最初の読者からの『東都百景』の感想


みなさまこんにちは。まだ寒い日が続きますね。




先日旧友のよしみで拙著を買って頂いた方から、

本の感想を頂いたのですが・・・・・・

「読めない」というものでした。

文意がわからないとか、理解できないということではなく、

そもそも文字を読むことができない、ということのようです。



率直な感想をありがたく思いつつ、

しばらく呆然としてしまいました。

文意が分からないとか、何を言いたいのかわからないとか、

賛成しかねるとか、好きとか嫌いとか、自分はこう思うとか、

そういう感想なら返答のしようもありますが、

そもそも読めなかったというのは、筆者の心にはずしりと重い衝撃です。



今回は、『東都百景』の文字表記について書いてみたいと思います。

端的に申しますと、かなづかいと漢字をどうするか、という問題です。



大戦直後の国語改革で、かなづかいの仕方は新しいものになりました。

その結果、「ゐ」、「ゑ」、などは古文の授業の中でしか、触れる機会のない、

ほぼ死んだ文字となりました。(ゐはワ行のい、ゑはワ行のえです。)

また、は行のかなについては、助詞を除いてほぼすべてが、

発音に即した表記にあらためられました。

「たとへば」が「たとえば」、「言ふ」が「言う」、というように。



漢字については、おそらくその全廃を視野に入れてかと察しますが、

手始めに簡略化が行われました。

「單」が「単」、「藝」が「芸」、「發」が「発」など。

漢字の読みである、字音仮名遣いも同時に現在の発音準拠となりました。

蝶を「てふ」ではなく、「ちょう」、

今日を「けふ」と訓ずるのではなく、「きょう」とする、などです。



改革の是非についてはここでは何も申しませんが、

戦後の学校教育を受けてきた日本人にとっては、

戦前の活字文章はずいぶん目慣れないものになってしまいました。



今回、私が本を作るに当たり、この問題をどうするか、悩みました。

私としては、省略された字体を使うより、旧来の漢字を用いたいと思いましたし、

かなづかいも、以前のままにしたいと考えていました。

しかし、そうすると、

現在の国語教育を受けてきた人、つまり今生きているほとんどの日本人には、

多少読みづらいものになるかもしれない、という懸念がありました。



私などは、たまたま読むものに古い物が多かったので、

旧かなや旧漢字にはなんとなく慣れており、あえて意識することなく読んでいました。

私と同じように、旧表記法に慣れている、

もしくは、慣れていないまでも、ときどき目にする機会がある、

という方には何ら問題ではないでしょう。好ましいくらいかもしれません。

しかし、本当に古文の授業の中でしか、古い文字表記に触れたことがない、

という方も大勢おりますでしょう。

そういう方にいきなり旧形式で読んでもらうのは、

負担が大きいのではと思われました。

年配の方は抵抗のない方も多いと思いますが、

特に念頭にありましたのは、平成生まれの若い世代のことです。




上記のような事情で(それだけの理由ではありませんが)、

『東都百景』では、かなづかいについて、現行のものと旧来のものと、

両様入り乱れたかたちになっています。

基本的にひとつのまとまりの中では、どちらか一方の様式のみで表記するようにしてありますが、

ひとつの歌の中で、新旧かなづかいを混在させている箇所もあるほどです。

漢字につきましては、基本的に旧字体を用いていますが、

難しいものにはすべて振り仮名を送ってありますので、

旧漢字を初めて見る方でも意味が通じるように配慮してあります。



正しい日本語と正しくない日本語、という意識は、学校教育を通じて、

我々には知らず知らずに備わっているように思います。

言葉は、誰かあるいは機関が定めた基準に従って、その正否を決められてしまうような、

不自由な道具に過ぎない存在なのでしょうか。

国語の教育には、色々なよきもの、

情操であったり、考え方であったり、物事に処する態度であったり、世界観であったりしますが、

をはぐくむものがあるように思います。

英、仏などの外国語に時間と労力を注ぐのは、

それはそれで疑いようもなく結構なことですが、

日本語の教育を見つめなおしてもよいのではないかと思います。

現状は、あまりにも、省みられていなさ過ぎると思いますし、

その豊かな可能性が閉ざされたままになっていて、

一般の目には見えにくいものに留まっているのは問題かもしれません。

その方向のまとまった研究がなされるのを待望しているのは、

わたし一人ではないでしょう。



文字表記をめぐる問題は、大衆教育の弊害なのでしょうか。

一部のエリート教育の中にだけ、

旧かなづかいや旧漢字などの「難しい」ものを含めることは可としても、

それをすべての国民教育に広げるべきではない、のでしょうか。

しかし、難しくて全員が完璧にできないから、より簡単な易しいものにして、

全員が等しく使えるようにする、と言えば、聞こえはよいですが、

実際には現在の「時代に即した」「簡単な」日本語教育においても、

みんながみんなテストで百点を取れるわけではないでしょう。

それよりも、簡易化することによって、得たものがある陰に、

失ったものもあることを、意識しておくのが、公平でありましょう。

もしかしたら、その失ったものは、とても大切なものだったかもしれません。



みなさまそろそろお飽きになられてきたかも知れませんが、

もう少しだけ続けますと、

わたしが読者として想定していたのは、

文学や哲学の専門家ではありませんし、

ましてや知識層(今やこの階級の分け方は無実のものになっているような気がしますが)だけに向けた特殊な読み物にはしたくありませんでした。

この本の草稿の半分くらいは、ホテルのロビーで書かれたのではなく、

場末の大衆食堂の一隅でひっそりと綴られたものです。

ペンを動かすわたくしの隣や前、後ろを無遠慮に通り過ぎて行った、

働くのに疲れてもなお食うために働かねばならぬ人たち、

自分と社会の幸福のために働くのか、お金を得るためだけに生きているのか、すでに分からなくなっているかのような人たち、

そのような無名の人々にこそ、手に取ってもらいたいという思いが自然ありました。



時代の文学というのは、常に底辺から生まれるものです。

この間の消息は、おそらく当事者だけが解し得る、この地上の世界の現実なのです。



しかし、同時に、頭の冷めた部分は考えていました。

この人たちが、自分の著作を手に取ることはないだろうし、

たとえ読んだとしても理解しないだろう。



もちろんそうです。それはわかりきったことかもしれません。

ですが、わたしは、それでもよかったのです。

たとえ、文意が理解できなくても、

「よくわからなかったけど、楽しかったよ」

と言ってくれさえしたら、わたしと作品は完全に報われると思ったのです。

わかるとかわからないとかは、まったく重要ではないと、

わたしは思っていましたし、今も思っています。

この作品は誰かに対して捧げられたものではございませんが、

強いて挙げよと言われれば、

わけもわからず生まれ働き死んでいく、名もなき草々に、想いを寄せるものです。



話しを元に戻しますと、表記の問題でしたね。

最初の読者から「読めない」と指摘されたのは、

なかなかつらいことで、返す言葉も出ないのですが、

私が思ったより以上に、今の人とかつての、と言っても百年も経っていないのですが、

日本語表記との間にある壁は、高いようです。

とはいえ、まだ「読めない」としか聞いておりませんので、

実際にどの程度つまづいているのかを聞けば、

大したことはないのかもしれません。・・・・・・そう願います。



結論として、私がおすすめしたいのは、

言うまでもなく、どう読もうが読者の自由なのですが、

読めない箇所は適当に推量してお読みになって下さればよいですし、

あんまり面倒なら無視してお好きな所だけ読むのがよい、ということです。

要は、慣れの問題でしょうから、色々なページをめくって眺めているうちに、

自然と読めるようになると思います。




※断るまでもないことですが、申し添えておきますと、本を読んでくれた友人は、学業において優秀な頴才です。

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