三月十二日 あをぞら


人生といふ名の牢獄から逃れられないとしても
鉄格子のすきまから
青い空がのぞくことだってある
たなびく白い雲を追ふ
そのあひだだけは
鎖につながれた身であることを忘れられる
どんなに明晰な才人も白痴のやうに
口をあけて空を眺める
つかのまの平穏がしかし
平穏の方から忍び寄る足音の
うす気味悪さを覆ひつくせないならば
耳のよい人は感じとり
よろこびとかなしみをこねあはせたやうな顔になる
不穏は平穏の中にあり
平穏がほほゑみかけるまさにその時
ゑみの中に身をひそめる
決して表に出て来ることはないが
完全に消え去りもしない
たまにおとづれる
天気のよい日は
広がる青空を見上げて
贈り物のやうな甘い平和を味ははう
一瞬の平穏が絶えざる不安を隠しきれずに
甘みの端に苦みがまじり
いよいよ認めなければならなくなる
日暮れどきまで
そして夜は
ものおもふことがゆるされる
星のまたたきの内に
かすかにまじる異なる光を
よく観察できる時だ
違和感としての現れに
実体があるわけではないのかもしれない
どこまでもそれは
姿をあらはさないものとして
どこかをかしな
点として
けれどたしかに感じられるのみで
もっとも敏感に感じとり
違和感の正体に目をこらす人も
そのうち眠ってしまふのだけど
そして朝が来て
また日はのぼる
今日もさはやかな
青空だ

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