濁世の酩酊について

酒を呑む者は酔っ払いになる。しらふでいる者は詩人になる。

どうもこの塵界ではそうである他ないようです。


たいていの方々は、両極端の中間を行くのが常でありましょう。

ある程度明晰な頭脳を働かせつつ、適宜酒を入れる、という具合です。


酔っ払いの特徴は、現実定位、常識を備え、社会の良き市民として暮らし、自他のために労働する、等々。

対して、しらふは、空想に逃れ、およそ非常識で、社会のつまはじき者として追いやられ、働くことをしません。


あはれな詩人様ですが、酒を飲むのを我慢して頑張っているというよりは、手当たり次第に酒樽を空にしても、どうしても酔えなかった、という類であるかと。必死に酔いたいと思えば思うほど、心は酩酊より遠ざかって行くのであります。


ただ、覚えておかねばならないのは、一見まともに見える良識者の振る舞いは、その根柢に最もまともでない部分を隠しているということでしょう。すなわち、酔っているからこそ、冷静に選択し適切に行為することができるのです。


狂気に近くて親しいお酒ですが、どちらかと言えば、酒の抜けたしらふの状態の方が、あちらに親近なのだと思われます。


酒を呑む者は社会人になる。飲まないでいる者は狂人になる。

そう言うこともできましょう。


本当に狂っているのはどちらか、それは何とも判じかねますが、どちらも同じくらい、かなしいものでしょう。

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