三月七日 文法


自分は知らないといふ宣告のもとにある者の感情は
何らか否定的なものであって気づきへの喜びとか感謝とか
知への期待とか安穏とか前向きなものはおとづれ得ない
混乱恐怖不安痛み
さうした動揺にのしかかられて首根っこをつかまれて
自白を強要されるのだ
はいわたしにはよくわかりません
自分がその中にゐて
たんにゐるのみならず
自分もどうやらその一部分
といふ把握が的を射てゐるか外してゐるかも不確かですが
であるらしいのに
わたしには全体もまたほんの小さな部分すらも
分からないのです
ええ何が何だかわからないのです
おそらくの話なのですが
語彙の不備もあるでせうが
そもそも文法が存在してゐないか
適切でないものをあてはめてゐるか
こんなに身近なものは他にないのに
どういふわけか
人はあまり足を踏みこまないやうで
全然開発が進んでゐない状況なのでせう
手近にあるから簡単といふ理由はなく
この場合はたまたま
最も近くにあるものが最も困難なものでもあっただけのことでせう
あまりにも難しいので
といふのはそもそも足がそちらへ向くのが稀ですし
向いたとしてもそれ以上どうしやうもないのですから
我々は目を遠くに向けて
わかりやすい未知の探求に忙殺されてゐるのでせう
けれどかうして世界の一ペエジを書きこんで
広げて行けば行くほど
不安が頭をもたげてくるのです
ことばにもならない不穏ですが
その淵源はきっと
我々がはじめに目をそむけた
といふ事実にあるのでせう
はっきりと覚えてはゐなくても
心のどこかにそのときの場面が残されてゐるのでせう
はっきりとおもひ出せなくても
だんだん色彩豊かになってゆく
精緻な壁画の完成にはどこか足りない部分があるのを
感覚するのです
もっとも感じても絵筆で解決はできないから
筆を投げる者もゐれば
ますますかたく握りしめて
邁進するたぐひもをりませう
それがあさっての方向へだとしても
責められる者は分別ある人の内にはゐないでせう

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