三月十五日 生からの脱落


職場での一喜一憂の波に
浮きつ沈みつ手足をかきつづけ
疲れてもう動かなくなっても
救助の船はあらはれず
そんな生にしがみつくのに
何の意味があるのかといふ問ひが生まれ
意味の少ない順に脱落して行く
観客不在の競争のやう
何もない所に行きたい
自由になりたい
そんな願ひの心を満たす
夢は今この社会には見つからない

フィンランドではベーシックインカムの実験中だといふ
失業給付金とは違ひ
すべての国民に一律に支払はれる最低生活保証金制度だ
日本でこのやうな試みが行はれるのは
まだずいぶん先のことになりさうだし
想定される問題は山積みで
議論だけでも長い年月を要するだらう
ただやはり問題が
たとへば今わたしの感じる生きにくさの遠因が
現在の社会体制にもあることは認められなければならないだらう
たんにひとつの会社のあり方の問題ではない
末端の一機構を変へるには
時間がかかっても
社会全体の変革が必要だ
たださうした改革が
上からの号令で果たされるのかは疑問だ
現実によい目を持った指導者たちは問題に気がついて
自分の領域において改善を試みてゐるやうだ
この流れがつづき広がるならそれは
下からの変革であって
いはゆるこれは
革命といふものであらう
人間の抱へる苦しみのすべてが取り払へるとは
この革命運動の参加者はおもってゐないだらう
けれど社会と個人とのあひだのずれが目に見えて大きくなり
不都合が出て来てゐるから
ほんの少し修正して
ずれを小さくしようとおもふのは
自然のなりゆきだし
人の手にあまることでもないだらう

コメント

このブログの人気の投稿

二月二十四日 ねえ・・・

五月二十四日 ぐらたん

六月二十日 のぞみ