二月二十二日 忘却の忘却
どうして労働階級はなくなっていないのか。どうして共産体制は失敗したか。
別に大風呂敷を広げるつもりはない。もっと小さな話だ。
ひとつには、夢がないからではないか。逆説的だが、底辺労働者がいないからではないか。いや現実的には単純労働に従事する者はいるが、彼らに希望がなかったからではないか。その代わり、絶望もないのだけれど。そういう中で生きていくのはとても難しい。
ゲームに似ている。社会はひとつの機構であり、装置であり、舞台設定なのだ。その中でこそ、貧者は夢を見られるのであり、夢を見られれば生きて行ける。すなわち、少なくともある程度は、幸せなのである。富者も同様だ。あるいは、彼らの方がより不幸なのかもしれない。
社会はひとつの麻薬に他ならない。共産主義はその麻薬を根絶しようとした。貧困がなくならないのは、それが必要だからだ。生きるために、必要なのである。たんなる生存のためにすら、人は貧困を必要としている。ゲームをするために。物語の主人公になるために。
最も重要なことは、忘れること。忘却なのである。何を忘れるか。むなしさを。無意味を。生の根底を。目をそむけることが大事なのだ。忘れたことを忘れてはじめて人はまっとうに生きて行けるのだ。
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