五月十四日 時間


おもひあたったことがあるのだけど聞いてもらへるかい


わたしがゐてもゐなくてもどうせ語るのでせう


さうかもしれないけど


ならわたしが聞く必要はあるのかしら


君がゐないとひとりごとになってしまふからね


わたしがゐてもかはらない気がするけど


そんなことはないのだよ

それですでに忘れかけてゐるから話していいかい

ええと何だっけかなああさうだ

ぼくの生活のことなんだが


あなたの生活ね最高に興味をひかれる話題ですこと


気づいたのだけど

ぼくの生活は縮図になってゐるんだ

何ていふか人生観みたいなもの

生まれてから死ぬまでの見取り図の

縮刷版が丁度起床から就寝までの一日に相当するんだ

逆なのかもしれない

一日を拡大したものがわが人生なのかもしれない

そっくりにおもへるのだ

誕生から死までと起きてから寝るまでが

つまりこのやうにぼくは解釈してゐるといふことだ

毎日毎日が繰り返し生と死も流転する

輪廻転生の原型がここにはあって

思想とか信仰とか大げさなものでなくて

身近にあるといふか身の一部であるのだ

ぼくはそのやうにすでに理解してしまってゐるといふこと

生まれ駆け止まり死ぬ

止まるのは一瞬でほとんどの時間は夢中だ



言ひたいことはそれだけかしら

ほんたうにどうでもいいのだけれど

一応聞いておくわね

なにか語ってゐる今のあなたは

止まってゐるの走ってゐるの


ああぼくの話を聞いてゐてくれたのだね

とてもうれしうございます


面と向かって丸ごと無視なんて芸当は

まだわたしには荷が重いわね


君ならできるとおもふけど

せっかく君が爪の先ほどの関心を向けてくれてゐるのだから

ぼくの方は全力でこたへることにしよう


普通にこたへてくれれば結構よ


かしこまりました

さて結論から言へば

ぼくは今走ってゐるのではないかな

無我夢中で動き回ってゐる最中なのだとおもふ

反省してゐるやうに見えて実はその正反対のことをしてゐるのだ

まだ立ち止まる時間ではない

その時が訪れるのは今ではない

さうだよ時は到来するものであって

こちらの都合に応じて好きに変更できる便利なものではない

ぼくは今全力疾走してゐるのだらう

外からもし見ることができるなら

きっとさう見えるのだらうといふ意味だ

まちがひなく狂人に見えるだらうね

いやあるいは

囚人に



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