三月十九日 わたしの―――


日本列島上から下まで
くまなくはうきではいたら
ほこりがたくさんとれました
そのままでは汚いので
とりあへず一箇所に集めました
それがこの街です
さびついた扉から
腰の曲がったおぢいさんが
すりきれた帽子をかぶり
出てきます
街のお風呂に行くのです
鳥居の前で立ち止まり
一礼します
帽子はのせたままです
たぶん忘れてゐるのです
わたしは青白い顔をして
よろよろのおぢいさんを追ひ越します
おぢいさんだけではありません
前からは年代様々な
各種各様が歩いてきます
わたしは会釈をかへします
さうです
わたしもこの一員なのです
中学生の頃
不思議で仕方なかったことをおもひ出します
両親は音楽を聞きません
それでも生きてゐます
わたしは信じられないおもひで一杯でした
ひとが
おんがくの
おんがくのびなしに
いきてゆけるなんて
先日読んだ野生児に関する医師イタールの報告書は
わたしの気を幾分楽にしてくれました
その事例からわたしは
感受性は生まれついて
人に備はるのではなく
教育によって醸成されるものと学んだのです
きっとあの電線にとまったカラスも
行き交ふ人達も
絶望の底に沈んだまま
やっとのおもひで毎日を
しのいでゐるわけでは
ないのかもしれません
おばあさんが頭を下げます
わたしもあわてて返します
幸も不幸もその人次第ですって
ええきっとさうなのでせう
だからわたしのこの気持ちは
わたしのみづから生み出した幻で
わたし自身に責任があるのです
だからこそかんたんに逃げられませんし
捨てることなんてできるはずがありません
いいのですよ
おばあさんがどうでも
わたしはこの不幸を
生きるのです
誰かのではない
わたしの不幸をね

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