの あるいは背くらべをはじめて 俺はあいつより金を持ってるとか 地位が高いとか 力があるとか 美しいとか 健康だとか 頭が良いとか 人より優れてゐるからまだましだなどと 自分に思ひこませて 自分の尊厳を 自分の幸福を かたくなに守らうとする そんなあはれな人間の 仲間内ですもの ねえ わたしは どうすればいいのかしら 誰にたづねたら教へてくれるのかしら ええ今すぐに救ってくれとは もう言はないわ ただ暗に示してくれるだけでも満足なの 終はりの見えないこの道の終点に いつかたどりつくことができるのかと

二月二十三日 希望

希望が生まれる 薄暗いじめじめした洞窟で倒れ 汚泥にまみれる旅人は 予感にふるへる空気の中 まぶたをあけて 曙光を迎へる 希望が生まれる あらゆる望みを打ち砕かれ 地にたふれふして もう起き上がる力もない だからこれは奇蹟のはずだ 今わたしはひざを立て 自らの力で立ち上がらうとしてゐる 暗闇のとばりをそっと押しのけて あたたかい光が入ってきたのだ 希望が生まれる よろこびが生まれる ひとみに意志が宿る 糸の切れた人形だった体に 力が戻り始める 手を握り感触を確かめる 十分だ 生の困難に立ち向かふ 強さが今やここにある 勇気は指先まであふれ 戦ふ準備はできてゐる さあいかう 出発だ たとへ危険な暗夜行だとしても この光が導いてくれる 希望が生まれる 生まれる うまれる むまれる もう何度目だらう くり返しくり返し 生まれる 生まれてしまふ 希望が 希望が 産まれる わたしに夢を見せ 力を与へ 生きる意志をふりおこす お前 希望よ 愚かなわたしに これ以上 何をさせようといふのか 希望よ お前は何なのだ まぼろしを目にして 虐げられた人は冷静でゐられない 希望よ お前が わたしたちの 絶望なのか 希望よ わたしをもてあそぶ 善良な顔した ばけものよ 希望よ わたしはお前がおそろしい それ以上に 自分がおそろしい 得体の知れないもの 真っ暗闇の中ですら 光を生み出すことのできる 自分といふ物体が 奇妙で不可思議で その根もとを見つめようとすると ものが 厳然としたものがあって 自分とはみなせない何かに突き当たりさうで どうあがいてもどうにもならないものの存在感が 胸に重くのしかかる 希望が産まれる 目を閉じてわたしは 嵐にそなへて身をかたくする

二月二十二日 忘却の忘却

 どうして労働階級はなくなっていないのか。どうして共産体制は失敗したか。  別に大風呂敷を広げるつもりはない。もっと小さな話だ。  ひとつには、夢がないからではないか。逆説的だが、底辺労働者がいないからではないか。いや現実的には単純労働に従事する者はいるが、彼らに希望がなかったからではないか。その代わり、絶望もないのだけれど。そういう中で生きていくのはとても難しい。  ゲームに似ている。社会はひとつの機構であり、装置であり、舞台設定なのだ。その中でこそ、貧者は夢を見られるのであり、夢を見られれば生きて行ける。すなわち、少なくともある程度は、幸せなのである。富者も同様だ。あるいは、彼らの方がより不幸なのかもしれない。  社会はひとつの麻薬に他ならない。共産主義はその麻薬を根絶しようとした。貧困がなくならないのは、それが必要だからだ。生きるために、必要なのである。たんなる生存のためにすら、人は貧困を必要としている。ゲームをするために。物語の主人公になるために。  最も重要なことは、忘れること。忘却なのである。何を忘れるか。むなしさを。無意味を。生の根底を。目をそむけることが大事なのだ。忘れたことを忘れてはじめて人はまっとうに生きて行けるのだ。

二月二十一日 思考

   考へるといふより考へさせられてゐる方が普段は多い。いや、さう言ふなら、考へるといふのは即ち考へさせられてゐるといふ行ひなのかも知れない。思考は別に高尚なものでなく、飲み食ひ寝る一環であり、生存のための作業だ。問題は、自らは考へてゐるとおもってゐる点だ。そのやうに考へさせられてゐるのが実状なのに、自分では考へてゐるとおもってゐる。  住み込みで働くといふのは私が選択した職といふよりは、もうそのくらゐしか自分の採用され得る仕事がなかったからに過ぎない。  何とか希望を見出さうと、頭が必死に回転を始める。みじめであっても、希望の残るみじめさと、将来の見通しの立たない単なるみじめは違ふ。私はみじめだ。どちらのみじめか、言ふまでもないだらう。他にどう捉へられるだらうか。馬車に繋がれた馬と同じだ。さんざん酷使され疲れ果て、動けなくなるまで働かされて、体が弱れば近くの森に捨てられて、孤独に死にゆく運命の、どこに救ひを見出だせるだらう。  本当に私はどうすればいい。現状はひどい。自由もない。この状況をひどいと感じなくなるか、何らかの救ひを見つけるか、あるいはひと思ひに命を―――。

二月二十日 死に損なひ

   私は結局死ねなかったのだ。私のしていたのは死の生活だった。何事にも一切興味が持てず、働かず、何もせず、日がな一日を座って暮らす。○○の稼ぎに依存して自らは何も生産しない。そういう隠遁生活を送るようになったのは、私にはすることがなかったからだ。ただひたすら生の終わりを待つような日々はしかし、この社会、この環境では続き得なかった。たとへば親が裕福で莫大な遺産でもあるなら続いただろう。その場合、私は死ぬまで何もせず引きこもっていただろう。勉強も仕事も何もない。社会には一切関わろうとせず、一人でいられる場所でひっそりと生を畢おえたろう。けれども、物体的事情がそれを許さなかった。つまりはお金がないから、私は無理矢理まどろみから引き起こされ、労働に駆り出されている。私は結局死ねなかった。死にそこねたのだ。こうして身を削っている今も、私は実の所死んでいるのだろう。死んだように生きるという言葉があるが、私の場合は生きているように死んでいるのだろう。死人なのだわたしは。

二月十九日 鮪漁船

 寄りかかって生きているということがある。学歴や容姿あるいは地頭のよさ等々、自分では意識しないながら、それが社会的立場の保証の一助となっているということがある。寄りかかれるということは、それは外のものということであり、したがってなくなることも可能ということだ。そうした支えが消失したとき、今まで体重を預けていた人は、まっすぐに自立することができるだろうか。  同僚に、○○はすごいと言われた。事実婚なのだから、別れればそれで済む話なのに、私のためをちゃんと考えて、送り出してくれたのだから。ここはマグロ漁船なのだね。私は、墓場だと思っているよ、と答えた。無理矢理追い出されて、なぜか地方に出稼ぎに来ているのだと。  気持ちの整理などつきようがない。毎朝もやもやして、何とか生きる方向へと自分を説得できる論理を編み出そうと頭をひねる。こうして書くのもその一環だ。そのままでは潰れてしまう自分の支えを構築する作業だ。ため息しか出ない。ため息すらもう出ない。カーテンの向こうから、すきま風と手を取り合って、絶望が流れ込んでくる。

二月十八日 鐘聲

かねのねが聞こえる 暮れなづむ空に 晩鐘がひろがり 虚空に消える わたしはどこにゐる わたしはどこにゐた あのとき目の前を横切った ねこは今どこにゐるのだらう かねのねがきこえる しづかに死を待つ人の 疲れてひびわれた耳に 暮鐘がひびきわたる わたしは何かなのか わたしはまだ何かなのか どこまで行けば この道は終はるのか かねのねがきこえる こんなにはっきりしてるのに ああわが人草(ひとくさ)よ お前はまだ顔を上げるのか わたしはまだ わたしはもう かねのねがきこえて こんなにはっきりしてるのに 耳をふさぐだけの 力がない

二月十七日 牢

牢獄のなかで目が覚めた すえたにほひが鼻をつく すぐそばにあった男の顔は ひどくゆがんでいやらしかった わたしはおもひだす 抜けるやうな青い空 真っ白な入道雲 ふりそそぐ光の海のなかで おだやかな風に緑の葉がゆれる この石とほこりと鉄柵しかない監房で 目は見えないものを追ひ求め 薄汚れた壁のすみを ただひたすらに見つめる 一瞬でもそらしたら しあはせが崩れて消えてしまふかのやうに 目に映ってゐるのは 自分と同じ 汚く品なくあさましい 囚人たちの かつては澄んでゐたはずの 狂気と混乱のひとみばかり 会社の借りた 安アパートの一室で目を覚ます 今見た夢をおもひだす もし本当に囚人であったなら どんなにかよいだらう なけなしの尊厳だけ与へられて 今日の強制労働が わたしを待ってゐる

二月十六日 生活

一人で生きて行かねばならなくなってはじめて見えて来たものがある 思ひ返せば私のまはりにゐた人々は多かれ少なかれ社会的生存を模索してゐた 社会内で居場所を見つけ自立できるやうにと動いてゐた 一方で私はさういふことがらに一切無関心であった さういふ方面のことが全然目に入ってゐなかった 金とは獲るものではなく与へられるものとおもってゐた 生存に不安などなかった その種の不安は自分には無縁とおもってゐたし 実際つい先日までさうだった 食べて生きてゐること 生活をしてゐること サバンナに暮らす豹の番組を眺めて感心しつつ 自分の境遇も同じやうなものとは考へもしなかったし さうおもったとしても あはれみや共感などのきはめて人間的な感情からであって 切羽詰まった現実味は伴はなかっただらう 今は一寸先は闇の中を歩いてゐる心地で だからお菓子にまったく惹かれなくなったのかもしれない 両親の支援相方の庇護 その傘の下から無理に追ひ出されてはじめて 私は今自分の生存自体に不安を感じてゐる ある意味 他の人々のあり方心の持ちやうに共感し得る素地が やうやくこの私にも備はるのかもしれない ―――――――――――――――――――――――――――――――――― ビジネスの組織にも色々あるやうだけれど、人を差別化し、階層の分化の発生する、負けないために競争して勝つしかなくなる、上に登り続けるしかない、こんな底辺層の組織形態しか、私は自分の仕事場を選べなかった。かうした組織に所属して働いてゐると、これでよいのか、ここに正義はあるのか、と心中問はないで過ごせる日はない。尊厳?職場以外のどこかにあるのだろう。

労働紀行 二月十五日 自分の居る場所

ここはスラムなのだと得心した 何もできない私はここに流され落とされたのだと 毎日が絶望との格闘の中で いつまで徒手で立ち続けてゐられるものか 未来は暗黒色に覗く者の目を吸い寄せる 驚きだよ 自分はこんな世界に生きてゐたのだ 周囲のことを知らなさすぎた なるほど 本当に何の誇張も気負ひもなく 素直な心で言へる 地獄といふのはここなのだ ためらひなく私の月給二ヶ月分を払ふ客 対比を意識せざるを得ない この差はなんなのか 客は成功者で私は失敗者 鬱屈し澱んだ感情が重く垂れ込める 私はどうしてあちら側にゐないのか なんでこちら側なのか あっちにゐたらこのやうなこと頭に浮かびもしなかったらう 出稼ぎ労働者の気持ちが今はわかる 社会構造への不満といふより 不甲斐ない自らへの自責の念 家族に対する申し訳のなさ そして恥

労働日記 二月十四日 はとのめ

いかに安く腹を満たすかだけを考えて、コンビニ弁当の前をうろうろする。 腰の曲がったおばあさんが紙袋をさげて歩道の端を歩いている。 弱肉強食、社会的地位、上下、差別、これでよいのだろうか。 労働者には苦しみしかない。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 人間を知りたいなら あそこにゐるはとを見てごらん どこにでもゐるふつうのはとの まんまるおめめをのぞいてごらん 何が見えるかな 何が映ってゐるかな 地面のぱんくづ 美しき異性 快適な寝床 さういふものが映ってゐるけど どういふ色合ひをしてゐるかな 希望はある ううん 夢は みえない さうなんだ 元々備はってゐた ひとみの透明はうしなはれ 混濁と混乱が染み込んでゐるんだ もうほとんど見えてゐないのかもしれないね それでも 濁りきったまなこでも たのしい光景は見つからないし 日々の生活がつらいから 探す気力も残ってないんだよ 絶望といってよいのかな いやたぶん それよりもっと残酷なものだよ 人間を知りたいなら みてごらん ふつうのはとの まんまるおめめを のぞいてごらん

出稼ぎ

経済的事情から、家族と離れ、単身地方に働きに出ることになりました。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――― むなしさ 世界のむなしさ 人間全部のむなしさ 鳥たちのむなしさ みんなのむなしさ 時代のむなしさ 私たちはこの中にいて 外に出ることはできない