近況感想文

まったく自分がかほどにまで社会のお荷物いやごみくずになろうとは思っていなかった

作業服に身を包んで今日も倉庫に向かう

別段悲観しているのでもない嘆くつもりはないしそんな気分でもない
わたしはなぜというのか落ち着いている
平静というのではない
悲哀の波も歓喜の渦も渡り過ぎてきた
そんな岸辺に打ち上げられてわたしは昔の夢を見た

同級が教授の後ろについて廊下を行くのが窓ガラスの向こうに見える
わたしは誰もいない教室に座ってその様子を何となく目で追いかける
目の前の机には本も紙も置かれていない
わたしは学校で何をしているのだろうか
建物の上に広がる空には雲がちぎれて流れて行く

疑問はもはやない
雑念すらもない
自分の仕事は何かと問うことはない
わたしは求めない
ただ空を眺めて何となく思いを漂わせる
そうわたしの仕事は現行の共同体の中には存立しないのだ
だから生活できないのは仕方がない
同机の者たちが偉くなっていくのを見るのはもちろん嬉しいことではあるが
破れてついに裏も抜け料理に使うタコ糸でぐるぐる巻きにした靴を履いて罵声の中
誰のものともしれない段ボール箱を抱えて急ぐ自分のありさまが素直に祝福する気にさせてはくれない

わたしは心の狭い矮人かもしれない
しかし同情の余地は認められるだろう
神話の英雄だって一度は心が折れるほどに痛めつけられるものだ
わたしはただの人間だ
痛みも感じるし羨望もするおそらく軽蔑もする
みな小さなことだ
ほんとうに卑小なことだ
けれどわかっていても褒められれば嬉しいし
叱られれば気は沈む小さな人間だとはいえ
それはそれでよい
感情も思いもすぐに消えていく
わたしの関心がそこに囚われ留まることはない
それらはどうでもよいことだ

自分にとって落ちるのが必要だったのかはわからない
何とも判断しかねることだ
もっともこうして底辺近くまで落とされてみて苦しみとともに気づかされたのは
実は自分は落ちてなどいない
落ちたと感じ低いところに来たと知らず知らずに判断してしまっていただけ
自分の中に気づかれずに存在しまわりのすべてを価値づけしていた尺度に気づいたのは駅の近くの橋を渡っているときだった
もっともわたしの問題はその尺度そのものにはなく
どのように気づきが起こり得たかという点にあった
このような体験を繰り返して人は真理に近づいていくだろうか
それはあまりにも単純で希望に操られた幻想ではないだろうか
単に今の自分に都合のよい尺度に切り替わっただけなのではないか
AがBに変わっただけでこれから先もBはCになりCはDとかFになるだろう
学習の可能性を保証する無など実はないのではないか

さてそんな橋も今は渡り終えて
わたしの心は落ち着いている
平静というのではない
もっと自然で当たり前のものだ

昨日仕事場への長い道をかつてうたいながら歩いた道を今度は労働者として行くと
一羽の鳩が降りてきて地面すれすれの所で急に羽を広げてくるりと変転して着地した
わたしは少し驚いた
鳩がまるで猛禽のように鋭い動きをするのを見たことがなかった

鳩でさえふわりと舞い降りることができる
わたしは嬉しい気持ちになった
Even a dove can land gracefully
そんな文句が頭をめぐった

まあよろしい
仕方のないことだ
わたしは昔話の中に語られる木こりではなく
現に熱い血の通う生き物なのだから
それしか言えないという場所に立ってはじめて歌い得るものならば
それしか言いようがないというそれは詩的なものには違いない



あぢさゐや色を染めたる通ひ雨



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