『東都百景』の紹介文を変更しました

Amazonの本の紹介欄に書いた【著作者コメント】を変更しました。

以下のリンクから確認できます。

『東都百景』

以前の文言に問題を感じたというわけでは別段ありませんが、
特に気に入っていたわけでもありませんでしたので、
Kindle版完成を期に思い切って差し替えてみました。

ちなみに、以前のバージョンもこちらに残して置きます。参考まで。


「 
 言語というのは、非常に繊細なものです。言葉を普段様々な用途に使役している人の通常のあり方に留まる限りにおいては、このような関心はおそらくきわめて小さなままに抑え付けられるので、大事の考とはなりにくいものです。いったん、自分がその中に漬かっている所の、言葉との関係より離れて、ことばに相対して向かい合うようになれば、そのときはじめて、言葉にかけられていた手かせと足かせを外して、なにか今までとは違う関係へと進む可能性が、開けることでしょう。この本も、そんな可能性をめぐって、かつて幾人もの人が歩いてきた杣道(そまみち)を、手さぐりでたどり行くものの一つです。

 もっとも、言葉との関係より離れて向かい合う、と記しましたが、そのようなことが簡単にできるはずもありません。課題としては、言語をして考えせしめること、そのためにどうしてもまづ要請されるのが、我々自身の頭で考えるのを中止して、あちらの働く余地を用意してあげる、ということです。こうして申し述べると実に明瞭なのですが、実際の現場においては、かくも不明瞭なこと他にありや、といった情況です。『東都百景』という書き物は、ある種の場所において、人間がどのように動きどのように望みどのように問うのか、その場所に身を置きながら煩悶した、その跡と言うこともあるいはできましょう。ご一読の際には、そのあたりの消息も感じて頂ければと思います。

 我々の生はヒントのない問いかけのようです。重荷に耐えかね喘ぎつつ生きるすべての人々に捧げます。



今回のコメントも同じなのですが、紹介文を読んでも、
いったいどういう内容の本なのか、いまいち分からないのですよね。

まあ、ある意味、内容をそのまま反映しているコメントと言えなくもない・・・。

誰か読者の方が書いてくれないかなあ、などと思ってしまいます。


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