湿原行

作品といふのはおしなべて
壊されるべきものだ
それが作られたものであるといふただ一点が
破壊の十全な理由となる

わたしは作品が嫌いだ
特によくできた逸品が嫌いだ
傑作といふのは
それがただ苦心を重ねて成し遂げられたといふ一点で
唾棄の完全な理由となる

人のゐない湿原に来て
きれいなベンチに腰掛ける
笹の葉が風に吹かれて
さわさわと音を立てる

どうしてわたしはここに来たのか
かなしい考へを巡らせる
街には人間がたくさんゐる
まるで関係のない生き物に囲まれて
ことさらに係累を明示しなければならない
しかしほんたうのところ
誰も相手になってくれないので
表と裏の乖離になんとなく疲れて
ひとときの憩ひを求めたのかもしれない

そんなふうに理由をつけてみては
わだかまる不安を覆ひ隠さうとする
高層湿原はいい
大樹が葉を広げて庇護したがることも
草の藪が息を詰まらせることもない
清水を含んで花よりも麗しい水苔の上を
冷えた空気が通り抜けてゆく

老齢期に入ったこの湿原には
コナシの低木がぽつんぽつんと立ってゐる
白い花はもう残ってゐなかったが
ここは世の理の外かと錯覚させるやうな
信じられない光景だったに違いない
 
もっとも花が咲いてゐると知ってゐたら
わたしは来なかったであらうけれども

かはりに今はツツジが控へ目に
朱華(はねず)の花をつけてゐる
高原唯一の色どりは
数日後にはなくなってゐるだらう
その頃にもう一度来てみようか
灰色の景色が慾しくて訪れる目を迎へるのは
灰に彩られた面白くもない風景だらうけど


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