六月七日 くすり


わたしは女の子をつかまへて言った

やあ今日もごきげんななめだね

女の子はこちらを見もせずに答へた

それがわかってゐるなら

どうして話しかけようとおもふのかしら

神経を疑ふわ

わたしは言った

聞いてほしいことがあるからだよ

いいかな

女の子は

話すのはあなたの自由よ

と云った




逃げることはできるのだらうか

逃げるためにはここではない別の場所が必要だけど

そんな避難場所は存在し得るだらうか

一時的な逃避先ならあることは間違ひない

わたしも毎日利用してゐるからね

それは酒だったりおかしだったり

物語だったり空想だったりするのだけど

それらに浸ってゐる間は世の憂ひを忘れることができる

人間は肉体を持ってゐるから

その肉体を夢中にさせることで

魂の目を一時にせよそらすことができるんだ

おほひかくすことができるんだよ

問題は解決されてゐないで現にあるのだが

それにおほひをかけて見えなくすることは可能なのだ

わたしも現実と夢のあひだを行ったり来たりしてゐたのだけど

かういふ生活形態の欠点は

かなり大きな負担を心に強ひるといふことだ

逃げ続けられるなら何の問題もないのだけれど

どこかで夢は終はり

どうしても現実に戻される時が来る

くり返すが

夢の中で遊んでゐられるなら

まったく問題はないんだよ

けれどさうは行かないから

引き戻される際の衝撃が大き過ぎて

少しづつだけど

心がすり減って行くんだ

毎日毎日行き来をくり返す

現実と逃避先との乖離が大きいほど

帰らされる時の痛みは耐へ難いものになる

その苦しみの予感が

逃げ込んだ先での安らかさをむしばんでいく

そしてあきらめの気持ちが生じる

少しの間救はれても

やがて必ず苦しみは迎へに来る

むしろ少しの間救はれるから

やがて来る現実は耐へがたくなる

ならばかりそめの救済にあづかることに

何の利があるだらうか

それは救ひでも何でもなく

苦しみをいたづらに増すばかりの

悪魔のほほゑみでしかないならば

逃げても結局苦しみが増えるだけ

ならばその自分の首をしめる行為に

何の意味がある




てっとりばやく苦痛を消す意味はあるんじゃないかしら

女の子は云った

さうだね

わたしはこたへた

実際それは麻酔のやうなもので

体を一時的に麻痺させて

すべてなかったことにしてしまわうといふこころみで

まあ完全に離れることはできない麻薬だよ

要するに

女の子は云った

あなたは麻薬を常用してゐて

中毒症状がひどくなってきたからやめたいのだけど

やめられないで苦しんでゐる患者さんといふことでよいのかしら

よいのかな

わたしはつぶやいた

そんなに外れてないとはおもふけど

病院に行くのがよいのではなくて

女の子は云った

さうだね

わたしはこたへた

いきたいね



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