二月二十日 死に損なひ

 
 私は結局死ねなかったのだ。私のしていたのは死の生活だった。何事にも一切興味が持てず、働かず、何もせず、日がな一日を座って暮らす。○○の稼ぎに依存して自らは何も生産しない。そういう隠遁生活を送るようになったのは、私にはすることがなかったからだ。ただひたすら生の終わりを待つような日々はしかし、この社会、この環境では続き得なかった。たとへば親が裕福で莫大な遺産でもあるなら続いただろう。その場合、私は死ぬまで何もせず引きこもっていただろう。勉強も仕事も何もない。社会には一切関わろうとせず、一人でいられる場所でひっそりと生を畢おえたろう。けれども、物体的事情がそれを許さなかった。つまりはお金がないから、私は無理矢理まどろみから引き起こされ、労働に駆り出されている。私は結局死ねなかった。死にそこねたのだ。こうして身を削っている今も、私は実の所死んでいるのだろう。死んだように生きるという言葉があるが、私の場合は生きているように死んでいるのだろう。死人なのだわたしは。

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