「おとづれ」


彼はおどろいた

何に驚いたのか彼にはわからなかった



不可思議でおもしろおかしいものを見たり

世にもめづらしい奇妙な話を聞いたり

おとなりが崩れて地響きに揺れたのでもない



それは小さな心の動きだった

波立ちうねる水面に小石を投じても

その波紋の行方を追うのは難しい

しんと澄み切ってしづまるみづうみに

浮かべた笹船が水を切り去って行くのを

追いかけることはできるだろう



彼はおどろいた

何が驚かせたのか

彼にはわからなかった



彼の心中に広がったその波は

けして大きくはっきりしたものではなかった

かすかであるいはそよ風のいたづらかと思われるようなものだった

ただそれはどこか力強い確固とした部分を持っていた

気の迷いではないかという疑いは現れなかった

彼の心は繊細な砲火で無抵抗のうちに占領された



彼はおどろいた

自分におとづれたこの感情に

彼は自分で当惑した



こころにさし染めた一条の曙光に

梢(こずゑ)に小さな丸い身をひそめて

闇に吸い込まれてしまわないように

羽を膨らませていた鳥たちは

声を上げて鳴き交わし

おそらく誰も何物もわからぬまま

朝のかをりを含んでふわりふわりと

やはらかいかぐわしい風となって

街の目抜き通りに広がった



心は新しい期待に高鳴り

いくぶんかの不安とひさしく感じることのなかった新鮮さで

規則正しくもこころよげな鼓動を刻み始める




つづく

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