五月一日 私は爪である


ふとおもひついたことがあるのだけど聞いてくれるかな
わたしは耳よどうぞ
人間には爪があるよね
あるわね
爪は人間の一構成要素だ
一部分ではあるわね
同様にして口や手や足や頭も人間の一要素だよね
欠けてゐる人間もちゃんとゐるけれど
さうそこなんだよ
爪は人間の一部ではあっても人間そのものではない
人間から爪をはぎ取っても人間でなくなるわけじゃない
それは言ひ過ぎじゃないかしら
あなたにとって爪は人間の本質とみなされないだけで
爪こそが最も大事とおもってゐる人には
人間は爪なのであって爪を取ったらそれは
もはや人間とは呼べない物体なのに違ひないわ
たしかにさうだね
人間とは何かについての見解の相違だね
その人にとっては爪は人間の部分ではなく全体なのだらう
そして構成要素は爪の輝きであり硬さであり白い箇所であったりするのだらう
何が言ひたいの
別に新しいことじゃなくて
部分と全体といふ把握の類型のことだよ
そしてわたしはここに直観を持ちこみたいんだ
全体といふか総体といふかすべては一条の光の下で姿を現す
知はそのあとから始まるんだよ
もう一度言はせて頂戴何が言ひたいの
さうだね
すべては表現なのだとおもふよ
解釈は我々にゆだねられてゐるんだ
具体的に話してくれるかしら
たとへば貧困層は
酒をかっくらって寝るしかない人達のことで
遺憾ながらわたしもその一員なんだけど
本当に救はれるべき存在なのかどうか
よくよく考へる必要があるとおもふよ
極論だけどお金を与へれば問題は解決するのかといへば
よりよいお酒に溺れるだけじゃないのかな
いやわからないけどね
ともかく貧困層は社会の一部分であり
大切に扱はれるべきといふこと
まづは研究するのが順当だといふこと
それは何の表現なのか
人間といふ一枚の絵画のどの箇所にあたり
どんな意味を持ってゐるのか
一度立ち止まってよく見てみるのがよいのではないかな

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