ことばの探求(日記)

我々に残された課題としては、実に厖大なものがございましょうが、その中で、いま強く思うのは、ことばの探求でございます。


言葉を用いた探究ではございません。言葉を求めたいということでございます。



現今人間が使役しておりますものは、おそらく、数ある可能性の中の一つの実現態に過ぎませんでしょう。わたくしは、まづ、そのことをはっきりと認識したいと願っております。



この現在使用されている言語というものが、どこより生じて、いかなる様式に於いて用いられているか、この点について、研究してみねばなりません。他に何かよい道があるならよいのですが、かくある言語についての観察を通して、ここを端緒として、進んで行く他ございません。ただ、地面を掘って行けばいつかお宝に突き当たるだろう、という楽観を持つには、事情は少し厳しいように思います。多分ですが、このまま掘り進めても、地中に我々の求める輝きはないのです。



すでに与えられた言葉を使って何らかの対象について語る、というのと、ことばの可能性を凝視して、これではないような言語を探る、というのとは、同じことではございません。



どのようにして何かあらたな言葉といったものに近づくか、まだその方法すら判明ではありません。言葉によってでしょうか、数式によってでしょうか、それともイメージによってでしょうか、私達は何かいま存在している物によってしか、そもそも探求できないのでしょうか。しかし、いま存在していない言語のことを、どうやって取り扱うことができるでしょうか。私達は何かについて語ることはできても、何かではないことについて有効に語ることはできないのです。


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