散歩随想

さきほど、久しぶりに、近所を散歩して参りました。

昼間の散歩はいつ以来でしょう。

少なくとも今年に入りましてからは初めてのことです。

歩くときは決まって日の落ちた後でございましたから、

今日は見えるものがめづらしく、また奇妙で、

どこかふわりとした感じのまま帰宅しました。



いったい、自分が住んでいるのが、

かようにひなびた、汚らしい所だとは、

普段意識しておりませんでしたので、

意外の光景に少し驚きを感じつつ、辻々を巡りました。



空気のきたなさは、覚えずうつむかれるほど。

高速道路のすぐ下を歩いて行きますと、車の通りはげしく、

人と自転車の往来も盛んで、灰色に染められた視界の中に、

見える空までが低く垂れこめて、樹幹にはこけもはえず、

萌え出づる下草の緑もまばらで、やたらと長い横断歩道の点滅が、

目を通して頭にまで入ってくるようで、疲れてしまいます。



大きな通りを曲がり、川沿いの歩道に入りますと、

喧噪は去りましたが、どぶの嫌な臭気が風に運ばれて、

時折鼻をつくのに困りながらも、気にせずに歩き続けておりましたが、

ふとわきの看板に目をやると、潮風の散歩道とあり、

なるほどこれが潮風か、と苦笑させられたことです。



月極駐車場27771円と大書した貼り紙とか、

自動販売機の前で立ちたばこを吸っていらっしゃる中年とか、

大きな身振りで旗をふる交通整理の地元民とか、

片足を引きずる白い犬を連れて、ゆっくりと歩くおばあさんとか、

どれもがくすんだ、下町の色合いをしていて、

ひとつひとつの景物が、あるがままに落ち着いていて、

全体の基調をなし、乱すものもなく、

まことにそれはあはれなものでございました。



夜に歩を運びますと、ほとんど色のない、白黒の世界ですし、

暗いので建物や人の細部までは目が届きません。

昼間の賑わいは去って、空気もしづかに落ち着きを取り戻し、

耳を破る童子の叫び声も、身を焼く太陽の光もありません。

昼の仕事を終えて家に帰った人々が、暖炉の前に身を休めて、

何も思わずに火を見つめて過ごすとき、

思考が内へと沈潜していき、事物の法則から飛躍して、

心の内で罪のない自由なあそびにふけるとき、

夜という時間に外を歩くと、黒一色の背景に、自分の思いを投影して、

なにか完結した物語を描くことができるようです。



昼と夜、どちらの散歩がよろしいか、別にどちらでもよいのですが、

昼に歩きますと、夜に見えなかったものが見えますし、

夜に歩きますと、昼の明かりに隠れていたものが浮かんで来ます。



みなさんは、どちらの散歩がお好みですか。

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