六月一日 小さな声


いつからか覚えてゐないが

不自然さを毛嫌ひしてゐた

きっかけも記憶にない

ともかく外部からの力で加へられる変化に敏感だった

暴力による制御の企て一切を抛擲し

何もしないままに任せるのが善だと信じた

自分の生活にもその方針は適用され

わたしは今や赤貧に喘ぐその日暮らしといふわけだ

放って置いたらかうなったとしか言ひ様がない

目標を立て計画を定め意志をもって実行する

そんな方法はわたしの最も嫌ふ所だった

そのやり方は見えない部分で犠牲となるものが出る

虐げられた者の声は小さく

たやすく大勢に無視されてしまふ

しかしわたしは確信してゐた

いつか必ず彼ら弱き者のうらみは返って来ると

これは感情的な判断なのではなかった

どこかで帳尻合はせは行はれる

冷たき理性はさう告げる

わたしは寺にでも入ればよかったのではないか

世間のしがらみの中で強いて何もしないやうに努めても

世の濁流のただ中では流されて溺れるだけ

けれど世を捨てて仏門に入るのは

千年前ならさうしたかも知れないが

今それをわたしがしたら

これもひとつの不自然になってしまふ

何もしない何もできない

身動きのとれないまま

流されるまま

抵抗しないわたしがたどりついた岸が

この安アパートの一室だった

ここが海の中ではなくて

岸だといふのは

流されて行く途中ではなくて

到達点だといふのは

希望的見解かもしれない

しかし奇妙なことに

心の声が

ここがさうだ

と語るので

わたしもさうかと

納得してゐる

この冒険において

基準は心にしかなく

それは形のないあやふやで

どうにでも変へられる都合の良い道具ではなく

その正反対で

わたしの一生を狂はせるほどかたくなで

どんな数字よりも厳密なものだ


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