二月十九日 鮪漁船

 寄りかかって生きているということがある。学歴や容姿あるいは地頭のよさ等々、自分では意識しないながら、それが社会的立場の保証の一助となっているということがある。寄りかかれるということは、それは外のものということであり、したがってなくなることも可能ということだ。そうした支えが消失したとき、今まで体重を預けていた人は、まっすぐに自立することができるだろうか。

 同僚に、○○はすごいと言われた。事実婚なのだから、別れればそれで済む話なのに、私のためをちゃんと考えて、送り出してくれたのだから。ここはマグロ漁船なのだね。私は、墓場だと思っているよ、と答えた。無理矢理追い出されて、なぜか地方に出稼ぎに来ているのだと。

 気持ちの整理などつきようがない。毎朝もやもやして、何とか生きる方向へと自分を説得できる論理を編み出そうと頭をひねる。こうして書くのもその一環だ。そのままでは潰れてしまう自分の支えを構築する作業だ。ため息しか出ない。ため息すらもう出ない。カーテンの向こうから、すきま風と手を取り合って、絶望が流れ込んでくる。

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