Une nostalgie simple

故郷に帰りたいと云ふ友がゐたら
わたしは帰ることを勧めるだらう
友はいやと答へる
諸事情あって帰れないのだ
たとへば経済的な理由なら
わたしはいつか解決されることを願ふだらう
諸問題が解消した暁には
友は喜んで帰途につくはずだから

世の中では単純な郷愁であるが
ここに取り上げたいものの根源は
帰りたいといふ明快な希望だけではない

望郷といふのは一つの感情ではない
帰りたいと同時にまた
帰りたくない
心から帰りたくない
あらためてどちらなのか
帰りたいのかたくないのか問ふてみると
やはり帰りたいのだと云ふ
しかるに帰れないのは
世俗的な事情の所為ではなく
心の底から帰らうとしてゐないからで
つまり本心では帰りたくないとおもってゐるからだ
さうして厄介なことに
かうした願ひの錯綜が全体としては
この人に見られる現象の欠くべからざる姿で
家路につく道程の一部であるといふ事情も
認められねばならないのだらう

―――あのすみませんわたくし帰りたいのですけど
―――はいどうぞこちらです足下お気を付けください

といふやうにはなぜか運ばない
もし運ぶといふ者があるなら
運悪く詐欺にあって騙されてゐるに違ひない
彼は帰ることができるかもしれないが
そこが彼の本当の家かどうか
知るものは一人もゐない
実際本当にさうかもしれないので
疑ふ仕方を教へられなかった良き人は
心地よさを唯一の基準としながら
心安く憩ひ続けるのであらう
それは一つのあり方であって
否定したり否認したりすべきものではない
地獄といふ場所は
天国の存在を前提としてゐて
だからつまりある意味
一種の天獄みたいなものなのだから
騙された者は騙されることによってすでに救はれてゐる
彼はたしかに帰路にある
途方もなく遠い場所で留まってゐるのかもしれないが
けして間違ってゐるわけではなく
正しい途の上に置かれてある
矮小な人間はその矮小さ故に偉大とされる
そしてもちろん偉大な人間もまた
その偉大さ故に偉大とされるのである


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