「おとづれ」 三 (承前)


彼は仕事をくびになった

慕っていた上役(うわやく)には悩みを打ち明けたが

とりあってもらえず

失望したと告げられた



彼は自宅にこもるようになった

同僚や部下の蔑みの視線からは逃れられたが

同じ屋根の下に住まう家族の心配そうな顔を見ると

申し訳ない気持ちでうつむくしかなかった



妻は

おつかれさま

次の仕事はゆっくり探していけばよいから

とやさしく彼をいたわった



それからというもの

新しい職場を探すわけでもなく

自分のやりたいことに打ち込むわけでもなく

彼はただ一日をぼんやりと過ごした



あの光は何だったのだろう

あのとき自分の胸を叩いた感情は

どこへ行ってしまったのだろう



気の迷いとはどうしても思われなかったが

思い出そうとすると

霞がかかったように模糊(もこ)として

乳白色に覆われてしまう



心は波立ち苛立ち渦巻いていた

後悔の一念が彼を苦しめた

もう少し余裕をもって考え行動しておけば

よかったな

いたづらな思いの波が押し寄せては引き

押し寄せては引き返し

その分だけ魂を削り取っていく



これからどうやって暮らして行けばよいのか

家族のためにもはやく何とかしなければ

焦りと不安はつのる一方



季節が変わり

家人は心の病だと判じた

病院に通い薬を飲んでも

効果はなかった



光はもう現れなかった

彼の心にそっと何かが忍び寄り

かすかに打ち震わせることもなかった

彼は嵐の後で浜に打ち上げられ

そのまま打ち捨てられたヨットのようだった



妻が一枚の紙切れと共にやって来て

出て行ってほしいと言った

子供が不安そうに見ていた

はんこを押して彼は家族をうしなった



家を出て彼は歩き始める

どこまで行こう

向かうべき先もなければ

もう帰られるうちもない





つづく





「おとづれ」と題して著しております小文の三回目になります。

もう少しだけ続くと思います。


本日もお読み頂きまして有難うございます。

またあそびにいらっしゃって下さい。

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